第5話 怪異専門家

 時刻は夜の七時前。

 母さんは今日も仕事が長引いているのか帰ってくる気配はまだない。

 夏美も帰宅が遅れているようだが流石にそろそろ部活を終えて帰ってくるはずなので、晩御飯の支度をぼちぼちしなくてはならない。

 ――のだが、食材がない。買い物をするのを忘れてしまっていた、なんという凡ミス。考えごとが多い日だったから、食材のことが頭から抜けていた。

 そんなわけで俺はやや急ぎ足でスーパーへと向かっている。

 途中、よく行く本屋にちょいとだけ寄り道。レシピ本なんかをよく買っていてすっかり常連となって店員さんと仲良くさせてもらっている。

 軽くレシピ本を見て、よさそうなのを一冊買っていざスーパーへ。

 住宅街の中に店を構えるスーパー井上屋はそれほど規模は大きくないものの品揃えが豊富で、夕方は特に主婦たちで溢れかえっている。

 大手スーパーが目と鼻の先にあるものの、長年押し負けずに営業できているのはやはりこの品揃えの良さと安さがあるからであろう。


「さて、と」


 スーパーへ入り、精肉コーナーへと足を運ぶ。

 お目当ての品は鳥軟骨と牛豚合い挽き肉。それらのパックを二つ手に取り、おっと忘れてはいけないたまねぎも購入。

 調味料は大体ちゃんと補充してあるので買う必要はない。

 迷うのはお菓子やアイスだ。買いすぎると母さんに怒られるし何より生活費として渡されたお金を俺の食欲で消費するのはいかがなものか。

 いかがなものか。

 おひとついかがなものか。

 一つくらいいいか。

 気が付けばお菓子コーナーでポテチを手に取っていた。うん、まあ、これくらいならいいだろう。いいだろうよ。

 その他には特売品などが目に入り、あれよあれよと買い物かごへと商品が放り込まれていく。

 買い物を済ませて、買いすぎたかなと思いつつしかしいい買い物だったという充実感が俺の心を満たす。買い物は大好きだ。

 ウキウキで家路につくと、その道中にて見覚えのある人影が目に入った。


「あれは……」


 日が暮れているのもあって、頭の中に浮かんだ人物との照合は、確定できていないものの何かから逃げるような足取りが気になる。

 ……追ってみるか。

 買い物袋ががっさがっさと動いて煩わしいが我慢して少し駆け足で後を追った。

 住宅街を通り過ぎたこの先は、確か神社があったはず。あの人影もそこへ向かったか?

 住宅街の端のほうであるためにひと気はほとんどなく、街灯が少なく薄暗い。

 人影が神社のほうへと入っていくのが見えた。

 ――上川神社。

 敷地内は木々が多くまるで神社を隠すかのように生い茂っており、やや小さめの鳥居は少々年季が入っているために本来は艶やかさがあったであろう赤色はすっかり色あせていた。

 時間も時間。薄暗いのもあって、雰囲気は一丁前にいい。

 ぱっと見たところ、怪異の気配はなし。どこかにはいそうなのだが。

 鳥居をくぐり、石畳の参道を進むと見えてくる拝殿――その近くには人影があった。

 木陰でうずくまっている。

 震えているようにも見える。


「大丈夫?」


 そっと駆け寄ると、その背中はびくんっと上下する。


「……は、羽島くん?」

「やあ。さっき偶然見かけてね」

「そう……」


 いつもの優しさ溢れる笑顔はややひきつっている。

 衣服は乱れていて、彼女は慌てて服装を整えていた。


「何かあったのか?」

「えと、その……」


 言いづらそうに小鳥遊さんは口籠る。

 拝殿の近くには木製のベンチが置かれている、俺はそこへと視線を移し、


「とりあえず、座る?」

「う、うん……」


 こんな暗い場所よりも拝殿の近くのほうが明るい。

 場所を移して、ベンチへ彼女を座らせた。

 俺も買い物袋をベンチへ置いて、とりあえず彼女の隣へ座る。

 小鳥遊さんは、普段着であろうか。白を基調とした清潔感あるワンピースだ。よく似合っている。


「それで、何があったんだ?」

「その……」


 体が震えている、怖いことでもあったのだろうか。

 ……あの箱絡みか?


「か、怪異の専門家の人に相談したんだけど……」

「専門家に? どうだったんだ?」

「その人は、儀式が必要って言って……」

「儀式……」

「わ、わたしの体にいやらしいことを……」

「おいおい、マジかよ」

「でも、途中で逃げ出したから、未遂には終わったの」

「そうか……」


 震える彼女に何をしてやるのが正解なのか。

 優しい言葉をかけるにも、ただの気休めにしか過ぎないかも。


「家族にこのことは?」

「話してない、心配かけたくなかったから」

「あの箱はどうした?」

「あっ……あの、専門家の人のところに、置いてきちゃった……」

「専門家っていうよりも……詐欺師だよな」

「そう、かも」

「そうだよ。だって何も解決してない上にきみの体を求めてきたんだろ?」

「ん……そうだね」


 この場合はどうすればいいのだろう。

 とりあえず警察に相談? といってもどう相談すればいいのやら。あの箱の説明から入るのか。信じてくれるだろうか。

 少し考えていると、お隣から何やら可愛らしい音が鳴った。

 くぅ~といった、音。

 なんとも、可愛らしい。

 確かに、隣らしい、音。

 隣を見てみると小鳥遊さんは頬を赤く染めて俺と反対側の、右側を向いていた。ちなみに右側には林しかない。


「お腹減ってるの?」


 言われて、俯く小鳥遊さん。


「じ、実はまだ夕食を食べていなくて……」

「それなら、うちで食ってくか? ここから近いぜ」 

「えっ、そんな……悪いよ……」

「いいって、どうせ食材余るしさ」


 スーパーで買ったひき肉たち。

 こいつらはちょうど三人前にはならない、少し余るのだ。余ったのはいつも冷凍して後日、何か思いついた料理に使うの繰り返しだが余らないに越したことはない。


「じゃあ、行くか」

「でも……」

「落ち着けるまで、ゆっくりしていけよ」

「あ、ありがとう……」


 そんなわけで、俺達は腰を上げて向かうは我が家へ。

 道中はなるべく何気ない世間話を振って、彼女の気を楽にさせるよう専念した。とはいっても、自分はそれほどたいした話術を持ち合わせているわけもないので、覚束ない世間話となってしまったが。

 しかし話しているうちに、少しずつ小鳥遊さんの表情には笑顔が戻りつつあった。


「さあ、どうぞ」

「お、おじゃまします」


 ぺこぺこと頭を下げながら、彼女は我が家へと入っていく。


「――兄さん、遅いです」


 たたたっと廊下の奥から駆けてきたのは妹の夏美。


「あれっ、どなたです?」

「あっ、はじめまして。羽島くんのクラスメイトの小鳥遊葵と申します」

「これはこれは、どうもです。妹の夏美です」


 お互いにぺこぺこ。


「兄さんが女の人をつれてくるなんて……」

「ちょっとした事情があってな。彼女、一緒に飯食うから」

「了解です~」


 とたとたと居間のほうへと駆けていく。

 よほど腹が空いているのか、さっさと飯にしたい様子。


「羽島くん、ご両親は?」

「母さんはまだ仕事で帰ってきてないな」

「お父さんは?」

「うち、片親なんだ。父さんは小さい頃に亡くなった」

「そ、そうなんだ……ごめんなさい」

「いいよ、気にしないで。ほら、入った入った」


 小鳥遊さんを招き入れて俺達も居間へと行く。

 居間は散らかってないよな? 大丈夫だよな? こまめに掃除してるから、うん、大丈夫だな。


「よしっ、ちゃちゃっと作るか。座って待っててくれ」

「兄さん、首を長くして待ってます」

「何か、手伝おうか?」

「いいよ、大丈夫。ゆっくりしててよ。夏美、飲み物出して」

「はい~」


 台所へと俺は行き、今日の食材たちを迎え入れる。

 鳥軟骨に牛豚合い挽き肉。

 たまねぎと卵、それに牛乳を取り出す。


「あの……見てていい?」

「ん、いいよ」


 すっと後ろからやってきたのは小鳥遊さんだった。

 俺の作る料理に興味が湧いてきている模様――怖い体験をしたから、気を紛らわせたいというのもあるかもしれない。


「何を作るの?」

「鳥軟骨ハンバーグ」

「鳥軟骨ハンバーグ……?」

「鳥と牛と豚のコラボレーションだ、美味しいよ。さあ、先ずは鳥軟骨はミキサーに入れて、と。たまねぎは包丁でみじん切りにしちゃおう」

「料理はよくするの?」

「ああ、毎日」

「毎日⁉」

「弁当も自分で作ってるよ」

「す、すごい……」

「それほどでもないよ」


 たまねぎを半分に切ってまな板に置く。

 折角だし、少し説明しながら調理を進めるか。

「たまねぎは繊維にそって包丁を数ミリ間隔で入れて、たまねぎの方向を変えて包丁を何度も下ろす――っと。たまねぎのみじん切りはやや粗目、食感を残したいからね」

 みじん切りはこのやり方が自分は慣れてしまっている。

 お隣からは「お~」っとなんだか感心する声が聞こえる。

 本当はこの後、みじん切りのたまねぎを炒めておきたいんだが今はすぐに作りたいのでその工程は省くとする。


「ミキサー、回さないとな」


 ミキサーのスイッチを入れて鳥軟骨を細かく砕く。

 次はボウルを出して、手を洗って――

「細かくなった鳥軟骨と牛豚合い挽き肉、みじん切りのたまねぎ、卵一個にパン粉大さじ四、牛乳ちょこっと、塩胡椒ナツメグ少々、隠し味に味噌少し入れてこねて――」


 肉だねがとろっとするまでこねてこねてこねまくる。


「いい具合になったら、四等分にして、両手にサラダ油を塗って、両手でパパンパパンと投げ合うようにして空気を抜いていく」

「中学校の時、調理実習でやったわ。うまくできなかったけど……」

「俺はよくハンバーグ作るからすっかり身に染みちまったな」


 パパンパパンと、ハンバーグの肉だねを両手へ交互に打ち付ける。


「よし、焼くか」


 油でべたべたの手を一旦洗って、フライパンに火をつける。

 サラダ油を敷いて、肉だねを投入。ぱちぱちといい音が鳴り始めた。

 ここからは数分ほど焼く。


「両面を焼いて――うん、いい焼き色だ」

「おいしそー」

「でもまだ中は火が通ってないから、これから蒸し焼きにするよ」


 水を入れて蓋をして、五分ほど待つ。

 その間に付け合わせを用意しよう。

 ブロッコリーが余っていたはずだ。

 ハンバーグに火が通っている間に茹でておこう。

 そして五分後。フライパンの蓋を開けてハンバーグに爪楊枝を刺してみる。

 肉汁は白い――ということは、中まで火が通ったということだ。


「できた」

「おおっ……」

「いい匂いです~」


 夏美もやってきては、ハンバーグの出来具合を見てにんまりしていた。

 皿を取り出してハンバーグを乗せていく。


「ハンバーグソースはこのフライパンに残った汁にケチャップとソースと水少々を加えて混ぜて出来上がりだ」


 ぐるぐるかき混ぜて、ハンバーグソースをささっと完成させた。あとはかけるだけだ。

 端のほうにはキャベツを乗せて、マヨネーズをかけてその上にプチトマトを乗せる。

 見栄えもよし、味もきっと良しだ。


「さ、食べようか」

「兄さん、待ちわびたぞい」

「そりゃ失礼しました、じゃあ――いただきますっ」


 三人で両手を合わせて、鳥軟骨ハンバーグをいただく。

 ううむ、口の中に広がる肉汁。鳥軟骨のコリコリ食感、これは……うまい。お二方はどうだろう、美味しいと思っているだろうか。

 二人の様子を見てみると、その表情は――笑顔。

 とろけるような、笑顔。

 答えは聞くまでもないな。

 三人で、ハンバーグの旨味が口の中に広がる中へ追い打ちをかけるかのように白米を放り込む。最高だね、ハンバーグと白米の組み合わせは。


「お、美味しいよ羽島くん! コリコリ食感がたまらないわ!」

「だろう?」

「ふっ、腕を上げましたね兄さん」

「俺はいつも腕を上げ続けているぜ」

「いやはや頭が上がりません」


 箸が止まらない、鳥軟骨ハンバーグは大成功だ。

 小鳥遊さんの表情にもすっかり笑顔が取り戻されたことだし、ひとまず落ち着かせるということも成功に終わったかな。

 しかし心の傷として残っていなければいいが。

 それから楽しい食事を終えて洗い物をして、小鳥遊さんにはゆっくりくつろいでもらって時刻はすっかり八時を過ぎていた。

 母さんはまだ仕事が長引いてるのか、今日はさぞかし残業が大変なのだろう。

 晩御飯はできたてを提供したい、母さんが帰ってくるまでは残りのハンバーグは焼かないでおこう。


「もうこんな時間ね」

「そろそろ帰る?」

「うん、帰らなきゃ」

「家まで送るよ」

「ありがとう」


 帰り支度――といっても彼女は持ち物も特になかったな。


「あの箱はどうしようか」

「どうしよう……」

「詐欺師のところに戻る?」


 すると小鳥遊さんは小さく首を横に振った。

 あまり行きたくないようだ。まあそれも無理はない。

 ったく、詐欺師のやつめ。小鳥遊さんを襲おうとするとはなんてやつだ、モテない中年オヤジに違いない。もし会ったら一発殴ってやろうかな。


「あの箱についてはまた考えるとして、今日は帰ろうか」

「うん、そうする……」

「葵さん、いつでもうちに来てご飯を食べていいですからね~」

「ええ、ありがとう。またごちそうになっちゃおうかしら」

「どうぞどうぞ~」


 手を振る夏美を家に置いて俺達は小鳥遊さんの自宅への帰路へとつく。


「家はどこらへん?」

「北滝区、なんだけど、わかる?」

「北滝――ああ、なんとなく。割りと近いね」


 ここから徒歩十分から十五分ってとこだ。


「あの箱、悪用されないかしら……」

「どうだろうな、使い方は教えたのか?」

「うん……」

「そうか……」


 ならば、使うかもしれない。

 とはいえ願いが叶う代わりに体が蝕まれるというのを知っても、使うかどうか。

 俺なら、まあ……一回くらいは使っちゃうかも。

 最初のうちは体が蝕まれなかったんだろ、たしか。


「でもあの箱を手放せれば、それでいいっちゃあいいんじゃないか?」

「そう、かも……」


 彼女は微笑を浮かべるも、なんだか心に引っかかりがありそうな、そんな微笑だった。

 あの箱に、依存しているのかもしれない。

 あの箱がなければ――なんて考えているのかもしれない。

 心配だ、心配だよその表情は。


「――こんなところにいたのかい。随分とまあ探したよぉ」


 その時、前方から、大人びた女性の声が聞こえた。

 小鳥遊さんの肩が上下する。

 足が止まり、彼女は縮こまっていた。

 電柱の光に照らされている女性、眼鏡を整え、その女性はゆっくりと電柱に預けていた背中を離す。

 長く黒い前髪が、たらりと垂れる。

 口でふっと噴いて、前髪を横に逸らせて、けだるそうな動きでこちらに近づいてきた。

 一歩、二歩。

 近づくたびに、小鳥遊さんも一歩二歩と下がる。

 明らかな拒絶。

 もしかして。

 もしかすると。

 俺は、記憶の中にある、一発殴りたい人である中年オヤジという想像を訂正する。

 目の前の女性こそが、まさに、怪異の専門家――いや、詐欺師。

 漂ってくるは煙草の匂い。

 女性は口元に手を置く、口元をぽっと照らすオレンジは煙草の火のようだ。

 ふぅーっと女性が息を吐くと煙草の匂いが一層強く漂ってくる。

 それなりのエチケットはあるようで、きちんと煙草を携帯灰皿に入れて火を消していた。


「飛び出しちゃったもんだからあたしゃ心配しちゃったよ、うん」

「あんたが、詐欺師か」

「おいおい、詐欺師とはとんだ言い草だね~」

「聞いたぞ、彼女の体を求めて……求めて……って、女性だよな、あんた」

「女だけど、どうした? 女が女を求めて何が悪い? 世界は広いし時代は常に動く、世間はきみが思っているものだけじゃあないんだぜ、もう一度言うよ。女が女を求めて何が悪い?」

「……いや、それでもあんたが彼女を騙して体を求めてきたのは絶対に悪い!」


 一瞬反論に迷ったが、俺がここで放つのは至極簡単なものでいい――正論だ。


「おや、正論とはなんとも痛いね」


 女性は頭をぽりぽりと掻いて、どこか反省していない様子。

 うーん、一発殴りたい。

 女であっても殴りたいと思ったのは初めてのことだ。


「とりあえず箱は預かってるから、暇な時に取りにおいで。それと箱についてはある程度調べさせてもらったよ、いやー興味深いねえ~実に興味深いよ」

「詐欺師のあんたに分かるのか?」

「これでも怪異についてはそれなりの知識はあるんでねえ。今日はもう遅いし、あの箱について知りたかったら取りにくるついでに聞きにきてちょうだいよ。夕方であれば、わたしは街の喫茶店にでもいるからさ。はいこれ名刺」


 差し伸べられた名刺を、手に取る。

 ――立花八千代。

 怪異専門家、らしい。

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