第5話 赤ワインのパフェ
もう十一時だった。職場の飲み会が終わって、二次会まで参加して、明日も休日だけどさすがに三次会はやめておこう、という雰囲気になって解散。混んだ電車で最寄り駅まで運ばれて、ふわふわと歩いている。
まだ飲み足りない気がする。
コンビニで強めのサワーでも買おうかな。さすがにやりすぎかもしれない。でもなんとなく、ふらふら普段と一本違う道に進んだ。
『喫茶もかもか 17:00~25:00』
「ええ?」
ふと見かけた看板に、笑いが漏れた。こんなところに深夜まで営業している喫茶店? 素面なら笑ったりしないだろうけど、なんだか面白くなってしまう。ふわふわしたまま一見民家みたいなお店に入る。本当に民家だったらどうしよう、と、酔っぱらった頭で一瞬疑って、くすっとする。
「いらっしゃいませ」
夜にふさわしい静かな声で出迎えられた。いくつかのテーブル席とカウンターの小さなお店。カウンターの下には何か丸いものがある。
「犬……?」
眠りかけていたのか、ふわふわの毛玉めいた犬がふさふさの尻尾を揺らして、薄目でこちらをちらっと見た。ごろんと寝がえりを打つ。好きにしますよ、という態度が可愛い。
カウンターに座って、お水とメニューをもらった。ちらっと見えたガラスケースには焼き菓子がまだたくさんあった。何か甘いものを食べるのもいいかもしれない。ちょっとしたもので酔いを冷まそう。
『赤ワインのパフェ』
という文字が、目に飛び込んできた。パフェはさすがに重い。飲み会ではしっかり飲んだししっかり食べた。締めの焼きそばも食べたし……。
「パフェください」
でも、そう言っていた。
「はい。かしこまりました」
店員さんは静かに言うと、水を注いでくれた。コップが大きめでガラスが厚くていい。ごくごく飲んで待つ。
犬は眠ったまままた丸まり、丸くカットされた尻尾がふわふわと揺れている。まだ酔っているので、その姿を見ているだけでも楽しくなる。犬の尻尾が揺れても楽しい。ふふ。ふふふ。
カウンターにぺたんとなって犬を見ている。ふわふわ。ふわふわ。尻尾の動きは弱まって、やがて止まった。完全に寝入ったのだろう。店には音楽がなく、カウンターの中で作業している音が微かに聞こえる。さっきまでの居酒屋の喧騒が嘘みたいだ。
飲み会楽しかったな。
今時職場の飲み会なんて流行らないのかもしれないけど、私は飲み会が好きだ。毎週あったら嫌気もさすだろうが、年に何回かだから結構参加率もいい。私は地味な人間のくせに、騒がしいのが好きなのだ。騒がしい場所に出向くのではなく、普段静かな職場の人が騒がしくなるのが好きだった。そう考えてみると、結構迷惑な好みだな。今日も、普段話さない後輩にたくさん話しかけた。相手は楽しそうに、見えたけど。見えた、けど。けど。
はあ、と、ついたため息はお酒くさく重ったるかった。そう自覚すること自体、酔いが醒めかけている。
まただ。
飲み会は楽しい。はしゃいでしまう。はしゃいだ後で、でもいつも、落ち込む。何か誰かに不適切な発言をしたり、みっともないふるまいをしたかもしれない。お酒を飲み始めてからもう結構経つのに、いまだにほどほど、が出来ない。泥酔するようなことはさすがになくても、小さなやらかしがなくならない。楽しい、と、うまく付き合えない。楽しいことには代償がある気がする。なんだか酔っぱらったまま初めてのカフェに突撃して、あまつさえパフェなんか頼んでいることも、調子に乗りすぎだと思う。さっさと食べて、さっさと帰ろう。非日常はさっと終わらせないと、明日に残る。どうして上手にはしゃげないんだろう。ほどほどに。日常にさっと溶け込ませるように、急に高いところからジャンプして膝が痛いみたいなはめにならないように。
「お待たせしました」
ぐるぐるした思考をもてあそんでいると、パフェがやってきた。
「おおきい」
つい声が漏れていた。あ、と思ったけれど、店員さんは何故だか、少し得意げに微笑んでいた。
「はい。こちらは赤ワインのソースです。ごゆっくり」
背の高いパフェグラスと、赤いソースの入った白いソースポット。パフェのてっぺんには薄い丸いクッキーが刺さっていて、ふらっとそれに手にとって、齧った。
チーズだ。
しょっぱくて香ばしい、チーズのクッキーだった。ほとんど甘みがない。長いスプーンでパフェのアイスを掬って口にする。
これもチーズ。
クリームチーズのアイスだ。滑らかで、ほんのりした酸味がミルクの味を引き立てる。優しいアイスだ。ソースを少しかけて、クッキーと一緒に食べると複雑な味わいになる。大人のパフェ。
ソースよりも風味の軽い滑らかな赤ワインのゼリーと、苺のシャーベット。新鮮な苺の果肉。スプーンを進めると、メレンゲのクッキー。軽くてさくさくとした食感を楽しむと、次は硬いクッキーが砕かれたもの。これは甘くてチーズの味がする。ナッツも入っている。
美味しい。すごい。次は何だろう、と、思っているうちに、大きいパフェグラスは空になっていた。お腹はいっぱいで、喉がまだアイスの余韻で心地よくつめたい。お店は静かで、可愛い犬は丸まって眠っていて、店員さんはカウンターの中で作業をしている。とても静かで、調和がとれていた。私もまた、その調和のなかにいた。客として、ただ、当たり前の存在として、パフェを注文して、楽しんでいた。
いいんだ。
すとん、と、腑に落ちる、という感じで、そう思った。
好きに楽しんで、いいんだ。多分。はしゃいだっていい。私が一人はしゃいで、楽しんだって、大したことじゃない。何も言われてないのに帳尻をあわせようと落ち込んだり、しなくていい。好きにすればいい。そのぐらいのことは全部許されている。
酔いはもう醒めていたけれど、楽しみとおいしさの余韻が、ほんのりと静かな店内に漂っていた。優しい夜。もう少しこの中にいたい。お腹が冷えたから、あたたかいものを一杯頼んで、ゆっくり飲もう。コーヒーか、紅茶。ハーブティーもいいかもしれない。
ぼんやりうっとり悩んでいる。悩むことさえ楽しい。視界の隅で丸い尻尾が、ふわふわ優しく、揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます