第28話 日渡瑠璃③-1

 彼と花音ちゃんの間に何があったのか判然としないけれど、私はとにかく一心不乱に走り続けた。先生に見つかればきっと、大説教を受けること間違ないだろう速度で廊下を走り、階段を駆け下りていく。対面から誰かが来るかもしれない、なんてことは、相手には悪いけれどどうでもいい。私の親友が涙を流していたんだ、他の誰かのことを構う余裕なんてあるもんか。


 息を切らしながら一階まで下りて、私は花音ちゃんの姿を探した。花音ちゃんが言っていた「帰る」という言葉を信じるとしたら、花音ちゃんは必ず昇降口の靴箱に来るはず。花音ちゃんが使っている靴箱がどこなのかは知っているので、開けてみれば彼女がもう外へ出て行ったかどうか分かるはずだ。


 でも結局、そうする必要はなかった。花音ちゃんの靴箱を開けようと思いその場所まで来た私は、自動的に目的を達成した。私は、靴箱の前で俯きながら体育座りをしている親友に、追いついたのだ。


 私は花音ちゃんの前に立って言葉をかけようと思ったのだけれど、いざとなると何を言えばいいのかまるで分からなかった。啜り泣く音が耳に届く度、胸の辺りが痛くなって、なんとかしてあげたいと思うのだけれど、思うだけで何も出来ない自分がいた。


 今はまだ、声をかけるべきではないのだろうか。ここは一旦退いて、また後日花音ちゃんから話を聞いてみて――。


 と、そんな思考に辿り着いた時点で、私はまた同じ過ちを繰り返すつもりでいる。声をかけなかったことで、どれだけ苦しんだと思っているんだ。喧嘩をした時のように、何もなかったことを装って声をかけることをしなかったから、私は十年近くも一番会話をしたかった相手と会話が出来なかったんじゃないのか。


 一度失うと、取り戻すのは至難だ。私は、それを学んでいるはず。大好きな相手の手を、まだ握れるはずの段階で、私はまた故意的にそれを見逃すのか。


 そんなの、絶対に嫌だ。


「花音ちゃん!」


「……瑠璃?」


 ゆっくりと顔を上げた親友の顔は、今まで見たことのない顔だった。瞼は少しだけれど赤く腫れ、口元はへの字に折れ曲がり、顔全体が何種類かの水分によって濡れている。悲愴感を漂わせている彼女を目にして、私は思わずたじろいでしまった。


「振られちゃったぁ……」


「――え!?」


 振られた、って。それはつまり、そういうことだよね!? 花音ちゃんが彼のことを好きで告白したけど、上手くいかなった、ってことだよね!?


 たったの一言だけれど、あまりに予想外で面食らった。花音ちゃんが彼のことをそんな風に見ていたなんて、全然知らなかったんだけど……。


 気の毒に、と思う反面、ほっとしている私もいた。ほっとしている私が顔を出さないように、私は懸命にその心を押し殺す。


「そりゃあ、驚くよね。私、瑠璃にも言ってなかったし」


「うん、驚いておっきな声出ちゃった。ねえ、花音ちゃん。隣、座ってもいい?」


「……うん」


 私は静かに花音ちゃんの隣に座り、二人並んで体育座りをした。してみて、スカートでこの体勢だと下着が丸見えだということに気付き、私はすぐさまアヒル座りに変えた。花音ちゃんにもそうするように伝えて、私たちは二人昇降口の靴箱の前で、足が痛いけれど我慢しながらその場に座り込んだ。

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