第2話 ここは日本連邦
俺と神野さんは図書館に行った。5歳の男の子が歴史や経済の本を読むのは珍しいのか、司書さんも引いていた。
まずはこれまで読んだ内容を整理する。まずシベリア出兵の際に、大日本帝国は樺太北部を獲得。
そして史実通りに進んで、日本はアメリカに負けた。ただその後の占領政策も大きく異なる。共産主義の防波堤として樺太と台湾を日本領のままとした。
「この国はアメリカをモデルに作られました。」
「なぁ神野さん、暇だからもっと教えてくれよ。」
「その前に、復習しましょうか。クイズです。」
「第一問、日本連邦の州を全て答えよ。」
「……樺太州、台湾州。」
「後、8個ありますね。」
「九州!」
「良いですね。後7個です。」
「分かるか!」
神野さんは俺を弄んで楽しむふしがある。というわけで今日中に俺が弄んでやる。
「それより、昼食にしませんか?もうすぐ12時ですよ。」
「神野さんは何が食べたい?」
「普通は男性が希望を言って、それを女性が叶えるんですよ。」
「なら樺太の名物料理で。」
「昨日食べた海鮮丼がそれですよ。」
「……任せる。」
俺がそう言うと、彼女はどこかに行くあてがあるのか車を走らせる。今は高速道路だろうか?樺太の荒涼な大地をただ走っている。樺太の空は広く、雲一つない青空が続いている。太陽は高く昇り、その光が車窓に差し込んでくる。
「そういえば神野さんはどうして15歳で運転免許を持っているんだ?」
「樺太州はちょうどその年齢から取れるんですよ。」
「他の州は?」
「都会の州は18からですね。」
随分と前の日本とは違うらしい。地方自治というものだろうか。俺は助手席から彼女の横顔を見る。
「格好良い車だ。」
「鮎川自動車のフェアジェントル(Z32)です。まだ発売されてないんですがコネで手に入れました。いい車です。」
また早口だった。何が彼女の琴線に触れたのか分からない。というかコネ?俺も昔、近所の本屋で漫画を先に売ってもらったことがあったが、車でそんなこと出来るのか?
「……さては神野さん、良いとこのお嬢様だろ。」
「なっ?何のことですか?そ、そんなこと無いですよ。」
彼女はちょっと緊張した様子で言葉を濁す。俺は思わず微笑んでしまう。まぁ、彼女の出自は重要ではない。
「なぁ、神野さんあのパイプラインは何だ?」
「絶対に私のこと知ってますよね!意地悪しないでください!本気で怒りますよ!」
「何言ってるんだ?」
彼女は言葉に詰まり、目を泳がせる。どうやら俺の質問は彼女にとって予想外だったようだ。
「……そうでした。あなたが知るはず無いですよね。」
「あのパイプラインは樺太から本土へ天然ガスを輸送するためのものです。知ってるかもしれないですが、樺太は天然ガス資源が豊富なんですよ。このパイプラインは樺太経済を支える要です。」
「で、神野さんとあのパイプラインはどんな関係があるんだ?」
「……篠宮様、もうその手は通じないですよ。」
「そうか……というか俺のことは名前で読んでくれないか?」
「それは……告白ですか?男の子を名前で呼べるのは家族と恋人だけですよ。」
「告白って言ったら……?」
彼女は頬を赤らめ、目を伏せる。その姿はまるで少女のように可愛らしかった。というか対向車線にはみ出そうだぞ!
「危ない!」
その言葉で気づいたのか、彼女は慌ててハンドルを握り直し、車を元の車線に戻す。ホッと一安心したが、同時に彼女をからかいすぎたと反省する。
「神野さん、冗談だから運転に集中してくれ。」
「……はい。あんまりからかうと本気で怒りますからね。」
神野さんは俺に警告を与えると、再び運転に集中し始める。パイプラインは鋼鉄で太陽の光を反射して輝いている。それは何キロも先まで続いており、その姿は荒涼とした樺太の風景に見事に調和していた。
これからバブルが崩壊するが樺太州の主要産業は石油と天然ガスだから何とかなるだろうか?俺は楽観的に捉えていた。
「ん?バブル崩壊……。」
「何かすごい不穏な言葉が聞こえたのですが……。」
「それだ!空売りすれば当面の資金が手に入る。」
「……何をするつもりですか?」
「時代に勝つための第一歩。」
「時代に勝つとは具体的には何をするんですか?」
……何を持って勝利とすべきだろう。俺みたいな生まれた時代のせいで不幸な人生を歩むことになった人を救えばいいのか?
"自己責任"この言葉に随分と人生を翻弄された。俺に自己責任といった奴らに言い返してやろう。俺が起業して、経営者や外資の奴らに思い知らせてやる。
……何だこの思考は?まるで俺が俺じゃないみたいな。こんなことを考える人間ではないはずだ。"自らつかみ取れ"あの言葉が強く頭に響く。
「とりあえず、当面の資金を手に入れる。」
◆
昼食を適当に済ませた俺たちは、家電を買うために中心街に行くことにした。
「何か欲しいものはありますか?」
「スマホ。あれがないから手が震えてきた。」
「それって薬物中毒ですよね!?」
「神野さんは薬物やったことあるのか?」
「無いですよ。現役の警護官にその質問はおかしいですからね!」
「一般市民でもおかしいだろ。」
「そうですね……。」
実際問題、この時代にはガラケーすら存在していない。おかしくなりそうだ。しばらく商品を眺めていると
「あれは……パソコン?」
この時代にもあったのか。デスクの上に鎮座する大きなブラウン管ディスプレイは現代にはない重厚な存在感で目を見張るものがあった。OSもWindow95の前だからか使いづらそうだった。まだインターネットへの敷居は高いな。
「欲しいですか?このぐらいの値段なら私のポケットマネーでも……。」
「おい、値段をよく見ろ。30万するぞ。」
「……出せますよ。」
「桁を間違えてたろ?」
「見くびらないで下さい、私なら買えます。」
絶対に桁を間違えていたのに、神野さんは強がる。その時だった。
"自らの手でつかみ取りなさい"何か恐ろしい言葉が聞こえた気がした。俺はパソコンのキーボードに触れてみる。突如として視界が暗転した。
◆
「自らの手でつかみ取りなさい。」
まただ。またあの言葉だ。誰が俺にこんな言葉を投げかけたんだ?
「機会だけはあなたにたくさん与えるから……。」
彼女の姿は霧に包まれ、まるで幽霊のように時折姿を現しては消える。その美しい姿は霧の中で揺れ動き、まるで夢と現実の狭間にいるかのような不思議な雰囲気を醸し出している。
そして全てが白くなり……俺の夢現は終わる。
◆
「篠宮様、大丈夫ですか?」
「頭が痛いけど大丈夫。」
「何かいじってましたけど何ですかこれ?」
「……日経平均株価の推移って書いてあるけど。」
「……こんな下がるわけないですよ。しかも未来の日付になってますよ。」
「そう思うのが当然か……。」
また、頭が痛い。
「なぁ神野さん、本当にこの通りに推移するなら大儲けできるよな。」
「それは……そうですけど。」
時代に勝つという曖昧な目標が近づいた気がした。
「俺はいくら持ってる?」
「普通車が買えるほどはあなたの口座にあります。」
「全て株につぎ込もう。」
「はい!?止めてください。」
「なぜ?」
「警護官の役目です。男の子に危険なことはさせられません。」
「これが危険?どこが危険なんだ?」
「仮に信用取引まですればあなたは負債を抱えることになります。その……Hなお店に売られるかもしれないですよ。」
「何だ、その程度は怖くない。」
「……。どうしてもですか?」
「道は前にしかない。」
何もしなければ、バブル崩壊という時代に翻弄されるだけだ。俺にはよく分かる。
◆
そして1989年12月29日、日経平均株価はピークに達した。そこから先は聞いても面白くないだろう。酷い時代が始まる。
俺は見事に前世では縁のないほどの大金を手にした。
さぁ、やっと資金が集まった。始めよう。
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とても簡単な用語解説
空売り…株価下落局面で儲かる取引方法。危ないので良い子は真似してはいけない。
鮎川自動車…やっちゃえ鮎川、技術の鮎川、この辺りのキャッチフレーズで伝わるはず。
Window95…インターネットを普及させた革新的なOS。物語中ではまだ存在していない。
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