第12話 初日は誰だって辛い 学校編

『天宮日和! 十六歳! 異世界出身の不思議ちゃんです! きゅぴん!』


 これがさりな一押しの挨拶。内臓の一つくらいくり抜いてもいい気がした。


 登校初日。新学期、クラスも変わるからそこまで緊張しなくてもいいと、高宮は言ってくれたけれど。困ったことに職員室の扉すら開けられないわ。


「……帰ろうかしら」

「早くない?」


 後ろから、耳元で誰かがそう囁く。寒気と共に振り返り、この世界に似つかわしくない恐怖感で、つい反射的に首元へ魔法を打ち込んでしまった。

 

 ——殺してしまう。


 引っ込みがつかない風の刃は。

 その女子生徒によって掻き消されていた。


「危ないよー? 転校生ちゃん」

「……そう思うなら後ろに立たないでくれるかしら」


 女子生徒は何事もなかったように笑みを浮かべていた。

 今の一連のやり取り。そして何より忘れもできない、私たちエルフよりも美形寄りの顔つき。暖かみのある白髪、褐色の肌。


 間違えようがない。ダークエルフの転生者だ。


「初めまして。天宮日和ちゃん」


 元ダークエルフはあくまで友好的に話しかけてくる。見かけ上は。


「……初めまして。私のこと知ってるのね」

「そりゃね。生徒会長だから。日和ちゃん、不用意に魔法は使っちゃ駄目だぞ?」

「あなたが使わせたんでしょ。気配なんか消して。これだから野蛮な種族は」

「おやおや、温室育ちはびっくりすると人を殺すのかい?」


 エルフとダークエルフは、仲が悪い。出会って早々睨み合いが始まってしまった。


 元の世界なら軽く、ほんのこの校舎が壊れるくらいの小競り合いが起きていた。ただここは異世界。このダークエルフもそれはわかっているみたい。


「まあ今は人間同士、仲良くしましょ。私は朝日奈藍。よろしく」

「よろしく。知ってるみたいだけど天宮よ」


 朝日奈。このダークエルフも日本の名前を得ている。エルフなんかと気安く握手までして。制服の皺や馴染みを見ても、私よりはこの世界に溶け込んでいた。


「あ、そうそう。まだ皆は知らないけど、日和は私と同じクラスだから。そこも含めてよろしく」


 朝日奈は妙にニヤけながらそれを言い残して廊下を駆けていく。人間同士で、学校の生徒と仲良く話していた。


 ……ダークエルフにできてエルフにできないことはない。


 意を決して職員室の扉を開けた。



          ✳︎



 初日。今日は初日。……初日なのよ?


 教室に入って、自己紹介をして。HRが終わった後の僅かな時間に、私は集られていた。


「天宮さん可愛いまじ天使なんですけど!」

「どこから来たの!? よければ連絡先教えて! ね? ね!?」

「あ、あはう! 握手だけでも……!」


 狂ってる。男も女も関係ない。私は囲われていた。

 正直かなりきついわ……。崖から落ちてゴブリンの群れに突っ込んだときを思い出して……。


 それは朝だけで終わらず、休み時間の度にこの有様だった。


「あの、仲良くしてくれるのは嬉しいのだけれど……」

「もっと仲良くしましょう!」


 鼻息の荒い男子生徒だったり。


「手がいやらしくない?」

「いえ! 天宮さんのほうがいやらしいです! 触らせて!」


 触手を思い出させる女子生徒だったり。


「日和様! 踏んでください!」

「本気で気持ち悪いわ……。消えななさい……」

「ありがとうございますう!」


 下僕志願者だったり。


 私は追いかけ回され、逃げる為に走り回った。

 一瞬意識を奪い、姿を消し、あれこれ意識を逸らし、疑問に思われない程度に魔法を小出しにしながら逃げていた。のだけれど。


「あーもう……。うるさい!」


 昼休み。とうとう私はやってしまった。


 学校中の時が止まっている。耳が痛いくらい静か。言い寄ってきていた生徒たちは半目だったり片足立ちだったり。


 急に消えるとちょっと違和感は残ってしまうけれど。この状況そう長くは続かないから。私はお弁当を持って教室を離れた。


 一人だけ、動いている気配がある。


 三階隅の空き教室。行ってみると、そこには呑気にお昼を食べているダークエルフがいた。私を見ると手招きしてくる。


「お。きたきた」

「あなた。やってくれたわね」


 ダークエルフは「なんのこと?」だなんてとぼける。


「下手な演技はやめなさい。朝ニヤけていたのはこういうことだったのね」

「いやー、日和の緊張をほぐしてあげたくて」

「余計なお世話よ」

「まあまあ。座りなって。ここならゆっくりできる」


 確かにもう時間が動き出す。ダークエルフと昼食を共にするしかなかった。


「ひよりんはお弁当なんだね。自分で作ってるの?」


 座って早々不快な絡み方をされる。


「作らせてるの。後ひよりんはやめなさい」

「作らせてるって。どうせ養ってもらってるんだろうに。なんでお前たちは偉そうにしないと気が済まないんだい?」

「あなたたちこそ。私たちに嫌がらせするならいつも容赦がなかったわ。今日だって」


 異様な人の集まり方。何故か生徒たちは私に見惚れていた。趣味の悪い、ダークエルフらしい嫌がらせ。


「おかげで疲れた。魂まで削れそう」

「おかげで学校に慣れた、じゃなくて?」


 またニヤニヤと。ダークエルフの分際で生意気じゃないかしら。でも。


「……いいわ、そういうことにしてあげる。あなたなりの気遣いなのは本当なんでしょうから」


 このダークエルフは瞳が青い。通常は金色。

 ——他種族の問題なんて関係ないけれど。嫌がらせ込みだとしても。孤立する恐怖を朝日奈がよく知っているのは間違いなかった。


「それで、このふざけた魔法はいつ解けるのかしら」

「放課後には解ける」

「そう」

「てかひよりんのお弁当ちょっとちょーだい?」


 お弁当を広げると朝日奈が手を伸ばしてくる。叩いてあげた。


「いったーい。ひよりんやばんじーん」

「高宮の料理は絶品よ。あなた如きに食べさせられないわ」

「へえ。ご主人様は高宮って言うんだ。天宮じゃないの?」

「……ちょっと。転生のときに色々あったのよ」

「ふーん。ひよりんあーん」

「え? あーん……」


 あまりに自然な流れで、朝日奈のパンを一口食べてしまった。


「はい今度はひよりんの番。あーん」


 やられたわ。口を開けて待っている。貰っておいて返さないわけにもいかない。


「……ほら。あーん」


 卵焼きを一つあげた。


「んー。確かに美味しいね。料理上手なご主人様だ」

「……まあね。あなたのほうはどうなの」

「絶望。あれは食べ物じゃない。しかも最近は毎日ぶっ倒れるまでお酒を飲んで。……魔法でなんとか繋いでいるけど、いつ倒れるか」


 朝日奈の声音は暗い。言葉で言うよりも、ずっと深刻そうだった。


「……放課後と言わず今すぐ解けと言いたかったけれど。魔力は残しておきたいみたいね」

「すまんねひよりん。恩に着るよ」

「……別に。気持ちはよくわかるもの」


 私も、毎晩同じようなことをしているから。


 もしかしたら人間とエルフの相性なのかもしれない。人間というのはどうにも不安定で、なのに眩しくて。放っておけない。


 朝日奈もそうなんだろう。ダークエルフがエルフに感謝したのだから。その主人を大切にしていることは明白だった。



          ✳︎



「疲れた……」


 放課後まで乗り切って、私は家のベッドに顔から倒れ込んだ。


 とてつもなく疲れたわ。いくら私が魔法に長けているといっても、節約にだって限度がある。


 それに慣れない学生。初めてのことばかり。エルフだって体力は無限じゃない。


 でも、今夜使う分は残せた。


 ベッドに顔を押しつける。高宮の匂い。


 高宮も疲れているだろうし、私がご飯を作っておこうか。でも大したものは作れない。買い物を済ませておくか。まずご飯を食べるだろうか。この間だって朝食べずに出ていった。人間になったからわかる。食欲が湧かないんだ。何なら食べてくれるんだろう。そもそも料理はまだできないし、何時に帰ってくるかもわからない。


「……早く帰ってこないかしら」


 いつも高宮と寝ているベッド。高宮の枕を拝借してみる。


 睡魔が襲ってくる。降参だった。

 今寝たらとても心地が良い。そう思えば抗えず、身体の力が抜けていた。

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