第3話 同期は勘が鋭い
うるっさい。どれくらい続いているのか、鳴り響くインターホンに起こされてまあまあ血管が浮き出そうではあった。
目を開けると隣で見知らぬ、ではなかった。知ってる少女。ヒヨリがぐっすりと寝ている。これで起きないなんて、一度寝たらなかなか目を覚まさないタイプなのか。それはともかく、未だに外でインターホンを連打されているから、宗教の勧誘かなんだか知らないが帰っていただこう。
「はいはいはーい。そういうのは間に合ってまーす」
玄関を開けたことを後悔した。
「え? どちら、さま……?」
時間が止まっていた。目の前の女性は驚いて、俺は思考が停止する。
人当たりの良さそうなほんわかした女性。ゆるりとまとめた髪に天然そうな童顔。
会社の同期の依川さりな。困ったことに、付き合いが長くて下手な言い訳が通用しない相手だった。油断した。
「いつの間に彼女を……」
「ち、違う! ますよ! 伊月、君の。友達さん? ですかね? えーっと……。そう! 親戚で。ちょっと泊まるとこに困ってたから、お邪魔させてもらってます……」
「ふーん……」
かなり苦しい。確実に怪しまれている。でも姉や妹、その辺りの言い訳は使えない。そんなのいないことを依川は知っているし、だった今勢いで彼女であることは否定してしまった。
「あの、どんな御用件で?」
「ああ。高宮君一昨日かなり飲んでたから。もう日曜の昼なのに、連絡しても一向に返事返ってこないし。大丈夫かなーって思って」
言われてみれば。ほとんど寝ていた。
「それなら大丈夫ですよ。もう体調も戻ったみたいなので」
「そう、ですか。ところで高宮君います?」
「え!? いや、今はいないですね……」
「……本当に?」
非常にまずい。変に動揺したせいで依川の抱いた疑念が膨らんでいく。
「ちょっと買い物に出かけてるので。あーそうそう、帰ってくるの遅いって言ってました」
「高宮君。日曜は絶対家にいる人間だったと思うんだけど。月曜の憂鬱に備えて」
「たまにはそうじゃない日があってもいいんじゃないんですかねー!?」
「いや、二日酔いで休みは実質一日。ありえない」
「…………」
その通り過ぎて口を噤むしかなかった。なんとか言えよと詰め寄って催促してくる。どうしよう、マジどうしよう……。
「伊月。もう大丈夫か?」
こんな危機的状況で、一番出てきたらいけないのが、最悪なタイミングで現れてしまった。
瞼を擦りながら寝ぼけたヒヨリが呼んでしまった。「伊月」と。
✳︎
正座なんて人生でしたことあっただろうか。ローテーブルを挟んで依川と向かい合っていた。もうかれこれ十分くらい。
流石にあの流れで帰ってはくれなかった。名前を口にした当の本人はベッドに座ってあくびをかましてくれている。大きく開いた口を塞いでから、唐突に沈黙を破った。
「そこの女」
「……なんですか」
ヒヨリは依川に指を差し向けた。まさかこいつ……。
「ひゃっ!?」
そう思った時には遅かった。依川のスカートが上へ上へとひらめく。
「ちょっ! なにこれ!」
「ただの魔法だ」
必死に押さえつけてもスカートは舞い上がる。今日は白だった。世界一要らない情報。
物理法則に抗うスカートはヒヨリが指を下ろすと重力に従うようになった。
「初めまして人間。元エルフのヒヨリだ。よろしく」
相手の疑問や戸惑いを一切無視した自己紹介。更に依川の困惑具合が加速していく。もう、言ってしまったほうが楽か。
「依川。その、だな。……俺が、高宮伊月なんだよ。こんな見た目だけど」
「可愛い子って可愛いだけで冗談が面白くないのよね」
まるっきり信じていなかった。まあ言ってることはわかるけども。
「依川。お前、一昨日は帰ってから更に飲み直しただろ。一人で映画見て号泣しながら」
「な、なんでそれを」
図星か。
「それから、昨日は仕事してたな。送ってきてたメッセージがどれもうざい」
「しょうがないじゃん! 休日でも仕事しちゃってる自分とさせる会社にイラついちゃうの! てかそれ高宮君のスマホ!」
ぴしっと指を差す先には俺のスマホ。自分の所持品なのだからなんの不思議もない。
「どうしても信じられないって言うならなんでも聞いてくれ。全部答えられるから」
淀みのない言い方に依川も少し考える。
暫し時間を置いて、覚悟を決めたのか俺が知っている限りでは最悪なのを聞いてきた。
「私の人生の分岐点は?」
「大学二年。顔だけヤリチン野郎のストーカーをやめたとき」
「高宮君だあ…………」
即答されて依川は頭を抱える。抱えたいのはこっちなんだけど。
それにしても、疑わないのか。
「俺が言うのもなんだけどさ、高宮伊月が俺にばらしたとは思わないわけ?」
「高宮君は、そういうこと人に言わない……」
謎に信頼があった。萎れて突っ伏す依川は声まで萎れてながらも、はっきりと言う。嬉しいは嬉しいけど、そんなに信じていいのかとも思う。
「なにー? どゆことー? 高宮君女の子になっちゃってるじゃん。そっちの人も本物エルフなのー? あ、元だっけか」
「らしいよ。俺もよく知らんけど。転生したんだってさ」
「転生するのこっち側じゃねーのかよ」
「あー。よく覚えてないけど、俺死んで。で、断ったらしい」
「……それは、納得だ」
依川は控えめに雄叫びを上げて後ろに寝転がる。
「それで? 高宮君これからどうするの? そんな身元不明の女の子抱えちゃって」
「それな……」
「仕事だって。まああんな会社辞めたっていいと思うけど、稼ぎはなくなっちゃうし」
「それな…………」
「てか高宮君も身元不明じゃん。……どうすんの?」
「それなー…………」
考えないようにしていたが、そうなのだ。もう高宮伊月ではないし、明日からの仕事にもいけない。ここでまあいいや、とできたならよかったが、染みついた社畜精神が頭を悩ませる。
途方に暮れる中、ヒヨリが「一ついい?」と声を上げた。
「私、学校に行きたいわ」
ちょっとは、空気を読んでほしかった。
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