第18話「信任への自問」

「相馬原には今、ヴォモス機関がある」

「そんなっ……じゃあ……」

「もし、潜伏している残党兵の規模が大きければ……まちがいなく、ここ、群馬は戦場になる。特にこの辺はそうなるだろうね」


 ……なんだよそれ。


「……防衛は?」

「……もちろん、兵力も多く割かれているよ。今や、相馬原はヴォモス機関だけじゃない。第三次東都防衛戦の時に市ヶ谷が壊滅したからね。……統合参謀本部も相馬原に移転されているんだ」

「……」


 力を貸してほしい。そう言う話だろう。

 ……力を持ったものの責任として、俺はそれを全うする義務があるのだと思う。

 けど……即答する勇気が俺にはなかった。大戦の時のように、俺の判断で大切な誰かが命を落としてしまったら……。なまじ平和に片足を突っ込んだせいで、甘い考えが脳裏をよぎる。


 いや、俺のことなんかよりも、もっと気がかりなのは晄のことだ。アグレッサーを索敵することができるのは晄であって俺じゃない。

 俺なんかでは想像もできないほどの苦難を、晄は乗り越えているはずだ。晄自身、多くを語らないが、屈託なく笑ってくれる最近の様子を見ているからこそ、俺はまた晄に頼ることはしたくなかった。


「先生……俺は……」


 どうしたらいいのかわからない。

 そう言おうとしたところで、先生はゆっくりと頭を下げてきた。


「幸城渚くん。十条晄さんと逃げてほしい。できれば、娘も連れて」

「……え? どういうこと、ですか?」


 意味が解らなかった。


「十条晄さんが危険な立場になるリスクがある以上、この話を知ったうえで、どこかに逃げてほしいんだよ」

「いや、でも……」

「今は大戦の時とは違って、軍にも十分な対抗手段があるんだよ。だから、君たちがこれ以上頑張る必要はないんだ」

「先生……」


 涼太郎さんは頭をあげると、懇願するように俺の目を見つめてきた。


「当然、君たちがいるかいないかで、被害には差が出るかもしれない。でも、これ以上は大人の仕事だ。十条晄さんも、あんなにも豊かな表情を見せてくれるようになった。幸城渚くんも、最近はよく笑ってくれるって娘から聞いているよ」

「……朱音まで、そんな」


 気恥ずかしい。けど、それだけ心配してくれていたってことだろう。


「幸城渚くん。もう我々は、君達に充分救ってもらった。今度は、私たちの番だよ。だから、逃げてほしい」

「それは……」


 簡単にうなずくことはできない。でも、今更俺が出張ったところで、何かができるかと言われると、そこまでの自信があるわけでもなかった。


「幸城渚くん。逃げたところで、君自身が心の傷を増やしてしまうであろうこともわかっているつもりなんだ。でも、どうか私たちを信じて、逃げてほしい」


 俺が出張ったところで群馬が戦地にならないとは限らないし、俺たちが助かるという保証もない。

 それに今は、戦わなければ未来を望むことすらできなかった大戦の時とは違って、逃げる場所がある。軍にも対抗できるだけの力があるのなら、俺が戦う必要はないのかもしれない。

 けど、逃げた結果、戦うよりも多くのものを失う可能性だってある。


「……少し、考えさせてください」

「……そうだね。わかったよ、少し一人で考えたいときもあるだろう」


 そう言って、涼太郎さんは腰を上げた。


「先生、教えていただきありがとうございます」


 それだけは言いたかった。何も知らずにいたら、自分で選択することすらできなかっただろうから。


「幸城渚くん。私は、こんなことしかしてあげられない。本当に、申し訳なく思うんだ。妻や娘のためにあそこまでしてくれた君に、私はこんな酷な選択を迫ることしかできない」

「そんなことはありません。知ったことで選択することができます。知らずに蹂躙されるのは……本当に、悲惨ですから」

「幸城渚くん。何があっても、君が逃げたとしても、その結果が君のせいであるということは絶対ないんだよ。それだけは、覚えておいてほしいんだ」

「……ありがとうございます」


 俺の言葉に微笑み返してくれた涼太郎さんは、そのままそっと出て行った。

 優しさにふれ、心が締め付けられるように痛くなる。


「くそ……どうすりゃ良いってんだよ……」


 責任を感じるのは、きっと今だからなのだろう。

 大戦の時はただがむしゃらで、責任なんて他人行儀なものを考える余裕はなくて、自分のあり方を探して、降りかかる火の粉に立ち向かう以外の選択肢がなかった。


 俺は、ただそれだけの自分本位な人間なんだ。


 だから……。


 決断もできず、頭を抱えることしかできない自分に、心底腹がたっていた。


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