第8話 転職擬きと転入擬き

 いつぶりだろう。この緊張感。


 朝起きて顔を洗う。教えてもらった控えめメイクをして、レディーススーツに身を包んで、髪を纏める。慣れた男としての身だしなみではないから入念にチェックをして、家を出た。


 電車に乗って、着いた先は暫くぶりの会社。俺は今から地獄に戻ろうとしている。


 弱音なんて吐いていられない。今頃日和も頑張っているはずだから。


 気を引き締め直して、新たな一歩目を踏み出した。



          ✳︎



「つっかれたー……」


 会社から家への帰り道。こうやってとぼとぼ歩くのも久しぶりだった。


 面接の間、身体が一生強張っていた。


 二十七歳にもなって新卒みたいな受け答え。しかも女性としての振る舞い。必要なスキルは当然揃っているし、ぶっちゃけ楽勝だろうと、舐めていた。就職活動って大変なんだな……。


「ただいまー……」


 家に帰ると、いい匂いがする。


「おかえりなさい」


 髪を括り、エプロン姿の日和に出迎えられた。着慣れていないのが新妻感に拍車をかけている。


「……何してんの?」

「今日私先に出たけど、帰ってきたら朝ごはん食べた形跡がなかったから。ちゃんと食べなさい」


 説教混じりの日和。中に入ってスーツをほっぽり出すとちょっと遅めの昼食を出してくれた。


 白米に味噌汁。それと何品かおかず。


「お前が作ったのか?」

「ええ。お味噌汁だけ作ってみたわ。他は残り物。初めて作ったけど、高宮には遠く及ばないわね」

「……そっか。ありがとな」


 いただきますと、二人で食べ始める。日和の作った味噌汁は、及ばないと言いつつ美味しかった。


「高宮。本当によかったの?」

「ん? ああ。いいの。人間なんだから人間らしく。落ちたら落ちたでまた考えればいい」


 日和が言っているのは、「魔法を使わなくてよかったのか」ということ。


 ほぼ不法入国者みたいな俺たちは「天宮伊月」と「天宮日和」として身分を得ていた。


 どうやったかって? それは勿論魔法に頼った。


 やりたい放題だったな。役所だのなんだの順々に回ったが、日和の手にかかれば誰だって一瞬で洗脳される。そうして転職希望の社会人と、転入希望の女子高生として今日。それぞれ面接と試験を受けられていた。

 

「最低限って言ったろ。お前、ずるしなかっただろうな?」

「愚問ね。あの程度の試練私なら余裕よ」


 その割には結構勉強していた気もするが、言わないでおこう。

 

 ただ、日和がこういう性格でよかった。


 人間には畏怖の対象。魔法が認知されていないこの世界なら。やれてしまうことなんていくらでもある。


「高宮? どうしたの。体調悪い?」

「あ、いや。大丈夫」


 危な目な妄想が膨らみ過ぎてそう見えたのか、日和が隣に移動してくる。警戒心が足りない。四つん這いなせいで襟元が無防備だった。


「回復しておこうか?」

「いいって。大丈夫だから。……お前、急に過保護になるよな」


 タバコのときもそうだった。体調関連の話になるとちょっと過剰なくらい心配しだす。


「……悪いかしら?」


 気遣いを無下にされて日和が眉根を寄せる。


「いいや。日和のいいとこだよ」

「それなら、いい」


 ご満悦だった。


 ご飯を食べ終わると急激に眠気に襲われた。満腹なのと、思ったより疲れているのかもしれない。


 うとうとしていると日和がまた隣に、今度は正座をする。ぽんぽんと膝上を叩いた。


「……使えと?」

「眠いんだろう? 私も昔は母親にこうしてもらっていた。高宮はいつも寝つきが悪いし、寝れるときに寝たほうがいい」

「いやでも」

「寝ないなら打つわ」


 白く発光した日和の指先が向けられる。死ぬか寝るか。どんな二択だよ。


「わかったからそれやめろ」

「最初からそうしていればいいのよ。無駄に魔法を使わせないでほしいわ」


 日和は魔法を収めて再び膝上を叩く。


 本人がいいと言うのだから、お邪魔した。


「どう? 悪くないでしょ」

「ああ……」


 悪くないどころじゃない。毎晩この上で寝たいくらいだった。柔らかいし、何より暖かい。


「ありがとな、日和」

「……急に何よ」

「寝つきが悪いって言ってただろ? 実はこれでもよくなったんだよ。日和が来てから、なんか前より寝れるようになった」

「それはよかったわ」

「でもまた悪くなるかも。仕事が始まるし」

「なら、寝れなくなったらいつでも言いなさい。寝かしつけてあげるから」

「頼む……」


 頭をそっと撫でられる。心地良かった。

 

 不思議だ。日和といると、何も考えずに寝れる。今も、睡魔に逆らうことなく眠りに入れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る