第20話 尾行開始
依頼を受けてから3日後。私は標的がいる街で、相手を探していた。
標的の根城があるとされるエリアのカフェで、オープンテラスの席に座ってカプチーノを飲んでいる。ここは繁華街の中でも人通りが多い場所だ。平日でも多数の人々が周囲を行き来している。
彼氏と連れたって歩く、明るい色のダウンジャケットをまとった若い女。仕立ての良いコートを着た紳士。友達とはしゃぎながら道を行く少年たち。普通の世界の、普通の人々。この中では私は異物だ。だが、中に溶け込む術を知っている。
この周辺に、標的にしている連中の根城があるが、詳細な場所までは依頼主も把握していない。最初に攻撃を受けてから、相手は場所を移している。
普通の人々が平和に生きる世界の象徴ともいえる場所に、コカインを売りさばき、マフィアの手下を半殺しにする連中が巣くっているとは思わない。裏の人間がこの場所に入り込めば、それは花畑の中に突き刺さった鉄柱のように目立つことになる。
多数の敵に狙われる少数の人間が隠れるには都合が良い。襲撃を目的として調査したり、集まってきたりする敵の察知が簡単になるからだ。
ただ、彼らを探す側の人間にとっても、標的を見つけるのが簡単になる。私にとってのメリットで、彼らにとってのデメリットだ。
私も彼らと同種の、花畑とは違う世界に住むさびた金属であることを知っているが、表面に花柄を施して花畑の中に溶け込むことができる。
今の格好は暗い色のコートに、えんじ色をしたコーデュロイのズボン、足元はハイカットのウォーキングシューズを合わせている。ウィッグは赤毛をポニーテイルにした。アクセサリーの類は目立ってしまうので身に着けていない。
いつも通り、量販店の服それ自体のような人間に装い、人々の中に隠れている。
コートの下にナイフを3本も身に着け、殺す相手を探しているとは誰も知らない。
標的が人通りの多い雑踏の中に姿を見せることが多いならば、私にとって最も都合がよい。
誰かを殺す仕事を請け負っている人間であれば、仕事を実行する現場は人通りの無い場所を選びたがる。銃を使う場合、人目のあるところで取り出せば、それだけで騒ぎになって失敗する確率が高まる。
銃声も問題だ。銃口にサプレッサーを装着していても、完全に音が消えるわけではない。
うまい具合に標的を消しても、銃を目撃されたり銃声を聞かれたりすれば、警察への通報と初動は迅速になる。標的に鉛弾を撃ち込む目的は金であり、それを手にしないまま逮捕されては意味がない。
銃を使うには、相手がなるべく一人になる場所を選び、そこに到達する必要がある。同業者で有名な――ただし、会ったことは誰もない――“拳銃使い“や、誘拐と拷問が得意な“洗濯屋”はそうやって仕事をする。
命を狙われる心配がある者は、彼らを寄せ付けないように、なるべく一人にならないように努めている。
私の場合は彼らとは逆で、標的が一人きりになっている場所はかえって狙いにくい時がある。一人でいるときに、見知らぬ者が自分の方に近づいてくるのに気が付けば、誰であっても警戒する。
だが、周りに人がたくさんいるのが自然な状況ならば、話は別になる。出勤ラッシュ時の満員電車、人がごった返すイベントの日、年末のショッピングセンター、大音響とフラッシュが状況把握を困難にするクラブのダンスホールは、この上なく都合が良い仕事場になる。
それらほど人が密集していなくとも、“その他大勢の一人”として、一瞬でも間合いに入ることができれば仕事を十分に終わらせられる。
今までの仕事も、同じような手口で済ませてきたものは多い。
あるときには、出勤して会社に入ろうとする標的とすれ違いざまに、刀身だけにした薄刃のダガーを、肋骨の間に根元まで全部刺し込んで心臓を串刺しにした。
ダガーが栓になっているために血はほとんど出ず、刃も体内に埋め込まれてしまっているので、傍目には心臓発作にしか見えない。そして、周囲が慌てている間に私は立ち去ることができる。
別の時は、空港のごった返すロビーを移動する標的の前を通り過ぎざまに、ハンティングナイフで腹を掻っ捌いた。腹圧で飛び出してこぼれ落ちた腸を目にした標的と周囲の人々は恐慌状態に陥る。その間に私は姿を消している。
いずれの場合でも、ナイフを握った手の動きは、周囲の人々や私の体自体が壁になって、誰の目にもとまることはない。そしてナイフは音がしない。内臓を突き刺しても、腹を切り裂いたとしても、周囲に聞こえるような音はほとんど立たない。
このやり方は、私以外の業者では出来ない。それゆえに重宝されている。他ではまねできない技術やサービスを提供できる業者は、どんな分野でも人気があるのだ。
標的が電車に乗ったり、徒歩で移動したりするのが多いようなら都合がいい。
そう思いながらカフェのテラスから、標的か護衛の姿を探していると、人ごみの中にその姿が見えた。
標的の部下の片割れ。元陸軍兵士だ。面長で痩せており、身長は190cmほど。黒い髪をクルーカットにしている。明らかに周囲から浮いているのが分かる。
背が高いことが理由ではない。花畑の中に紛れ込んだ、さびた金属のように、雰囲気が周囲の人々とは異なっている。
私はカプチーノの残りを飲み干して、席から立ちあがった。距離を開けて、人ごみの中をどこかへ向かって歩く元兵士を追跡する。標的のところへ向かうなら一番手っ取り早いが、住処や生活パターンがわかるならそれでも良い。
見張っていれば、いずれ本命のところへと案内してくれるからだ。いつまでも相手が現れないなら、その時はこいつの腹を掻っ捌いておびき出すだけだ。
しばらくついていったが、そいつはどんどん人気のない方へと向かっていった。さて、これはまずいことになった。
このままでは尾行がばれる。あきらめるか、それとも人気がないのを利用して、あいつを殺るか。
その時、私は自分が見られていることに気が付いた。そんな気配がする。
しばらく歩いていると、元兵士が携帯を出して誰かと話し始めた。一瞬だが、その方に緊張が走ったのがわかった。すぐに元の足取りに戻ったが、警戒心がにじみ出ている。
つまりは、そういうことだ。
リスクはあるが、手っ取り早く済ませることが出来る。
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