第67話「届かなかった想いの記憶」
「しっかりしなさい!」
冨士村さんは、そう言って俺の肩を強くつかんだ。
「冨士村さん……」
「何があったの?」
「いや……」
「話しなさい!」
話すべきではないとわかっていても、俺は冨士村さんの優しさに甘えてしまった。
「……幼馴染のお母さんが、都内に来ているようなんです。……疎開、してたのに……」
「……親しい人なのね?」
「…………はい」
言ってしまってはいけなかった。だって……。
「行きなさい」
そう、言ってくれるのを期待しての言葉だったから。
「でもっ!」
「行きなさい! そんな虚ろな目をして戦場に出られても、フォローはできないわよ!」
「冨士村、さん……」
「行きなさい。大丈夫……もう、私たちだって戦える。それだけの力をもっているの。あなたはあなたの大切な人を守るために、力を使いなさい」
「でも……」
それは、持ち場を離れていい理由になるわけがない。他にも、今すぐ大切な人の元へ行きたいと思ってる人はいるはずなのに。
「あなたは軍属じゃないでしょ? 書類上は軍属でも、そうじゃない。あなたの力は国の力じゃない。あなたの力なんだから」
「冨士村さん……」
この力は、きっと俺の力ですらない。ただの借り物の力だ。でも、託された力だ。だから、きっと私情で使うべきではないはずで……。
「行きなさい。それに、小隊規模なんでしょ? そんなにこっちが心配なら、ちゃっちゃと片づけて戻っていらっしゃい!」
「……」
これは、甘えだ。
我がままなのは確かで、こんなこと、きっと許されることじゃない。だけど……。
「すいません……」
自然と涙が流れた。俺はどれだけ、この人に助けられれば気が済むのだろう。
自分の至らなさに悔しさを感じていると、ぽん、と撫でるように頭に手が置かれた。
「あなたくらいの娘がいるの」
「え?」
「たぶん、あなたと同い年くらいだと思うわ」
そう言った冨士村さんはスーツの胸元に手を入れると、そこから一つのペンダントを取り出した。
それは、碧く輝くラピスラズリのペンダントだった。
「あなたに着けてほしいの。ダメ、かしら?」
「え?」
「昔、娘にあげたものなんだけどね。お守りだって……秋桜支隊の隊長に任命されたときに渡されちゃってね」
「っ! そんな大事なもの……」
俺が受け取るわけには……。
「あなたの姿が、どうしても娘と重なるの。こんなに若い一人の女の子におんぶにだっこでどうにか戦っている状態なんて……すごくやるせなかったのよ?」
「そんな……私は……」
「いつも、辛そうで。救った人の数よりも、守れなかった人の分だけ自分を責めちゃうあなただから。……知らないとでも思った?」
「……」
まさか、そこまで知られているとは思わなかった。
「あなたが、これをつけなさい」
冨士村さんはそっと、俺の首にペンダントをかけた。
「あなたはたくさんの人を救ったわ。でも、これからは私たちの仕事。……あなたの素性も、戦っている事情も、私は何もわかってあげられていないと思う。それでも……こんなこと言うのおこがましいかもしれないけど、目の届かないところで戦うことなんて、ほとんどなかったから、心配なのよ。……必ず生きて帰って来なさい」
そうだ。
これだけ一緒にいたのに、支えてくれたのに、信じてくれたのに。俺は未だに、自分の素性すら明かしてない。
「冨士村さん」
「なに?」
「……帰ってきたら、いろいろ……もっと、お話をさせてください。娘さんとも、お友達になりたいですしね」
「もちろんよ。気を付けて」
「はいっ! すいません、ありがとうございます!」
忘れていたわけじゃない。戦場という場所が、どれだけ理不尽で残酷で悲惨で救いがないかということくらい、嫌というほど身に染みて痛感していたはずなんだ。
なのに俺は、冨士村さんが死ぬことなんて微塵も想像すらしなかった。大丈夫だって、なぜか盲目的に思っていた。
だから、この期に及んで私情で動き、甘えるなんて愚行ができたのだ。
俺は一人、都内に向け飛び出し、後に第三次東都防衛戦と言われることになる大規模防衛戦に身を投じた。
俺がこの時、鈴音さんの元に向かっていなければ、おそらく東京の被害は甚大で、大敗北を喫していたに違いない。
だから、俺が都内に向かったことを非難する声は、戦後になってもないし、軍からの指示に背いたことさえ、公にはなっていない。
けど、それは結果論だ。
この時の自分の甘えを、俺は一生許すことはできない。
でも……。
どうすればよかったのかも、わからない。
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