第26話「平和のほころび」

「藤村さんが不良たちをなぎ倒してたアレ、総合武術格闘術だよね?」

「っ! ……なんで知ってるの?」


 藤村さんは、驚きを隠せないといったように、食い気味に俺を睨みつけてきた。


「見たことがあったから」

「……そう」


 興味を失ったように、藤村さんは再びそっぽを向いてしまう。

 これ以上聞けないかと諦めた矢先、藤村さんはぽつりと呟くように、


「戦ってないわ」


 悔しさをにじませた一言だった。そして……。


「次は絶対に戦う」


 その一言は、自分に言い聞かせるようでありながら、強い決意が感じられた。

 ……想像してしまった。

 戦後、大切な人を失った藤村さんが、一人ただひたすらに訓練し続ける姿を。

 肉体的にも精神的にも追い込まれ、求めた強さが手に入らないジレンマと格闘しながら、藁にも縋る想いで自分の信念だけを頼りにしながらも、それが正しい答えなのかと苦悩し続けることがどれだけ辛いものか、俺には痛いほどわかる。


 けど、憎しみに支配されて復讐のために戦うことにすべてを賭けたとき、最後に何が残るのか。それも、俺は知っている。でもきっと、それを言葉にしたところで、藤村さんには届かない。……わかっているから、もどかしい。

 藤村さんの気持ちに、少しでも寄り添いたいと思った。でも、そのためには中途半端な言葉じゃだめだ。だから、もっと藤村さんのことを知らなければならない。

 空気とか、そんなものを読んでいるのは俺らしくもない。避けられても、めげずに話しかけ続けてきたんだから、今もそうすればいい。

 まず、今日のデートを成功させるところから始めよう。


「ねえ、藤村さん……」

「っ!」

「え?」


 前触れもなく勢いよく立ち上がった藤村さんは、俺の体を突き飛ばすようにして通路へ飛び出し、立っている生徒たちを押しのけて前へと行ってしまう。


「えっと……藤村さん?」


 いったい、何があったのだろう。あっけにとられたまま目だけで藤村さんを追いつつ呆然とする俺の耳に、追い打ちがかかる。


「今すぐ停車させなさいっ!」

「へ?」


 人ごみの間から見える藤村さんは、何やら運転手さんに怒声を飛ばしていた。

 ……なぜ?


「お客さん、落ち着いてください。もうすぐにバス停ですから、そこで止めますから」


 声的に年配らしきおじさん運転手は、藤村さんのあまりの剣幕に狼狽しているようだ。


「すぐ止めなさいっ!」

「お客さん、ですからバス停がすぐにあるので……」

「すぐあるならここでも良いじゃない! 止めなさい!」


 とんでもない暴論だ。


「お客さん、せめて理由をお聞かせくださいませんか?」

「ご託は良いから止めなさいっ!」


 ご託を並べてるのは藤村さんだと思います。


「お、お客さん、わっわかりましたから、止めますから落ち着いてください」


 今にも殴りかかりそうな藤村さんの様子に気圧されたようで、運転手は速やかに路肩へバスを停車させると、ドアを開けた。


「あんた、行動が遅すぎるのよっ!」


 藤村さんは最後まで罵声で決めると、無賃乗車が当然とでも言うように走り去って行った。


「あ、お客さん! せめて運賃を……」


 このまま放置というわけにもいかないので、呆気にとられた生徒たちの間を「すいません」と断りつつ抜けて、俺も運転手さんのところへ。


「運転手さん、すみません。俺がさっきの子の分も払うんで、大目に見てもらえませんか?」

「え? あ、ああ……はい」


 二人分で520円を払うと、俺もそのまま下車する。

 空調の効いた車内だというのに、運転手はだらだらと汗を流していた。そうとうに焦ったのだろう。可哀想に。

 ただもちろん、藤村さんが何の意味もなくこんなことをするとは思えない。

 俺も藤村さんの後を追いかけ走っていく。

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