第21話 標的接触
私は何も気づいていない風を装って、元兵士の後を追った。やがて相手は裏通りに入り、アパートとアパートの間の狭い路地へと姿を消した。
私は見失っては大変といわんばかりに、後を追って走り出した。いきなり角を曲がって姿が見えないようにするのは、尾行者の有無を確かめる際のオーソドックスな手順だ。
素人なら焦って走りだしたり、足を急がせたりする。私もそのようにしてみせた。
角を曲がって裏道に入り込むと、4mほど先で元兵士がこちらを向いて立っていた。その横には、探し求めていた標的の姿があった。
写真通りの見た目だ。元兵士ほどではないが背が高く、体格は大きい。茶色がかかったブロンドの髪と髭。
いかにも冷酷そうで、人を見下すような雰囲気を持っている。元兵士の方が口を開いた。
「ヘイ、姉ちゃん。俺になんか用か?」
私はまずいところに行き当たってしまった若い女がそうするように、身をひるがえしてその場から逃げるそぶりを見せた。
通りの方を向いた私の目前に、もう一人の男が立ちふさがった。標的の護衛のもう一方、ミドル級ボクサーの方だった。背はそれほど高くないが、肩幅が広く、発達した胸筋がセーターの胸を盛り上げている。
尾行中に感じた視線の持ち主で、元兵士が電話していた相手はこいつだ。二重尾行と隘路での挟み撃ち。
そいつが右こぶしを体の前に掲げると、金属の輪が指を覆っているのが見えた。ブラスナックルを握りこんでいる。
そいつが足を踏み出すのを見て、私は演技を続けるべく後退り、標的と元兵士の方を見てから、前後をふさぐ連中のちょうど真ん中あたりまで移動した。
壁――古ぼけたアパートの外壁――に背中をつけて、不安げな表情を演出して左右をあわただしく見回す。追い詰められた弱者の振り。
私の逃げ道をふさいだ3人の男は、3mほどの距離を開けてこちらの正体を目で探っている。下手に近づいてこないのは、こちらが何か武器を取り出した場合への警戒だ。おそらく、元兵士と標的は拳銃を隠し持っているだろう。
「さっき俺の友達――そこにいるマッチョが、後ろから可愛いお姉さんがずっとつけてきてるって教えてくれたのさ。一目惚れってわけでもねえよな? 残念ながら」
「……」
「さて、教えてくれねえかな。なんで俺をつけた? 女の腕をへし折ったり、指を潰したりするのはやりたくないんだ。素直に話してくれよ」
「……あんたがどこに行くか調べたら、お金をくれるって人がいたの」
「そいつは誰だ?」
標的が初めて口を開いた。でかいブルドッグが唸るような声をしている。
「知らない人。広場のカフェで声をかけられたの」
「それで誘いに乗ったのか?」
「最初に500ドルもいきなりくれたの……。写真も撮ってきたらもっとくれるって」
私のホラ話を聞いて、元兵士の方は小ばかにした笑いを浮かべた。
「知らない人の話に乗っかっちゃいけないって、ママから教わんなかったのかい? ちゃんと守らねえから、こんなことに巻き込まれんのさ」
対照的に標的の方は眉一つ動かすことなくこちらを見ている。一瞬、こちらの正体がばれたのではないかと恐れたが、幸いにもそうではなかったらしい。
「何持っているか調べろ。携帯、ID。全部取り上げろ」
「了解」
元兵士が近づいてきて、私の腕をつかんできた。
「ちょっと、やめてよ!」
「黙れ、くそアマ」
私が兵士の手を振りほどくと、裏張り手が私の顔に叩き込まれた。スナップの利いた一発で、目の前に星が飛んだ。
軽く吹っ飛ばされたように見せながら、私は地面に倒れこんだ。頬の内側が切れて、舌に血の味が広がる。
私は呻いて身じろぎし、倒れる際に体の下になるように調整した右手で、左わきの下に収めたダガーの柄を握った。
「ひっぱり起こせ。まだ何か言うなら、腹に一発ぶち込め。ブラスナックルの方の手でな」
「ああ」
標的の指示に従って、ボクサーの方が近づいてくる気配がした。足音が頭の近くまで近づいて、コートの襟首が掴まれるや否や、ものすごい力で上に引き起こされる。
体が引き起こされたとき、私は地面に延びていた足を前に伸ばして踏ん張り、ナイフを引き抜いてバックハンドで振った。
ダガーの刃が、私のコートの襟をつかんだボクサーの左腕の内側を、斜めにバッサリと切り裂いた。動脈とともに筋肉が切断され、襟をつかんでいた手から力が失われる。
立ち上がりながらダガーをフォアハンドで振り、返す刀で腋の下の動脈も切り裂く。ボクサーが呻いて腕をひっこめた。
傷は浅いので、失血死するにはまだ時間がかかる。だが、奴の戦闘能力を削いで、隙を作り出すには十分だ。
私は低い姿勢のまま振り向き、元兵士の方へと踏み込んだ。同時に、パンツの左ポケットからカランビットナイフを逆手に握って取り出す。
元兵士の方はジャケットの内側に手を入れた状態だった。拳銃を取り出そうとしている。
私は相手の右肘めがけてダガーを突き出した。刃先が肘の外側――ぶつけると腕がしびれるあの場所――に刺さって尺骨神経を傷つけ、右腕の機能を破壊する。
腕に走る強烈な刺激に、元兵士が叫んで前かがみになっった。私はダガーを引き抜きながら体を右に旋回させ、左手のカランビットで元兵士の上腕を切りつけた。鉤爪型の刃が僧帽筋を引き裂き、右腕全体が上がらなくする。
これで銃を取り出すことはできない。
カランビットを振った勢いで、ボクサーの方に向き直る。
左腕の負傷から予想以上に早く回復していたボクサーは、ブラスナックルを嵌めた右拳で強烈なストレートを放ってきた。
レンガも粉砕できそうな一発をかがんで避け、空手の払いの要領で、カランビットで右腕の内側を下から上に切り裂く。手首の動脈と腱を断ち切り、低い姿勢のまま少し踏み込んで、ダガーを右の内股に突き刺した。
太ももの奥深くにある深部大腿動脈を切断し、刃を捻じって傷口を広げ、一気に引き抜く。
人体で総頚動脈に続いて太い動脈から、ホースでぶちまけるように血が噴き出した。左右の腕の動脈切断と合わせて、十数秒で意識が失われる。
すでに死んだも同然のボクサーを放置し、私は元兵士の方へと突進した。
ひじの痛みから立ち直ろうとしている相手の懐に飛び込み、カランビットをアッパーのように振るって、腹と胸の境目に刃をねじ込む。
湾曲した刃を一番下の肋骨に引っ掛けて引き上げた。枝肉にミートフックを刺して動かす時のように私は元兵士の体を盾にして、標的から身を隠した。
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