第三章「苦しみの色は誰も知らない」

第33話「あの日の決戦」

 朱音によく似た、ふんわりとした栗色ショートカットの髪は砂や灰にまみれていて、いつも見ていた美しさは見る影もなくなっていて。

 目を逸らしたかった。でも、視界に入ってしまうそれは、現実で。嘘だと言ってほしかった。ただの夢だったら、どんなに良かったか。

 そう思うことは山ほどあった。少し、感覚が麻痺し始めているような気さえしていた。でも、そんなわけはない。

 目の前に倒れる女性の下半身は、無残に押しつぶされ、肉塊となり、原型をとどめていなかった。左腕は二の腕から先が本来ではありえない方向にねじ曲がっていて、ひたいからは血が流れ、閉じた瞼はピクリとも動かない。


「鈴音さんっ!」


 喉が痛かろうと、声が枯れようと、俺は必死に叫び続ける以外のことができない。


「しっかりしてください! 鈴音さん!」


 彼女の体を覆うように倒壊していた建物は、すべて取り払った。けど、俺にはそれしかできなくて。俺は、破壊することしかできない。殺すことしかできない。

 助けることができない。


「鈴音さん! 鈴音さん……お願いだよ……目を開けてよ。こんなの、こんなの朱音に、なんて言ったらいいんだよ!」


 くそっ……くそっ……。

 あたりに響き渡る戦闘音は、どんどん大きくなっていく。


 人々は逃げ惑い、それを阻害するように建物が倒壊し、瓦礫が襲う。悲鳴が上がり、そして消えるという惨状が、幾度となくあちこちで繰り返されている。

 阿鼻叫喚の地獄と化した首都で、幼馴染の母を腕に抱えた俺の頬は、涙で濡れていた。


「……渚、くん?」

「っ! 鈴音さん!」


 鈴音さんは、かすれた声を必死に絞り出しつつ、俺に笑いかけてくれた。


「ずいぶん……可愛く、なっちゃって……」

「鈴音さんっ……喋らないほうが良いよ! いま、涼太郎さんのところに連れて行くから!」


 俺が魔法少女であると、鈴音さんは知らないはずなのに、それでも魔法少女の姿の俺を俺だとわかってくれた。それだけ、きっと鈴音さんは俺のことを見てくれていたんだ。

 そんな身近な人すら俺は救えない。


「渚、くん」

「だから、喋っちゃダメだ!」


 うっすらと開けられた鈴音さんの瞳は、慈愛にあふれていた。

 胸が締め付けられるように痛い。苦しい。なんでこうなった? 俺は最善手を打ったのか? できることをすべてやった上の結果がこれなのか? ……冗談じゃない。

 自分の無力さに気が変になりそうだ。


「……渚くん。……あの人と、朱音を……お願い、ね」

「っ! 鈴音さん! 駄目だよ!」

「ごめんね、渚、くん……」

「鈴音さんっ!?」


 鈴音さんは笑顔のまま、全てを全うしたかのように瞳を閉じてしまう。この時の鈴音さんの表情を、俺は一生忘れることはないだろう。


「鈴音さん! くそっ……くそったれぇぇぇぇっ!」


 このあとのことは、正直言って正確には覚えていない。

 第三次東都防衛戦。それはアグレッサーとの戦争において、最後に行われた大規模防衛戦である。


 当初、日本軍は残存アグレッサー本隊の進路から、決戦の地を相模湾と想定し防衛線を敷いた。美号作戦と名付けられたこの相模湾防衛作戦は、横須賀、辻堂、平塚にそれぞれ防衛拠点を展開し、主力は七里ヶ浜に置き、迎え撃つというものだった。


 想定通りの航路を通ってきたアグレッサー主力部隊との会敵直前、俺の元に晄からの連絡が入った。いわく、都内へ小隊規模の別動隊が進軍中とのことだった。

 その規模から、東都防衛部隊のみで戦力は足りると思われたが、都内に朱音の母、鈴音さんがいるという話を聞き、俺は現地へ急行した。

 だが、そこに現れたアグレッサーの数は、明らかに小隊規模などではなかった。


 アグレッサーの艦船に制空権を奪われないよう配備されている試製ブルート投射砲により、東都の防空網は盤石だと思われていたため、大規模な奇襲はありえないと、どこか高をくくっていたのが完全にあだとなったのだ。


 アグレッサーは海中から攻めてきた。

 従来の人感センサーであってもアグレッサーは感知できるはずだったが、そのセンサーに探知されないよう、巧みに東京湾海中を進軍してきたアグレッサーの規模は、一個師団程であった。

 結果、さすがの晄も正確な索敵が敵わず、数を誤認したとのことだった。


 アグレッサーによる東都奇襲部隊は、レインボーブリッジ側から港区方面へとなだれ込んできた。想定外規模の奇襲に防衛隊は一時崩壊しかけるも、俺が戦線に出たことによって、どうにか敵軍に壊滅的な損害を出させ、撤退させることに成功。


 だが、それでも。

 大切な幼馴染の母を救えなかったことは、俺にとってこの戦いの敗北をも感じさせた。

 もう、これ以上大切な人を失いたくはない。

 俺は、敵の退却を確認するとともに踵を返し、相模湾へと急いだ。だが……。


「なんだよ、これ……」


 そこにアグレッサーの姿はなく、あるのは、崩壊した海岸沿いの街並みと、無数に横たわる兵士たちだった。前線拠点として使用していた鎌倉高校も半壊している。


 戦闘は、終わっていた。

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