第2話 脚で使われるのも悪くない

 これは昨晩? と言うと厳密には違うらしいが。俺の、人間の感覚的にはまあ昨晩の話だ。


 突拍子もないが、昨晩俺は女神に会ったらしい。なんでも、死んだのだとか。他人事のように聞こえるかもしれないが、もはや他人事だった。自分がもう自分で知っている高宮伊月じゃなくなっていたから。


「本当はあなたも転生するはずだったんだけどね」


 少女、もといエルフ、もといヒヨリは真面目腐って言う。

 大人になりかけのあどけなさ。やっぱり未成年。ほぼ金色の髪に、丸く可愛らしくも曖昧な気力の宿った瞳。でもどこか落ち着き払っていて決して子供っぽくもない。


 取り急ぎ服は着せたが、ぶかぶかだった。かくいう俺も、肩が出てしまって自分の服なのに着心地が悪い。


「俺はどうして転生しなかったんだ?」

「あなたが嫌がったから」

「あー……」


 拒んでも、まあ。おかしくはなかった。


「でも女神様としては何もしないわけにもいかない。だから生き返らせた。その姿はおまけね。あなたの理想を叶えたそうよ」


 理想、では確かにあった。長い黒髪に、影のある目元。そこにかかる前髪。顔つきは薄くて、理想の美人。それに胸もちゃんと薄い。


 一度も口外したことのない、他人ではなく自分に求めていた理想。それがわかってしまうのは女神様だから。なんだろう。


「因みになんだけど。どんな死に方したんだ?」

「階段から落ちて死んだらしいわ。細かくは聞いてないけど、首が百八十度曲がってたって」

「いやグロ!? てかどう落ちたら百八十度曲がるんだよ!」

「さあ。オークにビンタでもされたんじゃない」


 ヒヨリは聞き慣れない単語をすっと口にする。


 転生だとか女神だとか。信じるのはそう簡単ではない。でも俺は信じていた。今の姿もそうだか、何より。信じなければならないものをヒヨリは見せた。


 洗面台の吐瀉物。あれを一瞬で消してみせたのだ。聞いたら魔法だと教えてくれた。イメージしてるような詠唱とかもなく、手をかざして、青白い光を放ったらもう消えていた。


「思ったんだけど。生き返ったのに俺は二日酔いなの? そこら辺リセットされないの?」

「女神様がやったのは首の修復と、魂への干渉。それによって姿を変えているから、健康状態にまでは手を加えていないってことでしょうね」

「不親切なことで」

「生き返っただけ有難いと思いなさい」

「そうは言われても、ね……」


 生き返ったところで。

 死んだ俺は女神と話して、死を受け入れて、転生を拒んだ。それが答えだ。


「まあそれはいいとして。転生先おかしいだろ。なんで俺の家なの」

「あなたが奴隷だから。ねえ、奴隷にしては頭が高くない?」

「……は?」

「奴隷は跪くものでしょう」


 床に座るヒヨリはベッドに腰かける俺に退けと足だけで命じる。着てるのはシャツ一枚。すらりと伸びた足とその更に奥まで見えそうだったが、今気にならなるのはそこじゃない。


「どうしてそんなに偉そうなんだい?」

「私が主人だから」

「ここ俺の家。お前は転生不法侵入の一文なし。立場、逆」

「わかっているわ。ちょっとした挨拶よ」


 ヒヨリは立ち上がると無言で近づいてくる。わからされる……! と肝を冷やしかけたが、ヒヨリは何もしなかった。何もせず、ベッドに横になっていた。


「何をされてる?」

「眠くなったら寝る。それが人間でしょ? あなたも体調が悪いのだから寝たらどう?」

「ならそこ退いてくれ」

「いやよ」


 全くわかっていなかった。仮にも居候の身でこの我儘っぷり。奴隷はもう懲り懲りなんだけどな。


「初対面の男と添い寝とかとんだビッチですこと」


 俺も横になった。思うところはありまくりで憚られたが、やっぱり横になりたかった。寝たい。もう頭が痛くて耐えられない。


「あら。あなたも女の子じゃない」

「……そうだったな」

「それと、奴隷は私」

「ふへへ、たっぷり可愛がってやるぜ」

「奴隷は言い過ぎたわ。居候くらいね」

「小芝居はスルーですか……」


 ヒヨリは徐に髪を触ってくる。特に可愛がられにきてはいなかった。異世界エルフにはしっくりこなかったのかもしれない。


「こっちの世界はルールとか厳しいから。同居人をあてがってくれたの。女神様が」

「常識知らずのエルフを養えってこと?」

「そういうことよ。改めてよろしく、高宮」


 目の前に微笑む少女。正直可愛かった。若草色の瞳がどうにも神秘的で、目が、離せない。


「どうしたの? 惚れちゃった?」

「惚れてはないけど。瞳、綺麗だと思って」

「ありがとうと言っておくわ。おやすみなさい、伊月ちゃん」

「……おやすみ」


 歯痒い呼び方。わかってあえて言ってそうだった。


 俺も目を閉じる。細かいことは明日の自分に任せよう。


 意外なことに、眠気が襲ってくるのが早かった。酒には頼ってないどころか激しい頭痛。寝つきが悪いことにもう数年は悩まされているのに。


 いつぶりかの安らぎの中、俺は気づけば深い眠りについていた。



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