第36話「逃げられない過去」

「っ!」


 俺は、勢いよく上半身を起こした。

 そこは、自室のベッドの上。

 すっかり見慣れた今の我が家だった。


「くそっ……」


 汗で体に張り付いた部屋着に不快感を覚えながら、感情に任せて乱暴に髪の毛をかきむしる。


「……」


 一気に体の力が抜けた。後悔は、どうやっても拭うことができない。だからなのか、今この時の平和に安堵しつつも、もやもやした気持ちは強くなるばかりだ。


 ……ただ、それでも。

 俺は、机の上のジュエリースタンドにかかるペンダントを見つめた。

 自分の罪と戒めのために。託された思いがあると、信じてすがるように。


 きっと、俺はどこまでいっても自分自身を許そうと、評価してしまおうとするのだろう。

 だから、失敗を繰り返す。……夢で思い出さなければ、俺はきっと過去の出来事として忘れようとしてしまうのかもしれない。


「はぁ……」


 自分の愚かさに嫌気がさし、自然とため息が漏れる。

 そんなタイミングを見計らったかのように、


「ん……んぅ……」


 という可愛らしい声が、真横から漏れ出たのが耳に入る。

 声の方へと視線を落とすと、俺の横には朱音が眠っていた。


「……そうだ」


 昨日、藤村さんから逃げるように現場を後にした俺は、周りに人がいないのを確認して、薄暗い裏路地で変身を解いた。あまりにも慌てていたからと言うのは言い訳でしかないが、もしかしたら移動しているところを誰かに見られたかもしれないと、今になって思う。


 いや、そもそも……。

 藤村さんが、あの冨士村義美さんの娘だと言うなら、軍部に知り合いがいてもおかしくない。間違いなく報告されているだろう。


「冨士村、義美さん」


 それは、俺にとっても大切な人の名前だった。

 冨士村義美陸軍中将。大戦での功績が称えられ、殉職とともに二階級特進。冨士村中将の名で知られる英雄だ。

 開戦後間もなくして、魔法少女を中核とした特別遊撃隊である秋桜しゅうおう支隊、通称コスモスの前身となる独立混成第二○一連隊の編成を軍上層部に打診し押し通し、絶体絶命の戦局を魔法少女とともに変えた立役者である。

 彼女がいなければ戦況は更に悪く、被害も三倍ほどに膨れ上がっていた可能性もあると話すものもいる。それは、おそらく事実だろう。冨士村さんの迅速な対応は、間違いなく英断だったと言える。


 だが、なぜ母娘だと気づかなかったのだろうか。うかつだった。

 ……いや。そもそも苗字が違う。読み方は一緒だが、漢字は違ったはずだ。

 どういうことなんだ?

 考えていても、らちが明かないな。今日、学校で聞くしかないか。……気が重いけど。


「……」


 その前に、横で寝ている可憐な美少女を、どうやって起こすかが問題だな。寝息をたてる朱音の頭を撫でつつ、隣にいてくれることの嬉しさに、つい頬が緩んでしまう。

 昨日の俺の狼狽っぷりには、さすがの晄も天然全開ないつものノリを保つことができなかったらしい。夕飯も喉を通らず、機械的にシャワーだけを浴びてベッドへともぐりこんだ俺は、ごちゃごちゃになった自分の気持ちを整理できずにいた。


 部屋の電気も点けずに蹲ると、今日の出来事を……藤村さんの言葉を反芻し、やり場のない心のもどかしさを、どこかにぶつけたくて……吐き気がした。

 取り返しのつかない現状に、自分の選択に吐き気がした。

 そんな俺の状態を晄から聞きつけたのか、朱音はいきなり俺の部屋のドアを勢いよく開け放つと。


「な、なな渚くんっ!」


 声は裏返り、余裕のなさそうな声とともに、必死で強気な様子を演出しようとして失敗した朱音と目があった。さすがの俺も朱音の声を耳にして、みじめに布団にくるまっていることなんてできなかった。心配させたらダメだ。その一心で口を開いた。


「朱音。どうしたんだよ、こんな時間に」


 ベッド脇のデジタル時計に目をやると、時刻は11時。こんな夜更けに女子高生が単身同級生の部屋に押し入るなどということは、俺の知識上アニメの世界でしか見たことがなかった。


「な、渚くん!」

「……はい」


 暗がりだが、廊下の明かりでほんのりと照らされた朱音の頬が、真っ赤に染まっているのがわかった。


「渚くんと、い、一緒に寝ます!」

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