【Ⅱ】

第10話

 家を出た三人は下町の中でもいわゆる花街と呼ばれる界隈に向かっていた。

 彼らの住む『City』全体を大きく分けるなら『COLORS』支部を中心とした行政地区を中心に東西南北に大体のエリア分けがされている。


 東に学校や図書館など教育施設が多く集まる地域。

 南に商人や職人が多く住む商業地域。

 西に花街を中心とした雑然とした地域。

 北に一部上流階級が住む特権地域。


 藍たちが黄沙のために用意していた家も西地区にあったが、紅はその中でもひときわ華やかな場所へと向かっていた。


「あらー、コウちゃん。最近お見限りねぇ。また寄ってねぇ」

「まぁ、コウじゃないの。こんな明るいうちから来るなんて珍しいじゃなーい」

「ダメよーコウ。こんな小さい子連れて花街ココに来ちゃ。小さいころからイケナイ遊びを教えてどうするのー?」


 今三人が歩いているのは花街の中のメインストリート。左右には妓館や酒場が多く立ち並んでいる。

 建物の窓から、あるいは入り口を掃除していたりオープンカフェなどからくすくすと明るい、だがどことなく艶っぽい声が紅へと掛けられる。

 昼間の花街は夜とは全く違う顔を持ち、近隣の労働者たちも気軽に立ち寄り、食事を楽しめる場所でもあるのだった。

 そしてそこで働く女たちの多くは昼と夜の二つの顔を持つ者も多い。

 だがその表情はみな明るい。

 むにまれぬ理由でその仕事を選ばざるを得ない者も確かにいるが、『COLORS』のお膝元で無体な営業ができるはずはなく、きっちりと厳しい衛生環境とルールが決められているのである。

 なので基本的には妓館と言っても双方の合意と明朗会計ぼったくり禁止、暴力行為禁止などかなり健全な運営がされている。

 そんな訳なので悲壮な雰囲気の薄幸の未亡人とかは逆にここで見つける方が難しいのだった。


 そしてこの界隈に入るなり、四方八方から親し気に声をかけてくる女たちの声に紅は頬を引きつらせながら手を振り返す。


「随分と、が多いようだな?」

「あ、あは、あははははは…」


 毒を含みまくった藍の言葉にバツの悪すぎる紅としてはもう笑うしかない。

 基本的には綺麗なおねえさんたちと酒を飲んで、話をするだけでそれ以上のことはほとんどないのだから後ろめたく思う必要はないはずなのだ。

 だが、旧米支部あっちから極東支部こっちに来て、かなりの頻度で顔を出していた時に彼女たちとアレコレ関りを持ったことは否定できない。


 親し気に(というか本当に普通に友人たちなのだが)声をかけてくる大半が美しい女性であることも藍の誤解を加速させる一端なのだろう。

 そして誤解を生んでいるとわかっていて更に煽ってからかってくるのがこの町の友人たちなのだった…。


「ランもいじめるのはほどほどにしておけ。それよりコウ、目的の店はまだなのか?」


 黄沙の言葉を助け船とばかりに紅はあからさまに話を逸らす。


「ああ、着いたで。ここや。……ちわーっす」


 メインストリートの最奥に近いところにある妓館兼酒場の店に紅は二人を連れて親し気に入っていく。

 夜になれば上流階級の者たちもやってくるこの店も昼間はちょっとお洒落な食事処レストランといった感じでしかない。

 紅の声を聞きつけたのか店の奥からオーナーでもある女性が出てくると、珍しい人物の登場に目を丸くした。


「おや、どこかで聞いたような声がしたと思ったらコウじゃないか。珍しいじゃない、こんな時間に来るなんて。生憎ランチタイムは終わってしまったよ。代わりに一杯飲んでいくかい?」

「いや、今日は食事とか飲みに来た訳じゃないんや。ちょっとローラに聞きたいことがあってな。いる?」


 申し訳なさそうにオーナーの申し出を断りつつ、目的の人物がいるかどうかを問いかけると相手はうなずいて二階に声をかけた。


「ローラ、下りといで!コウが来てるよ!」

「はーい、今行くわぁ」


 遠くから返事が聞こえてきて、しばらく待つと二階へ続く階段から軽い足音が下りてきた。

 やってきた女性もオーナーと同じように珍しい時間の訪問客に少しタレ目ながら切れ長の瞳を見開いてわざと驚いた風を見せる。


「あら、本当にコウだわ。どうしたの?先週来た時に何か忘れものでもしてった?それとも私のことが忘れられなくなってわざわざ会いに来てくれたのかしらぁ?」


 黒髪を結い上げて昼間だから控えめとはいえかなり襟ぐりの開いた服を着た美女こそこの町一番人気の娼妓だった。


「やぁ、相変わらずの美人さんやなぁローラは。また一緒に飲もうなーってらんちゃん痛いってっ!」


 いつもの癖で口説き始めた紅の足を藍が素知らぬ顔をして思いっきり踏みつける。

 そっぽを向いたままぐりぐりとかかとでつま先を踏みつけている少年と文句を言いながらも許しを乞うている紅の姿に何か思い当たったのかローラはポンと手を打つと嬉しそうに笑ってランに手を伸ばした。


「このコがうわさの弟さんね。初めましてランくん。私はローラ。コウのお友達よ。お話はコウからいつも聞かせてもらってるわ。それから後ろにいるのはお友達かしら?今度は是非みんなで遊びに来てくださいね」


 ニッコリ笑って差し出された手を藍は少し戸惑ってから握り返す。


「初めまして、弟のランです。そしてこちらは友人の黄沙」


 藍の紹介に黄沙も軽く会釈して挨拶を返す。


「いつも兄がお世話になっているようで…。ご迷惑などおかけしていませんでしょうか?何かありましたらご連絡いただければすぐに回収に参りますので」


 そういって複数持っているプライベートアドレスの一つをローラと交換する。


「あらあら、話に聞いていた以上にしっかりした弟さんね。これじゃどっちが兄なのかわからないわねぇ、コウ」

「せやろ!らんちゃんは超しっかり者なんや!頭もええし、気遣いもバッチリやし、落ち着いてて俺とは大違い…って何言わすんや」

「自分に落ち着きがない自覚はあるようでなによりだな、この馬鹿。さっさと本題に入らないか」


 藍に促されてここに来た用件を思い出した紅が真面目な顔でローラに質問をする。


「ああ、そうやったな。ローラ、ちょっと前の事なんやけど覚えてるかな?先週俺が来た時隣のテーブルで騒いでた脂ぎった大声のおっちゃん誰か知っとるか?」

「先週末の隣のテーブル…?んー……ああ、ブライドンさんね。確かに他の人よりはちょっとふくよかだけど脂ぎったなんて言ったら失礼よ。あの方がどうしたの?」


 急に一週間前のことを聞かれて小首をかしげながら思い出していたローラだったが、紅のかなり失礼なヒントに思い当たったのか苦笑いしながら該当の人物を教えてくれた。


「ブライドン……というとB&S海底探査株式会社か?」

「あら、よくわかったわね。そうよ、そこの社長さんよ」


 名前とわずかな容姿の特徴だけで言い当てた黄沙に驚いた顔をするローラ。

 だが設立されてまだ数年ほどでも最近順調に業績を伸ばしている会社なので一部メディアでは話題に取り上げられているし、あの特徴的な容姿は確かに記憶に残りやすいかもしれない。

 だから黄沙も以前どこかでその記事を見たことがあったので連想したのかもしれないと結論付けるのだった。


「それで、そん時おっちゃんが言ってた金脈がどうのこうのいう話なんやけど、あれホンマかどうかわかるか?」

「ああ、あの件ね。どうやら本当らしいわよ。めったに表には出てこないけれど切れ者と有名な副社長自ら指揮を執って採掘指示を出しているって聞いたわ」

「……その会社の本社ってどこにあるかご存知ですか?」

「んーっと、確か本社自体はこの間『City』南部の商業エリアに新しく建てたって聞いたけど、実際はここから南に行った海洋科学研究所の近くにある旧本社が未だに実務を取り仕切ってるって話ね。

 こっちにいるのは社長のブライドンさん、旧本社にいるのが副社長のリュカさんね」


 藍の質問にあっさりと答えたローラに三人は思わず顔を見合わせ、妙に詳しすぎる答えに紅が全員を代表して恐る恐る質問をした。


「……それにしてもローラ、なんでそんなに詳しいんや?」

「私を誰だと思ってるの?この花街情報街で一番の私が知らない話はないわ」


 確かにこの街で一番の歓楽街であり、人と物の流通が多いここは当然のように『噂』でさえ立派な『情報武器』である。

 その花街のトップ娼妓であるローラの元にあらゆる情報が集まってくるのは不思議ではないだろう。


「こら、ローラ。偉そうなこと言ってるけどその情報取りまとめてるの誰だと思ってるんだい?」


 えっへん。と豊かな胸を張って自慢するローラだったが、いつの間にか裏に行っていたオーナーが戻ってきて手にした銀盆でローラの頭を軽くたたいた。


「いったーい!酷いわオーナー。髪が崩れたらどうするのよ」

「まだ時間はあるんだから結いなおせばいいだろう?それよりもうそろそろ時間になるから支度しな」

「はぁーい。それじゃコウ、ランくん、黄沙さん、今度はお店に来てね。昼でも夜でも歓迎するわ」


 そういって綺麗なウィンクと投げキッスを送るとローラは夜の営業のための支度をする為二階へと戻っていった。


「さて、コウ。だいぶあの会社とやってることに興味があるようだね。ローラあの子はあんたに恩があるから色々教えていたようだけど、本来はタダじゃ教えられないよ。

 で、ここから先の情報が欲しいようなら…わかっているね?」

「ああ、もちろんや。信頼できる情報には対等な対価が必要なのは当然だ。ましてやまだ電脳ネットに出回ってない生きた情報には相応の価値をつけるで」

「さすがわかってるじゃないか。それで、何の情報がどれぐらいほしいんだい?」


 花街一の妓館を経営するオーナー情報屋の総元締めの言葉に三人は見合わせ、藍が一歩前に出る。


「B&S海底探査会社の現在の活動状況及び、社長副社長の表に出ていない情報。繋がりありそうな関係者がいればそれも。かなりの量になりますので時間がかかりますか?」

「しっかりしてるねぇ。コウ、アンタの弟さんは大物になりそうだ。いいだろう。二日だ。急ぎなんだろうからそれで取りまとめてやろう。ただし、特急料金付きだが構わないね?」

「ええ、構いません。料金はそちらの言い値を払います」


 手にした銀盆で自分の肩を軽くたたきながら話すオーナーに藍も迷いなく答える。

 その姿に目を丸くした後、オーナーが爆笑した。


「気に入ったよ!ラン、だったね。アタシはリリィだ。ここ、『満月フルムーン』のオーナーだよ。情報屋が欲しかったら『三日月クレッセントムーン』の方で連絡しな。

 あと、後ろのお嬢さん。アンタもどっちかっていうとこっちお仲間の方だろ?コウとランが信頼を置いてるようだ。それなら仲良くしておこうじゃないか」


 オーナーリリィには何も言わなかったはずなのに黄沙のことを一目で見抜いた眼力はさすがというべきか。

 黄沙もリリィには一目置いたのかその申し出を快く受けたのであった。


「それじゃ連絡先の交換だ。情報料の振込先も一緒に送るからね。二日後を楽しみにしてな」

「よろしくお願いします」


 そういって藍とリリィは連絡先を交換してこの場は一度解散することとなった。

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