第19話 仕事の準備
私の仕事は殺人だ。
例えばどこかの誰かが、これまた別の誰かに死んでもらいたいと思うとする。そこでまず、そうしたルートに心当たりのある人物に紹介してもらって、“仲介業者”に連絡を取る。
仲介業者は依頼人の話から情報を集めて整理する。同時に、依頼人の話に裏がないかどうかも確認する。
仲介業者は得た情報を基に、仕事を遂行できそうな業者に連絡を取る。業者は様々な連中がいる。料金が安い者は腕もお察しの通りで、高い金を取る者ほど確実に、素早く仕事を終わらせる。
良いサービスには金がかかるのは、どの世界でも共通だ。
手段もそれぞれが異なる。拳銃を使う者もいれば、ショットガンを使って押し入ってから誘拐するのが得意な奴もいる。狙撃、爆弾、あるいはそれ以外。
私の場合、得物はナイフを始めとする刃物類一般だ。
依頼主の要望と標的を仕留める難易度を鑑みて、仲介業者は適当な業者に仕事を依頼する。基本的に半額は前払い。終われば残りの入金を確認して、手数料を差し引いた分が業者に支払われる。
依頼人と仲介業者、各業者の連絡網は、全て一回限りのプリペイド携帯や、その他の痕跡が残らない方法で取っている。誰かが警察に捕まっても、芋づる式に全員がお縄になるのを防ぐためだ。
私たち業者は依頼人が誰なのかを知らない。仲介業者についても、連絡手段は限定されている。
そのようなわけで、業界の仕事の受注には、幾重にも保険を掛けてある。仮にどこかが挙げられても、その時点で次につながる部分はカットアウトされる。
もしもうっかり情報を漏らせば、業者の方が物理的に口を塞ぎに行く。依頼人が出所なら、面子をつぶされた紹介者から、仲介業者を経由して業者に依頼が入る。
業者が出所なら、別の業者が動員される。仲介業者が出所になれば、彼、あるいは彼女とつながっていた全員が消しに行く。
故に誰かに捕らえられても、命の危険があったり拷問を受けたりしない限りは、仕事のことを話す奴はほぼいない。警察に捕まった場合でも、極端に重い刑を受けないように、過去の仕事につながるネタは残さない。
“たまたま一回だけ”殺した場合と、何度も殺している場合とでは、刑の重さは当然ながら変化する。
司法取引を受けてもよいが、その場合はありとあらゆる人間から狙われる覚悟をしておくこと。日本では「人を呪わば穴二つというらしい」。誰かを呪い殺すなら、呪いが返されて自分が死ぬ可能性も考えておくべきという意味だ。
殺しの手段がナイフであっても、墓穴は二つ用意しておくべきだろう。
標的に関する資料は、暗号化されてメールで送られてきた。標的は麻薬のディーラー。元は陸軍士官で、年齢は50代半ば。東アフリカと中東での従軍経験あり。
その時点で、上級士官数名、国連職員、NGO構成員、PMCの社員などと共に、大麻やヘロインを国外へ流通させる“ビジネス“を行っていた。
内部査察で一斉検挙されかけると裏の世界に逃げ込み、そっちで商売を継続した。
最初はチマチマやっていたのでよかったのだが、商売を広げたいと考えたのか、南米からコカインを仕入れて売るようにもなった。
奴の地元では扱う物品によって担当する組が分けられている。だが、コカインが新たに入ってくるようになって、そちらを受け持っていた組は大きな迷惑をこうむるようになった。
それでクレームを入れようとしたのだが、“話をつけに行った”チンピラが5~6人ばかり半死半生の目にあわされ、それを指示した幹部が居所に乗り込まれた挙句に、漏らして命乞いする羽目に陥った。
完全に面子をつぶされたボスは怒り狂ったが、相手はなかなか手ごわい。だからと言って大規模に兵隊を動かせば、警察に目を付けられる。
いきなり通り魔にやられたように死んでもらえれば、いろいろとややこしい問題はすべて解決する。窓口がなくなれば、すべてが元通りになる。
護衛については、電話で聞いた通りの内容だった。年齢は両方とも30半ば。
元陸軍兵は従軍中に海外へと駐留したことはあるが、実戦に参加したことはない。それでも三等軍曹まで昇進しているので、まったくの無能ではないようだ。
ボクサーのほうはベルトこそ持っていないが、それなりにいいところまで行っている。だが、リングでレフェリーが止めたにもかかわらず相手を殴り続けて再起不能にし、ジムを追い出された。
両方とも暴力には慣れているようだが、殺人の経験はない。このことは、私には有利に働く。
“仕事部屋”のパソコンでそれらの情報を確認した後は、標的がいると思しき場所の地図や、店舗、住宅事情、交通機関などの情報を頭に叩き込んだ。ことを成す前に、下見に行っておく必要がある。
一通り確認すると、同じ部屋のワードローブで着ていくものと道具を選んだ。
着るものは現場に合わせて目立たない物にする。オフィス街ならスーツ、パーティー会場ならドレス、バーならカジュアル。今回は適当な黒のコートとカジュアルなパンツルックを選んだ。
標的を数日間尾行することも考えて、別の装いも用意しておく。同じ人間が周囲をうろうろしていれば、警戒心が強い相手なら不審に思ってしまうので、姿は毎回変える必要がある。
代えのコートは先の仕事と同じように、返り血が目立たない暗い色のものを選んだ。動きやすいように、同じく目立たない色のパンツルックを用意する。ウィッグと眼鏡も複数選んだ。
靴はスニーカーとパンプス、ハイカットのブーツを準備した。動きやすく、いざというときに走るのに苦労しない。
仕事を実行した際に着ていた服は毎回処分するので、普段着るものとは別口で用意している。買うのも現金での購入だ。今回選んだ服のうち、どれか1セットは袖を通すのが今回限りということになるだろう。
続いて“仕事道具”のナイフ。ワードローブの一角に、ちょっとしたコレクションともいえる数を用意している。
サバイバルナイフ、ハンティングナイフ、ダガー、銃剣、トレンチナイフ。包丁やカミソリ、マチェット、カッターナイフ、アイスピック、トマホーク、医療用メス、アイスアックスも用意している。
様々な刃の形状、刃渡り。腹を刺すか、喉笛を切り裂くか、あるいは頭をかち割るか。仕事の方法によって選択肢が変わる。
素材も鋼鉄やステンレス以外に、セラミック、黒曜石、骨、木、プラスチックの物まである。金属探知機を鳴らさずに通り抜けたいときには、非金属素材製のナイフは頼りになる。
私が女である点も強みになる。体の線が露わなドレスでも、ナイフならば隠すことができる。身体検査の際に、胸の谷間や下着の中にカミソリの刃が隠されていると思って、そうした場所に手を突っ込んでくる警備員やボディガードはまずいない。
結い上げた髪に差した髪飾りが、実は研ぎ澄まされた先端を持つスティレットになっていることに気付く者もほぼいない。
そして女であることは、標的への近づきやすさを向上させる。時には標的は私を自分の方に招き寄せる。
ナイフの間合いに。
今回の仕事では、ナイフはいつも使っているのと同じスタイルの物を選んだ。戦闘になった時のことを考えて、刃渡りは少し長めの18cm。フルタングのグリップ、高めのヒルト、パーカライズ処理された黒い刃。
念のため、予備に小さめのカランビットナイフも選んだ。元はフィリピンで使われていたスタイルのナイフで、鉤爪のように内側に曲がった刃があり、柄頭には逆手に握った際に人差し指を通すための輪がついている。刃は肉を“引き裂く”ので、刃渡りの小ささからは思いもよらないほど深い傷口を作る。
もう一つの予備として刃渡り12cmのダガーも選んだ。見た目はただの両刃のナイフだが、柄には私が自作した“仕掛け”が施されている。
場合によっては他の種類の刃物のほうが良い場合も出てくるが、その時は現地で購入すればいいだけだ。包丁やカミソリやカッターナイフが売っていないような地域はほとんどない。
必要なものをスーツケースに収めて出発の準備を整えた私は、現場に行くためのチケットと宿の手配を始めた。
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