第56話「管鮑の交わり」
「幸城渚くん。十条晄さん。これから先、きっと娘は自分の気持ちを強く主張していくと思うんだ。そうなると当然、二人にも大きく迷惑をかけると思う」
「涼太郎さん。俺は、迷惑だなんてそんな……」
朱音の想いには、助けられることの方が多いはずだ。
少なくとも、今まではそうだった。
「そう言ってくれる君に、私はいつも甘えてばかりいる気がするよ」
「……いえ、それは違いますよ。俺も、さんざん甘えてますから」
俺も晄も涼太郎さんに助けてもらっている。その分の恩返しすら、まだ出来てはいないだろう。
「幸城渚くん。時代が時代だから、どこにいたって命の危機はあるだろう。でも、少しでも安全なところにいてほしいんだ。多少のリスクを許容して、また失ってしまったら、私は私を許せないだろうしね」
「涼太郎さん……」
また。それは、朱音の母であり涼太郎さんの妻でもある鈴音さんのことを言っているのだろう。
「すまない。こんな話、君を余計に悩ませるだけだったね」
「……いえ、大丈夫です」
責められてるわけじゃないのはわかってる。感謝されてるのもわかってる。だから、余計に自分の無力感を感じるんだ。
けど、前は向くって決めたから。忘れるわけじゃないけど、俺は今、
「私もあの子の親だから、気持ちも尊重してやりたいが、それ以上に心配もしているんだ。……今更こんなことを頼めた義理ではないかもしれないけどね、何かあったら娘を助けてやってほしい」
深々と頭を下げてくる涼太郎さんを
「ちょっと、やめてくださいよ」
と、半ば強引に頭をあげさせ、
「俺たちに、義理がどうとかないと思います。第一、俺や晄が、朱音や先生から受けている恩を考えたら、こんなくらいじゃ返しきれませんし。ねえ、晄?」
「はいです!」
俺たちの言葉に、涼太郎さんは困ったような表情を見せた。
「俺たちのことを先生がどんなふうに思ってくれているのかは、わかっているつもりです。でも、だからこそなんです。自分のことをそれだけ思ってくれている人がいて、信じてくれる人がいて、それが、俺や晄にとってどれだけ支えになったか。……だから、そんなふうに思わないでください」
「……わかったよ」
どうにも納得はいっていないようにも見えるが、それでもこちらの想いを汲み取ってくれるのが、涼太郎さんという人なのだ。
丁度、会話がひと段落着いたタイミングでインターホンが鳴った。
それに気づいた涼太郎さんは、来客の人物を確認することなく玄関のドアを開ける。
そこには、数回程見たことのある涼太郎さんの秘書がいた。高そうだと学生ですら感じる紺のスーツに身を包んだ、利発そうな長身の女性で、軽く俺たちにも会釈をすると、
「お車の用意、できております。三名様でよろしかったですよね?」
そんな秘書の確認に待ったをかけるように、ドタドタと階段を下りてくる足音が。
「私も行きます!」
数日前、晄の検査のために迎えに来てくれたときと同じ私服に身を包み、ポシェットを肩にかけた朱音が慌てた様子でやってきた。
秘書は長い黒髪を耳にかけつつ、涼太郎さんに確認するように視線を向ける。
「悪いね。四名だそうだよ」
「承りました。では、どうぞ。五名乗車は少々きついとは思いますが」
秘書は、急な変更にも関わらず、顔色一つ変えずに対応している。さすが、プロフェッショナルである。
玄関先にとまる
エンジンが始動すると、なめらかに車が走りだす。
後部座席でいつものように朱音と晄に挟まれる形となった俺は、あまりの乗り心地のよさと、昨日よく眠れなかったことが相まって、瞼が今にも重力に負けそうになってしまう。
今日も怒涛の一日だった。いや、最近ずっとそうだな。
本当の問題はこれからだが、みんなの気持ちを聞けたことは、きっと大きな前進だ。
前へと進むために、全員で同じ方向を向いて歩き出し始めたことに少し安心した俺は、藤村さんへの不安を大きく感じながらも、気づかぬ間に睡魔に負けてしまっていた。
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