第32話 神薙塔矢④-2
「ふう、これで全部だな。助かったよ、遠藤」
俺と遠藤は、風船が入った段ボールを屋上の扉前に運んでいた。桜蘭祭の最中は、事故防止のために屋上は封鎖される。だが、俺が出し物で屋上を利用する際、つまりは夕方には一度解放されることになっている。屋上が解放されてから風船を運んでいてはあまりにも時間がかかり過ぎるので、こうして前日の間に近くまで運んで来た、というわけだ。
「ついに明日ですね。既にわくわくしちゃってますよ、僕」
「楽しんでくれてるなら、なによりだ。さて、運び終わったことだし、帰るとするか」
俺と遠藤は、並んで階段を下りていく。
「何か飲み物でも買って帰るか。遠藤も喉、乾いたろ? おごってやるよ」
「え、いいんですか?」
「手伝ってもらったんだし、礼をするのは当たり前だろ。てか、ジュース一本でも安いぐらいだ」
遠藤は笑いながら「神薙先輩と仲良くなれたことで、十分頂いてますけどね」なんてことを言う。こいつには、天然タラシの才能があるのではなかろうか。だとすれば、日渡もこいつの毒牙にかかってしまう可能性があるかも。
そう懸念して、一瞬の内にそれは杞憂に終わった。遠藤の、一つの恋の終わりと共に。
「あの、神薙先輩。実は僕、日渡先輩のこと、諦めたんです」
遠藤は唐突に言った。突然の発言に少々当惑して言葉が詰まったが、なんとか「そうか」と一言返すことが出来た。
「今、クラスで一緒に学級委員長をやっている女の子がいるんですけど、その子のことが、ちょっと気になってるんです。話も合うし、一緒にいて、楽しいし」
「ふーん。なら、気になっているというか、好きなんじゃないのか?」
「そ、それは、えーと……はい、多分、そうなんだと思います。なんだか、軽薄ですよね。この間までは日渡先輩のことが好きだなんて言っておきながら、数日後には他の女の子のことを好きだなんて言ってるんですから」
「別にいいだろ。好きなモンは好きなんだから、しょうがないし。好きなモノを否定して自己嫌悪するくらいなら、色んな好きを認めてやった方が絶対にいい」
遠藤は涙ぐみながら、「頑張ります」と言った。零れそうになっている涙が、遠藤がどれだけ葛藤して苦しんだのかを、如実に表している。真面目で誠実だからこそ、二人の女子を好きになった自分が、許せなかったのかもしれない。
好きなモノは好きだ。
それは、どうしようもない。好きであることに理由付けが出来るものもあるだろうが、出来ないものある。自分でも気付かない内に好きになっていて、その気持ちを自覚した時に初めて感情が溢れ出す。
俺は、遠藤に向けて言った言葉を、頭の中で何度も反芻させた。
好きなモノを否定した先に訪れる、真っ暗な世界。
自覚して生まれた感情のせいで、まるで自分が自分ではない何かに乗っ取られてしまったのかように思えた。だから怖くなって、否定した。だが、そうしたところで、ある日生まれた感情は、消えることはない。
好きだという感情は、よほどのことがない限り、ずっと好きなままなんだ。
自分に問いかける。自覚したあの日から十年。生まれた感情は、消えたか?
いいや。今もこの胸の中に、熱く残ってる。
そうだったんだ。
俺はあの日。日渡を異性として認識したあの日、日渡が女の子であることに戸惑ったんじゃない。俺は、日渡のことを一人の女の子として好きでいる自分に、戸惑ったんだ。
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