第2話「両手に花で出発です」

 首に下げたペンダントが傷つかないように、服の内側へ入れると、そのまま洗面所に行き、櫛を片手にリビングに戻った。


「お兄さん。お願いします」

「ほい、お願いされました」


 リビングのソファーに晄を座らせると、髪を優しく持ち上げ、いつも通りに直していく。しっかりと手入れが行き届いているらしく、櫛は引っ掛かることなくすんなり通った。

 相変わらずフワフワでスベスベで……良い匂いもする。甘いシャンプーの香り。


「よし、終わったよ、晄」

「ありがとうございます」

「どうも」


 立ち上がった晄は、テーブルの上に置いていた白いポシェットを肩にかけると、薄ピンクのワンピースの裾を踊らせながら、玄関へと早足で向かって行った。


「ちょっと、晄。そんなに急ぐことないでしょ」

「そんなことはありません。約束の時間まで、すでに五分を切っていますから」

「……真面目なことで」

「お兄さんが、不真面目すぎるんですよ」

「そうですか」


 晄の苦言は適当に流しつつ、ポケットに財布とスマホが入っていることを確認すると、晄に続いて部屋を出た。

 春先ということもあり、外に出ると、まだまだ肌寒さを感じる。


「お兄さん、何ぼーっとしてるんですか? 行きますよ!」

「りょーかーい」


 久々の外出に心が躍っているのか、晄は軽い足取りでエレベーターの前へ。

 俺はそこまで気乗りがしないので、ゆったりと後に続くと、丁度いいタイミングでエレベーターがやってきた。


 二人で乗り込み玄関ホールから外に出ると、黒塗りのセンチュリー高級車が一台止まっていた。

 その後部ドアが開き、中から出てきたのは俺より少し小さめの一人の少女だった。


「えっと、その、晄さん、渚くん、おはようございます」


 少女があまりにも深々と頭を下げたので、ウェーブというのか、少し癖のある栗色の髪がばさりと垂れた。


「おはよう、朱音」

「朱音さん、おはようございます」


 俺たちの挨拶を聞いて頭をあげた朱音は、安心したように笑って見せてきた。今日も安定の可愛さである。


「えっと、その……出発でいいかな?」

「うん。大丈夫」

「はいです! 行きましょう!」


 などと会話をしているうちに、黒いスーツに身を包んだおじさんが、自然な動きでドアを開けてくれていた。いつも見るドライバーの人だ。

 毎度本当に流れるような所作で見惚れてしまう。白髪まじりなところを見ると、そこそこ年はいっていそうだが、それを感じさせない立ち居振る舞いはさすがだ。


 晄が感謝を述べてそそくさと乗り込んだので、俺も続く。本当なら朱音を先に乗せたいところだが、以前その件での譲り合いに決着がつかず、無駄な時間を使ったことがあったのだ。

 最後に朱音が乗り込み三人横並びに座ると優しくドアが閉められ、なめらかに車は発進した。

 外装見てくれはもちろんのことながら、内装も白い革張りの座席と、高級感をこれでもかと詰め込んだ車内は、何度乗ってもなれないもので少々落ち着かない。


「えっと、渚くん」

「なに?」

「ごめんね、日曜の午前中に。魔法少女のアニメ、見たかったよね?」

「いや、もともとの約束通りなんだから、どうしてもなら時間変えてもらってるよ」

「あ、うん、そうだよね。ごめんね」

「いや」


 謝るところではないだろうに。いつも本当に低姿勢過ぎて、こっちも謝罪しそうになる。


「朱音さん! 騙されてはいけませんよ! お兄さんはアニメ見たさに家を出るのをごねたのです!」

「ちょっ……」

 余計なことを言うんじゃない。

「えっと、本当なの? 渚くん」

「いや……」


 朱音さん。そんな本気で困ったような顔を向けないでいただきたい。

 元凶の晄をチラリと睨んでやると、知りませんとでも言わんばかりの笑顔で見てきやがる。こいつなあ……朱音は本気で気にしちゃってるだろう?

 どうにかしろ、と改めて睨み返してやると、晄は仕方がないとでも言いたげに小さくうなずいて、話に割って入ってきた。

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