第19話 彼女の正体は

 明くる日。

 みんなが憂鬱になる月曜日が訪れた。俺もその一人なわけで、今日も今日とて朝から弁当を作る。

 弁当を作り終えたら次は朝食、今日はパンとベーコンエッグだ。

 母さんと夏美が起きてきたので三人で朝食をいただく。うむ、白飯もいいがパンで始まる朝もいい。

 朝食を食べ終えて支度をし、俺は家を出た。

 今日もいい天気だ、こういう日は本当に気持ちがいい。

 ただ、脳裏を過ぎるのは立花さんの存在。

 いつどこで仕掛けてくるか分からないため、気が抜けた今、再び気を引き締める。

 そんなのが何度もあるために、気疲れを起こしている。

 自然と出るため息。

 はあ。立花さん、諦めてくれないものか。

 非鳥が危険とはいっても俺は別にこの力を悪用しようとなんて考えてはいない。

 まあ、怪異との戦闘ではこの力を大いに活用させてもらってはいるのだけれど。

 家を出て数分後、いつもの幽霊十字路に辿り着く。

 少しだけそこで待っていると、久理子が快活な足取りでやってくるのが見えた。

 軽く手を振ると久理子は元気いっぱいに手を振ってくる。可愛いやつ。


「おはよぅ!」

「おはよう」

「さあ行こう! 今日の気分は最高!」

「さいこーなだけに?」

「さいこーなだけに!」


 ふふっ、くだらないなと思いつつちょっと笑っちゃったじゃないか。

 月曜日だというのに久理子はいつも元気いっぱいだ。

 その元気をわけてもらった気がして、俺のほうもそこはかとなく元気になった。

 そうして、俺達は学校へ向かって歩き出した。


「あれから小鳥遊さんはどうよ?」

「んー、やっぱりお母さんのほうは大変だけど、それなりになんとかなってるって感じ?」

「そうか……」

「学校だとわたしとよく一緒にいるようになったの、前より仲良くなったかな!」

「それはよかったな」

「うんっ」


 満面の笑み。

 久理子と小鳥遊さんはいい友達関係を今後とも築いていきそうだ。

 とてもいいことだと思う。

 そんな彼女を、登校中に見かけて久理子は早速声を掛けた。


「おはよー!」

「よう」

「あ、おはようっ」


 小鳥遊さんの顔色は前よりよくなった。

 全体的に快活にもなった気がする。コウトリバコの効力が切れたことで彼女の魅力もなくなったらしいのだが、おそらくこれからまた、彼女は自身が元々持っている魅力を引き出していくことだろう。

 そうすればまたクラスでカースト上位にまで上り詰めるのではないだろうか。


「元気か?」

「うん、元気」


 小鳥遊さんの柔らかな笑顔。

 体調が良くなったが故の、笑顔だと思う。

 しかし、彼女の母親は体調を崩してしまった。

 今と前、どちらが小鳥遊さんにとって幸せなのだろう。

 俺は、今でも彼女の幸せをただ奪ってしまっただけなのではとか考えてしまう。

 しかし今は祈るしかあるまい。小鳥遊さんのお母さんの体調がよくなることを。

 それくらいしか、俺には出来ない。

 そうすることしか、俺には出来ない。たとえ非鳥という強力な力を持っていても、無力なもんは無力だ。

 それと二人には俺の現状は話していない。

 立花さんに今後、何かしらの攻撃を受ける可能性――それについて話したところで二人には不安を与えるだけになる。

 だったら、これは自分の中にしまっておくべきだ。

 不安を抱くのは自分だけでいい。

 学校へ到着し、いつもの退屈な授業が始まる。

 多分、こういう時は安全なんだろうな~。立花さんも仕掛ける時はきっと、時間や場所はそれなりに弁えるはず――って、どこにそんな根拠があるのやら。多分……弁えてくれる、と信じたい。

 ちなみになのだが。

 俺の学校生活は少しだけ変化した。

 休み時間や昼休みになると、久理子の他に小鳥遊さんも一緒についてくるようになったので少し賑やかになったのだ。

 そうして今日も学校は無事に終わる。

 何ごともなく終わることに軽く安心している。

 そんな日々を数日ほど繰り返した。

 木曜日。

 今のところ、平穏な日々を送れている。

 立花さんにはまったく会っていないが、本当に仕掛けてくるのかと疑問に思えてきた。だってもう今日もぼちぼち夜を迎えている。あと数時間で金曜日だぜ。

 まさか忘れてるんじゃないだろうな?

 晩御飯を食べ終えて一息つく。


「……そういえばたまご、買い忘れてたな」


 ふと思い出して、俺は家を出た。

 夜の八時を過ぎている、もしかしたら今日はもう立花さんは仕掛けてこないかもしれない――なんて考えながら、夜の買い物がてらの散歩である。

 スーパーへの道中。

 月夜と街灯が照らすひと気のない道。

 少しだけ、緊張はする。立花さん、仕掛けてこない……よな? 

 ちょいと不安になりつつ歩いていると、数メートル先――電柱の近くに人影を見つけた。

 それも、うつ伏せで倒れている状態――何かあったのかと思い俺はすぐに駆け寄った。


「だ、大丈夫ですか……?」

「うっ……」

「えっ、立花、さん?」


 倒れている人物は、立花さんだった。

 なんだか、思いもよらない再会の仕方。


「や、やあ、きみか……」


 立花さんの体を起こして、塀に凭れさせた。

 頭部を打ったようで、右こめかみあたりを立花さんは痛そうにおさえていた。出血もしている、傷はそれほど深くはなさそうだ。


「一体、何があったんですか?」

「ふふっ、面白いことが起きてね」

「面白いこと?」


 立花さんは懐から煙草を取り出して、火をつけた。

 それよりも今は治療のほうを優先したほうがいいのに、彼女にとっては喫煙も治療の一環であろうか。


「そろそろきみに攻撃を仕掛けようと思ったのだけど、どうせなら人質をとろうと考えたわけなのだよ」

「人質を……ですか」

「我ながら、卑怯者なのでね~」


 人質にとられて困るとなると俺の知る人物――真っ先に思い浮かぶのは久理子、だが。


「でも――失敗した」

「失敗? はあ……」


 状況が中々飲み込めない。

 失敗したからには、俺にとっては喜ぶべき結果なのだろうけど、それで何故このような状況になっているのやら。

 首を傾げる俺に、立花さんは小さなため息をついて微笑を浮かべる。


「まいったよ、ああ、まいった」

「何があったんですか?」


「いやね。その人質のことなんだけど、きみの身近にいつもいる古月久理子ちゃんを人質にしようとしたわけなのだよ」

「久理子を……? それで……どうして失敗に終わったんです?」

「彼女、怪異だった」

「……は?」


 今、なんて言った?

 立花さんは、なんて言ったんだ?


「だから。彼女、怪異だよ」

「怪異、だって……?」


 おいおい、何を言ってるんだこの人は。

 久理子が、怪異?

 そんな馬鹿な。

 あいつは、俺の幼馴染だ――怪異なわけがない。


「ふふっ、きみも知らなかったのか?」

「……どう、いうことですか」

「なに、ただの事実だ。彼女は怪異で、わたしは彼女を人質に取ろうとして失敗した。ただそれだけの事実なんだよ」

「あいつは、俺の幼馴染です。怪異なわけが、ない」

「本当にあの子はきみの幼馴染かな? その記憶は正しいと言える?」

「い、言えます!」


 あいつは確かに、俺の幼馴染だ。あいつとの思い出もたくさんある、俺の記憶が、あいつを幼馴染だと、証明している。

 立花さんはよいしょっと声を上げて立ち上がった。


「立って大丈夫なんですか?」

「ああ、立つくらいは大丈夫だ」


 ふらつきはしつつも、出血は止まっている。重傷では、ないようだ。

 歩こうか、という提案。素直に乗るとする、この人の話も気になるし。

 どこへ向かうかはまたこの人に任せよう。とりあえず今は、戦う気はないようだ。


「本当に、あいつは……怪異なんですか?」

「ああ、そうだよ。間違いない」

「どこからどう見ても、普通の人間じゃないですか」

「怪異は見た目だけで判断するものじゃない。きみはもっと怪異について知ったほうがいい」

「結構、知ってるつもりではあるんですけどね……」


 でも思えば俺が怪異に詳しいことといえば、食べられる怪異に関してのことだ。

 その他の怪異は、あまり知らない。


「きみについては調べていたんだ。特にきみの周りの人間については。先ずは敵を知らなければならないからね」

「まるで探偵みたいですね」

「副業で探偵もしている、これがあんまり儲からないんだよね~」


 色々な事業に手を出しているような気がする。

 そして、色々な人にも、手を出していそうな。


「きみの友人関係は当然調べたわけだが、古月久理子に関してはよく分からなくてね」

「よく分からない?」

「ああ、存在はしているのだけど、なんだろうね、それだけといった感じで……いやあ、謎の多い子だよ~」

「そうですかね……?」


 久理子に関しては、なんでも知っている。

 好きな食べ物は唐揚げで。嫌いな食べ物はピーマン。

 趣味は花を育てること。

 いつも笑顔で明るいやつで、あいつはみんなに好かれている。


「きみの学校も調べたんだがね、県立森青学校に、あの子は在学していないよ」

「は……? な、何を言ってるんですか?」

「事実をだよ。ちゃんと調べたんだ、あの子は、在学していない」

「いやいや! 俺の隣のクラスにいますよ!」

「きみはあの子がそのクラスで授業を受けていたところを見たことはあるのかい?」

「それは……」


 ――ない。

 隣のクラスに入っていくところは何度か見たけど。

 言われてみれば、そうだ。学校であいつの姿を見かけるのは、休み時間と昼休みと放課後だけだ。


「でも、たまたま見なかっただけ、という可能性も……」

「他の生徒にも聞いてみたよ。みんなが言うんだ、あの子は隣のクラスの子だと」

「みんなが……だって?」


 どういうことなのだろう……。

 俺の所属するクラスは六組、久理子は五組のはずだ。

 それなのに、みんなが隣のクラスって言うだと? じゃあ久理子はどのクラスに所属してるっていうんだ?


「――じゃあ、彼女はどのクラスに所属してるんだろうね?」


 俺の思考と同じことを立花さんはつぶやく。

 その答えは、分からない。

 立花さんは軽く振ら付き、歩くのがやや辛いのか、塀に凭れた。

 ただひたすらに歩くのもなんだし、立ち話をここでするとしよう。


「そういうわけで人質にするがてら彼女に話しかけたわけだが、見事に返り討ちにあったのだよ~」

「それは、残念でしたね」

「ああ、まことに残念だ」


 俺としては少しほっとしているが。

 久理子を人質に取られたら立花さんになんでも従うしかなかっただろう。

 けれども。

 けれども、だ。


「……久理子は、何者なんですか?」

「だからさっきも言っただろう? 怪異だよ怪異」

「怪異、といっても……」

「んー、ほぼ人間と変わりないような怪異というのは、珍しいものだねえ~」


 俺は全然気づかなかった、あいつが怪異だなんて。

 そういう感じも、しなかった。

 古月久理子は俺の幼馴染――ただその事実だけが俺の中で強く主張している。


「おそらく、おそらくだが……狐の怪異じゃあないかな」

「狐の……?」

「そう。それも人の記憶に化ける怪異だ」

「記憶に……ですか」

「聞いたことがあるのだよ。人に記憶を植え付けて、その人の身近な人と認識させる怪異をね。わたしも仕掛けられたが、流石に見破れたよ」

「どうやって見破ったんです?」

「わたしの友達としての記憶を植え付けてきたんだけど……わたし、友達いないからね、矛盾にすぐ気が付いた」

「あ、そ、そうですか……。でも、じゃあ、俺の、場合は……」

「ああ、彼女はきみの幼馴染という記憶をきみに植え付けたわけなのさ」


 立花さんは煙草を吸い終えるや新たな煙草を取り出して火をつけた。

 人に記憶を植え付ける怪異――それが、久理子?

 いやしかし、そんな馬鹿な。

 ただ、俺はじいちゃんの教えを思い出す。

 気づかないうちに身近に潜り込んでくる怪異が一番危険――まさに久理子が、そうなのだとしたら。

 危険な怪異、なのだとしたら。


「そんな、馬鹿な……」

「きみの記憶の中で何か矛盾することはないのかい? それか誰か他の人がきみと彼女の関係について疑問に思った人物は?」

「……」


 記憶を思い返す。

 久理子との、思い出を。

 幼い頃から一緒によく遊んだ。

 近所の公園で、一緒にぶらんこを漕いだり、靴投げをしたり、かくれんぼをしたり、楽しい遊びをいっぱいやった。

 じいちゃんの家にも遊びに行ったり――じいちゃん、そういえば、久理子のことを分からなかった、んだよな。

 まさか。

 ……そんな、まさか。

 あっ。

 待て、待てよ。

 それに、だ。

 幼い頃は、休日に父さんによく山に連れていってもらってサバイバルをしていた。友達と遊ぶのは、平日のほうが多かった。久理子と休日、一緒に遊んだ記憶は――なんだか、妙だ。それに休日の記憶が、ダブっている。なんだ、これは。

 ――矛盾が、生じている。

 ……おいおい。

 マジかよ。

 マジなのかよ……。


「でもそうだとしたら、どうしてそんなことを……」

「さあねえ。それは彼女に聞かないと分からないね」


 ふー……と、立花さんは深く吸った煙草の煙を夜空に溶かした。

「ただ、わたしが彼女に接触したことで、彼女は何か誤解をしてしまったようでね。多分、自分の正体がばれたと思って襲ったのだろう。いやー不覚をとったよ~」

 俺としてはそれについては安堵しているが、あえて表に出すまい。

 なるほど。状況が見えてきた。

 まとめると、立花さんが俺に仕掛けるために久理子を人質に取ろうとしたところ、久理子は自分の正体がばれたと思って立花さんを攻撃した――。

 そういう話らしい。

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