第27話 神薙塔矢③-6

 涙を流しながら自分の心を語ってくれる橘に、俺は何も言えなかった。橘と向き合っていないから、という次元は既に超えていて、俺と橘は最早対等な位置にすらいなくなっていた。


 自分と向き合い見つめ合う彼女と、自分を見ようともしない俺が、横に並んでいいわけがない。


 ちゃんと。ちゃんと自分の言葉で。橘の言葉ではなく、自分の言葉で断る理由を伝えなければ。そうでないと、張り裂けそうな心で伝えた想いが、その辺に捨てられてしまうことになる。


 謝罪をしても許してもらえなかったら。


 十年近くも抱いている俺の最悪な想定よりも最悪な、相手に受け取ってすらもらえないという結末。俺は今、橘を相手にそれを実現している。何の罪もない、橘を相手に――。


「あ、花音ちゃん来てたんだ。早めに会議終わったんだね、よかっ――え?」


 マジックを貰って戻って来た日渡は、開きっぱなしだった扉から教室内に入り、橘が涙を流しているのに気が付いたようだった。大が付くであろう親友が、予想もしないタイミングで涙を流しているのだから、当惑して当たり前だろう。


「瑠璃、ごめん! 私ちょっと、今日めちゃくちゃお腹痛いみたい。頑張って来てみたんだけど、やっぱり駄目だわ。だから先、帰るね!」


 早口言葉のように橘はほぼ息継ぎもせず言い切って、初速から全速力で教室を出て行った。日渡は混乱した様子で橘が飛び出ていった先の廊下を眺めている。


「日渡」


「――え!? あ、なに?」


 自然だった。これまで日渡に声をかけるのをためらっていたのが嘘だったと思えるほどに、俺は躊躇なく日渡に声をかけた。俺のためじゃなく。日渡のためでもなく。


 自分を含めた誰からも逃げなかった、美しく強いあいつのために。


「今すぐに、追いかけてやってくれないか」


 日渡の返答に、迷いはなかった。「分かった」と、彼女は一言だけ言ってから、橘同様に初速から全速力で駆けだした。優等生の日渡ではあるが、今の彼女は廊下を走っていることを咎められても、無視しそうな勢いがあった。


 俺は一人残された教室で、差し込んでくる夕日を背後に携えて立ち上がる。よほど驚いたのだろう、日渡は貰ってきたマジック二本を床に落としてしまっていた。俺は二本ともを拾い上げて、再び席に着く。


 歪に切られた楕円型の画用紙もとい、メッセージカードを一枚手元に置き、マジックの蓋を開けた。


 誰もいない放課後の教室の中で俺は、人知れず、新入生ではなく別の相手に向けたメッセージを――綴った。

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