第3話 始まりの貪欲
「我ながら浅ましいな。もっと金があれば……。」
俺は口座に書かれた数字を眺める。それだけではどうにも不安で、夢のような大企業を築くことができる気がしなかった。
「一生遊べるお金を手にしてまだ足りないんですか?」
「全く足りない。」
「……何を目指してるんですか。心配しないでも、男の子なら大丈夫ですよ。」
何になりたいか……か。そんなことよりも、何の事業をするかが大事だ。どんなことも最初が一番肝心だ。
「というか、今の俺は神野さんよりも資産家なのでは?」
「世の中は広いですよ。上には上がいます。」
彼女は何か含みのある笑顔で答える。まるで、自分の本当の立場を隠しているかのようだ。
「上ね……。きっと神野さんの上にも誰かいるんだろ。きりがないな。」
「まぁ篠宮様は男性の中では相当な資産家ですよ。少なくとも現在は。」
「まるでこれから失うみたいに言うな。」
「オール・インする人はいつか必ず破滅しますよ。」
「……そうせざるを得ない時もある。」
「神野さん、最強の企業ってどんなのかな?」
「……時価総額ランキングで言えばJTTでは?」
その企業は30年後にランキング圏外になるなんて、この時代の誰が信じるだろうか?だが次の時代がインターネットということは間違いない。その可能性にかけてみる価値はあるだろう。
「やっぱりαmαzonかgoogolかαppleかどれかを真似するしかないか。」
俺には、才能がない。凡人が天才に並ぶためには真似するところから始めよう。彼らの成功の軌跡を追うことで、自分にも成功が訪れるかもしれない。
「αppleしか聞いたことが無いのですが、本当に会社を始めるつもりですか?今は不景気ですよ。」
「必要だからな。」
彼女は心配そうに俺を見つめるが、俺は不安を振り払い、新たな事業を始める覚悟を固めていた。これからの時代、インターネットが大きな役割を果たすはずだ。
◆
俺は神野さんと、川沿いをぶらぶら歩いている。大層な夢を掲げても、計画が決まっていない以上休むことにした。
「なぁ神野さん、たまには俺一人ででかけたい。」
「3分以内にはナンパされますよ。どうしても一人で外に出たいなら女装してください。」
「ナンパか……ちょっと憧れるな。」
「知らない人についていったら駄目ですよ。」
「俺に子供みたいな忠告は必要ない。」
「……篠宮様、今何歳ですか?」
「……すいません、子供でした。」
「分かれば良いですよ。男の子が一人で出歩くなんて危ないですからね。」
彼女が無表情に言うものだから、冗談か本当か分からない。というか冗談であって欲しい。
「なら試してみるか。離れててくれ。」
「……は?」
底冷えする声で言われた。
「良いでしょう。たまには自分がどれだけ危険なことを言っているのか身をもって実感して下さい。」
凍てついた目だった。そして遠くから見ているらしいが何はともあれ30分ほどの自由を得ることが出来た。
◆
そもそも子供を恋愛対象に見るはずがない。そういった幻想は3分どころか1分で破壊された。
「ねぇ君、一人?」
「あぁ。」
歳は俺と同じぐらいだろうか?こんな幼気な少女が俺にロックオンしている。
「何で?男の子でしょ?」
「俺がそうしたかったから。」
彼女は分かっているような、分かっていないような顔をした。
「ならさ、僕の所に来てよ!一人だと危ないでしょ?」
この発言のどこに合理性があるのか?ただ俺が返答に悩んでいると彼女が歩き始めて、来ないの?と目で言っているからつい、着いていきそうになった。
「篠宮様、随分とフラグ回収が早かったですね?"俺に子供みたいな忠告は必要ない"でしたか?」
「」
神野さんが突然現れて、驚くばかりだ。彼女はどこから見ていたんだろうか?それに、なんだか顔が怒っているような…。
「そこまで危機意識が欠如しているとは思いませんでした。」
「いや神野さん、これは……」
「いいですか、もう一度言いますが、知らない人についていくのはやめてください。」
そう言って、神野さんは俺の腕を引っ張って、その場を離れていく。
「警護官が男の子の意思を無視するんだ?」
少女が神野さんに問う。
「……非常警護措置です。問題ありません。」
「大切なのは、篠宮くんがどうしたいかだよね?」
神野さんはばつが悪いのか言い返さなかった。"俺がどうしたいか"か気に入った。
「着いてく。」
「……仕方ないですね。」
どうやら男の子のわがままってやつは相当な効力があるらしい。あの神野さんが諦めた。
「良かったね、篠宮くん。」
◆
まだ名も知らぬ彼女は俺を寂れた商店街の一角に連れていく。ここは時が止まっている。
「ここが私のお母さんのお店。」
古書店は、まるで忘れ去られたような存在だった。看板には年月の経過とともに煤けがたまり、文字がぼやけていた。店内は埃まみれの本が山積みになっており、古い匂いが漂っていた。
「良い古書店ですね。篠宮様、何か欲しいものはありますか?」
「そういうことは僕の役目でしょ。何かあるかな?」
「あの本を取ってくれ。」
俺は本棚の一番上の本を指さす。俺の身長では届かない。
「ちょっと待ってて、僕が脚立を持ってくるから。」
彼女が店の奥に行くのを見ていると、神野さんが背伸びして取ったであろう本を手渡してくれた。
「ありがとう。」
「警護官として当然のことです。」
彼女が少し遅れて脚立を持ってくる。
「あれ?取れたの?」
「ええ。もう大丈夫ですよ。」
神野さんが黒い笑みをする。相手は俺と同じくらいの幼児なのに、何をむきになっているのか……。
「むー、警護官さんの意地悪!」
「そんなことはないですよ。ほらこのお菓子をあげますから。」
彼女はそう言って飴玉を差し出す。
「分かった……。」
どっちもまだ子供だ。呆れて、俺は本を手にとって読むことにした。ラノベもネット小説も無いが仕方ない。純文学もたまには良いだろう。
俺が読みふけっていると、隣に重みを感じた。本の内容が気になったのか少女が俺にもたれかかる。
「ねぇこれはどんな本?」
「まだ全部読んでないからな。あとで教える。」
「そっか。その本あげるからまたすぐに遊びに来てよ。」
「いいのか?売り物だろ。」
「うん。どうせ売れないから。あっ!お母さんには内緒ね。」
彼女の発言がどこか引っかかった。それに少し表情も悲しげだ。よくよく考えればこんな幼い少女が一人なのもおかしい。
「どうしてここに連れてきたかったんだ?」
「うん。もうすぐこのお店を閉めちゃうから、せめて最後に男の子に来てほしかったんだ。」
そう語る、彼女の目には薄っすら涙が浮かんでいた。
彼女もまた時代の被害者なのか。こんな幼い子が涙をこらえて、気丈に振舞って……。
どうせgoogolもαppleも真似できない。俺は検索エンジンの内部を何も知らないし。スマートフォンの構造も知らない。
あのeコマース企業はネット書店から始めたという。どうせインターネットが本格的に普及するまで後数年ある。まだ待たないとならない。少しこの古書店で練習するか。
「なぁ、この古書店買えるか?」
肩慣らしといこう。俺がこの小さな書店を再建出来ない程度なら、この先に進む資格はない。この女の子を助けよう。
確かbookonもこのぐらいに創業してたよな。
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とても簡単な用語解説
JTT…JAPAN TELEGRAPH AND TELEPHONE CORPORATION
民営化するに当たって東とか西に分割されてしまったあの企業
googol…某ブラウザ企業、10の100乗が元ネタ
αpple…この頃はPCが主力
αmαzon…某オンラインショップ
bookon…ブックオンなのに本ねぇじゃん!
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