第2話 彼と私とは見えない糸でつながっている
私は彼の力になりたい。だいたい雇われ店長というのは、売上の増加と客の苦情処理能力によって、評価される。
低評価だと転勤いや、解雇もあり得る。
店自体が無くなってしまうかもしれない。
この頃、出店のように一週間から三か月期間で、携帯ショップが出店してきている。
そのためには、買い物をしなきゃ。
私は早速スマホのフィルムを購入することにした。
4,400円と高価なものであったが、彼の売上に貢献しなければ、彼の姿を見ることさえもできない。
私は少々高い買い物であるが、スマホフィルムを購入することにした。
翌日、私はショップを訪れた。
彼の姿はなく、代わりに彼と同い年くらいのしっかり者タイプの女性が座っていた。
彼のことを聞くと「明日、来ますよ」とのこと。
私は自分をしっかりアピールするように
「私、あのお兄さんのファンなんですといっても、変な関係じゃないですよ。
あのお兄さんってとってもしっかりした人みたい。三十五、六歳くらいかな?」
「あの人はやり手ですね。三十から三十一歳くらいです」
へえ、若いのにしっかりしてるんだなあ。
まあ、新店の店長を任されるくらいなのだから、実績を積んできた人なのだろう。
私は「じゃあ、明日来ますよ」の言葉を残してショップを後にした。
翌日、私は携帯ショップを訪れた。
開口一番に「フィルム下さい」と言うと、彼は出て来て、緊張気味に私に接した。
彼の胸のドキドキ感が、こちらにまで切実に伝わってくるようだった。
彼は私のスマホにフィルムを貼ってくれた。
そのとき私は「これでお兄さんの売上に貢献したよね」
と言うと彼はうつ向きながら「有難うございます」
「お兄さんってとってもしっかりした人みたい」
再びうつ向きながら「有難うございます」
またいつものように、お手拭きを渡し私はショップを背にした。
彼は、私を意識してくれているというのが大きな救いだった。
私は自問自答してみた。
私が彼にお手拭きを渡す気になったのは、彼が純粋に仕事に取り組んでいるからだろう。
携帯ショップは、少子高齢化の影響を受けた斜陽産業と言われ、閉店に追い込まれているショップが多い。
そんななかで、新店の店長に抜擢された彼は常に緊張感に満ちているに違いない。
売上と客からの苦情処理で神経をすり減らしているに違いない。
しかし、この地域は比較的おとなしい地域であるから、そんなにひどいトラブルに見舞われることはないだろう。
ある日、私は彼から笑いを取ろうとした。
営業前でシャッターを上げている彼に
「おはようございます。私、ある女優に似ていると言われるんですよ」
彼は少々キョトンとした表情をした。
「松たけ子、松嶋菜な子」
彼は納得したようにうなずき
「面影ありますよ」と言ってくれた。
ラッキーな気分だった。
なぜ、彼が好きなんだろう。そしてお手拭きを渡すという形で彼を応援しているのだろう。
自分でもわからない。
しかし、愛というのは理屈抜きのものである。
条件付きの愛ー相手の長所だけを見て好きになるーというのは、単なる恋であって愛ではないだろう。
彼はいつもスーツを颯爽と着こなしていた。
苦情を言ってくる客に、なめられないためだろう。
緊張感に満ちているが、ときには私の前で素顔を見せることもある。
私が電話をブロックしたいというと「会いたくない奴、ゲームの対戦相手には電話番号をブロックしている」
私に心を許したのかな?
しかし、少子高齢化のため携帯ショップは下降気味であり、店舗もどんどん閉店に追い込まれている。
まあ、私の住んでいる地区は高齢者の多い比較的大人しい地区であるが、それでも苦情処理というのは、高齢者故に何度説明しても理解不能というもどかしさや苦しさもある。
そんななかで、接客するというのは根気が必要であろう。
生き残るためのサバイバル商戦である。
最近、ショックな事実が起こった。
なんと商店街に、ライバル会社が二か月の期間で出店してきたのである。
この頃の商店街は、高齢化のために閉店する店舗が多いが、空き店舗に出店が多く出店してきている。
なかには、安価な女性用下着も出店してるので、私はよく利用する。
もう世間話をする仲になっている店長もいるくらいである。
なんとそのライバル会社ドレモは、携帯を変えればキャッシュバックとして一万円プレゼントし、そして携帯料金もなんと二千円にするというのだ。
金で釣ろうというのか。
しかし、何もないのに金だけがもらえるというわけにはいかない。
それと引き換えに何かがあるに違いない。
商店街で客引きをしているが、私はそれに乗らないことにした。
店長の彼の部下に、それとなしにその話を振ってみた。
すると「一度、ドレモに変えて一万円もらったあとで、またこちらに戻ってくるのもアリだと思いますよ」
私は思わず「えっ、そんなこと言っちゃえば店長に怒られるんじゃないの?」
すかさず部下は「店長は『すべてはお客さんが決めることだから』と言ってたんで」
そりゃそうだけど、でも一度ドレモに移行すると、元に戻るというのは大変なこと、いや、不可能に近いんじゃないかな。
だとすると、店長である彼はずいぶん度胸のすわった人だな。
しかし私はなぜ、彼を好きなんだろう。
三年二か月余り、カフェにさえも行ったことがない。
客と会うことは禁じられているので仕方のないことであるが、かといって彼とおつきあいしたからといって、愛が深まるものでもない。
好き同志で結婚して離婚という現実も、余りにも多いじゃないか。
日本では、35%が離婚しているという。
そこで私は、彼のことを小説仕立てにしてみた。
「私は彼の恩人となった」
携帯ショップの店長である彼を、好きになって三年余りの年月がたとうとしている。
そつのない、親切な接客。
長身にスーツを着こなし、颯爽とした身のこなしがかっこいい。
私がペイペイを実行しようとすると、彼は
「あれは一度したら、取り消せないんですよ。
だからそれに便乗して詐欺が多いんですよ」
と言いつつも、アプリを有効にしてくれた。
ただし去って行く私に、背中越しに「やめた方がいいですよ」と言ってくれたのは、私に対する思いやりだったに違いない。
彼は人の情報を預かるという立場上、客と会ってはならない。
近隣の人とも挨拶程度で、誘われてもお茶や食事にも行ってはならない。
そのことは、会社から厳しく言い渡されている。
だから、当然私とも気楽にカフェといったわけにはいかない。
愛の成就とはなんなんだろう。
もちろんセックスというほど、私の頭は未熟ではない。
肌のぬくもりなど、男性には意味のないこと。それどころか飽きられる一歩を踏み出すだけ。
愛とは、自分が損をしても相手の幸福を願うことだろう。
ふとそんなことを考えながら、夜八時半の電車に乗り込んだ。
夜八時半というと、彼の終業時間を過ぎた時刻である。
もしかして彼と乗り合わせたりして、なんて甘い空想に浸っていた。
こんばんはと挨拶したら、彼びっくりするかな。と空想していた矢先、なんと彼が私のすぐ近くにビジネス用の黒のアタッシュケースを持ち、緊張した面持ちで電車のつり革につかまっていた。
とそのとき、私がいつか失くしてしまったハンカチが、彼のアタッシュケースに触れるのが見えた。
紺地にオレンジとピンクの花柄という私のお気に入りのハンカチ、ポケットにしまっておいたのが、いつの間にか無くなっていたので不思議に思っていた最中だった。
長方形に折りたたんだハンカチから、鋼鉄製のキラリと光るものが見えた。
あっ、カッターナイフだ。
見ると、ロングヘアで花柄の長袖のワンピースを着た厚化粧の人が、ハンカチに包まれたカッターナイフの刃を、彼のアタッシュケースにぴったりとつけている。
多分、情報が詰まった彼のアタッシュケースの中身を狙っているに違いない。
このままだと、大変な結果になりかねない。といっても、私はロングヘアの人に「辞めて下さい。刃物を引っ込めて下さい」という勇気などはない。
もしそう言ったとしても、周りの乗客は我関せずという感じで、無視するのがオチであろう。
相手が逆上して、刃物を振り回されたらどうしよう。
私は一瞬知恵を振り絞り、思わず「火事だあ、火事が起こった」と精一杯叫んだ。
もちろん、乗客は一斉に振り向き、刃物は引っ込められた。
刃物を所持していた花柄のワンピースの人は、何事もなかったような顔で、花柄のハンカチで汗を拭くふりをしながら、顔を隠した。
彼が振り向いたとき、私と目が合った。
「ああ、びっくりしましたよ。しかし、火事だという声を聞いた時は、すぐあなただということがわかりましたよ」
私は内心の嬉しさを隠し
「いやー、本当にビビりました。だって、刃物で切り付けられたらどうしよう。でも、とっさに機転をきかせたんですよ」
彼は「次の駅で降りませんか。僕の行きつけのカフェがあるんですよ」
私は「そういえば、仕事上のパソコンの横にブラックの缶コーヒーが置いてありましたね」
彼は驚いたように「わあ、知ってました。銘柄は」と言い終えないうちに、私は笑いを取ろうと「大将、リーダーじゃなかった缶コーヒーBOSSですよね」とボケをかますと、彼は薄く笑った。
彼は私にサービス精神を感じたのだろうか。饒舌になりつつあった。
「本当は、お客さんとはこうやって個人的に会ってはならないんですよ。
僕たちの仕事って情報を扱う仕事でしょう。会社から厳しく言い渡されてるんですよ。でも今日は特別。
あなたは、僕を危険から救ってくれたナイトであり、恩人だから僕の穴場的行きつけのカフェに案内します」
私は少し照れた。
「そう言われると嬉しいですね」
彼の行きつけのカフェに着いた。
なんとそこで思いがけない再会に恵まれた。
いらっしゃいませと私たちに水を運んで来た男性は、なんと中学二年の同級生だったのだった。
彼の名は西谷と言った。当時、西谷君は父親が急に失跡して、貧困下の母子家庭真っ只中にいた。
当時、私の親戚は喫茶店を経営していた。
西谷君は、ときどきそこで一袋百円のパンのミミをもらい、それを母子二人で食べていた。
ある日、私は料理の勉強をするつもりで、パンのミミをつかったフレンチトーストもどきをつくったり、パンのミミにチーズとピーマン、ピザソースをかけたピザトーストもどきをつくり、西谷君に味見を兼ねて食べてもらっていた。
西谷君は、いつも笑顔で美味しいと言ってくれたのが励みだった。
そのうち、私は西谷君を喜ばせたくて、肉と玉ねぎとパンのミミを蒸し、その中に卵を入れて煮もの風にした。
これなら、少量の肉でもパンのミミに味がしみこみ、焼肉風になるだろう。
また、西谷君の苦手な納豆を克服させるために、ミンチ肉のなかに納豆とパンのミミを入れて炒め物風にした。
私のつくる料理は、油を使わず早く煮ることができるように炭酸水と、腐り止めのために酢を小さじ一杯入れている。
西谷君は、納豆が入っていると気付かずに食べていたのが滑稽だった。
西谷君曰く「松井の料理は薄味で、見栄えもよくて食欲をそそられる。
今度、僕にもレシピを教えてよ」
しかし、ミンチの中に納豆が入っているという事実を知ったら、どんな顔をするだろうと思うと、私は思わず吹き出した。
西谷君は、塾へ行っていなかったが、その代わり教科書丸暗記という学習法を実行していた。
数学が苦手、特に方程式がチンプンカンプンの私が思い切って聞いた。
「ねえ、数学をどうやって丸暗記するの?」
「問題と方程式を結び付けるんだ。この問題がでたらこの方程式、またこの図形がでたら、こういう法的式のようにヒモ付けして覚えるんだ」
なるほど、私は西谷君の言う通りにしたら、スラスラと問題が解けるようになり、このことがきっかけで、勉強が面白くなってきた。
私はこの勉強法で、念願の公立高校入試に合格することができた。
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