第18話 次の仕事

『ブルータス、お前もか』


 ローマの政治家で軍人のガイウス・ユリウス・カエサルが、紀元前44年に暗殺された時に口にしたとされる言葉だ。

 カエサルは腹心の一人であったマルクス・ユニウス・ブルータスを含む数名に、ナイフで刺し殺された。23カ所も刺されていたが、致命傷になったのは2つ目の刺し傷だったらしい。

 私から見れば素人臭い下手くそさが丸出しだが、慣れない人間がやればそんなものだろう。


 先のセリフを本当に言ったのか、刺された回数が本当に23回なのかまでは知らないが、少なくともカエサルがブルータスたちにナイフでめった刺しにされて殺されたのは事実だろう。

 カエサルに限らず、ナイフで暗殺された者は多い。それこそ数えきれないほどにいる。


 ナイフは生活必需品だ。地域や時代によって材質が異なる場合があるが、ナイフを持たない文明は存在しない。だからどこでも手に入る。凶器の調達には苦労しない。

 扱うのも簡単だ。手に持って腹のあたりをめがけて思い切り突き出せばいいだけだ。十分な長さと鋭さがあれば、刃は筋肉と腹膜のもろい防御を突き破り、内臓や血管をたやすく損傷させる。

 刺した後には刃を捻じって、傷口を広げればなお良い。

 肝臓や腎臓がえぐられれば、止めようがないほど激しい出血に見舞われる。腸が破ければ、お世辞にもきれいと言い難い“中身”が、無菌状態であるべき腹腔に漏れ出す。そうなれば1日と持たずに重度の腹膜炎に陥る。

 病院に担ぎ込まれても生き残れる確率は低く、大抵はショック死する。

 腹にたっぷりと腹筋か脂肪が付いていても、突き出す先を喉に変えれば同じ結果が得られる。気管と頸動脈が突き破られれば、誰であっても命がなくなる。


 どこでも簡単に手に入り、使い方は油断している相手に近づいて突き出すだけ。誰かに死んでもらいたい場合は、とっても簡単で手軽な方法です。

 殺しの道具としてナイフをマーケティングする場合、謳い文句はカエサルの時代どころか新石器時代から変わっていないに違いない。



 ねぐらに帰った私は、いつも通りの後始末に取り掛かった。返り血が付いたコートと手袋はバラバラに切り刻む。それから小型の電気炉を動かして、紙袋に入ったままのナイフと鞘、切り刻んだ証拠品をまとめて超高温で溶かした。

 人の血が付いた刃物は、ほどなくして溶けた鉄の塊になってしまった。これで凶器も物的証拠も消え去った。

 個人で鋳造が出来てしまうこんなものがネットの通販で簡単に手に入るのだから、私のような犯罪者にとっても便利な時代になったといえるだろう。一人暮らしの女が持つには不釣り合いな代物をごまかすために、わざわざ鋳鉄とガラスで作った細工をいくつか作成することになったが、これはこれで楽しいような気もしている。


 2時間ほどかけて後始末を終えると、私はプリペイド携帯から、仕事の仲介業者に電話を掛けた。

 いつも通りの呼び出し音が聞こえ、10回コールが鳴った時点で相手が出た。これもあらかじめ決まっている回数だった。7回以内、あるいは15回以上で出た場合、盗聴されているか、誰かが横にいて頭に銃を突き付けているかしている。

 その場合は出た瞬間に電話を切って逃げる手はずを整えなくてはいけない。

 今回はそのようなことはなかった。


「私。確認終った?」

 余計な言葉は抜きにして、さっそく切り出した。

『ああ、確認した。完了だ』

 私が先ほど腎臓を串刺しにした男は、危ない事業の資金洗浄を任されている会計係の一人だが、立場を利用して仕事の度に小額ずつ自分の懐に入れていた。

 1回ぐらいなら頭をパンチボール代わりに使われるぐらいで済んだだろうが、1年間もやっていればさすがに許されない。

 それに先日、あの男の雇い主の経営する地下カジノのお売上金が強奪される事態があったとかいう話だ。雇い主が神経質になっている状態で悪事が発覚すれば、通常以上にまずい事態になるのはわかり切っている。

「お金はいつものところに」

『すぐに振り込もう。5分後に確認してくれ。それと次の仕事が入った。3万ドル』

「興味あるわね。サツは?」

 仕事の値段は1万5千ドル。それほど大物ではなかったが、チンピラに千ドルで任すわけにもいかない。

 とはいっても今回の分だけで1年暮らすには足りないから、今シーズンはもう少し稼いでおくつもりでいた。連続で人を殺せば当局から目を付けられる危険があるので、仕事の度にインターバルを置くことにしている。ただし、その可能性がない限りは、ある程度まとめて稼いでおいても問題ない。

『今までの仕事と関連付けられることはない。距離も離れている』

「他に誰かに声かけた?」

『いや、いろいろと都合が合わない。“拳銃使い”は6人を消したばかりですぐに仕事をしたがらないだろう。“洗濯屋”は出られない。“釘打ち師”や“花火屋”は大がかりだ。他の連中では使い物にならん』

「それで私ってわけ。1人よね?」

『護衛が2人ほどついている可能性がある。そいつらも消す場合、危険料をプラスする』

「どんな奴ら?」

「ミドル級ボクサーと元陸軍兵士」

「接近にリスクがあるわ。どれくらいなら出せる?」

『1万プラス。予算ではこれが限界だ』

「乗った。情報をお願い」

『分かった。前金も振り込んでおく。健闘を祈る』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る