第7話

 紅と藍が管理者全員に許可を得に行く前の事。



『ケイトちゃん、ホンマすまんなぁ。俺らは仕事上勝手に動くことができへんで、手続きが必要なんや。別嬪さんからの頼まれ事なんてすぐにやりたいんやけど、こう見えても一応ルール守らんとまずい立場でなぁ』

『それは構わないのだけど…。というかむしろコウがCOLORSお役所の関係者だとは思わなかったわ…。何の仕事してるのかしらとは思っていたけど、意外だわ…』

『ケイトちゃんそれ酷いわ…』

『逆にランくんは納得できるのにねぇ』


 そんな会話をして紅と藍が部屋を出て行ったあと、残された計都はきょろきょろと物珍しそうに応接室の中を見回す。

 通常であれば入ってすぐに様々な部署の手続きカウンターがあり、ほとんどの人の要件はそこで終わる。

 相談事があれば専用部署へと回されるのでこんな普通の応接室に通されて一人時間をつぶすことなどまずないのである。


 コンコン


 軽いノックの音に思わず計都が返事をして立ち上がると入り口が開き、ここの制服を着た女性が飲み物などを持って入ってきた。


「大変お待たせして申し訳ございません。上司が戻るまでもうしばらくお待ちください」

「上司?」

「はい。お客様をご案内いたしました方が私たちの上司にあたります。本来であれば案内係など私たちが務めなければなりませんのに、彼の方のお手を煩わせるなど不徳の致すところでございます。せめてお客様にはお待たせいたします間精一杯のおもてなしをさせていただきたく存じます」


 そういって計都の前にそっと置かれたのは薫り高い紅茶とあまりこの季節にお目にかかることのないチョコレートを使ったケーキだった。


「ザッハトルテですね。これ好きなので嬉しいです。ありがとうございます」

「お気に召していただけたようで光栄です。もし何かございましたら卓上のボタンを押していただければすぐに参りますのでごゆっくりおくつろぎください」


 秘書のような女性が綺麗な礼をして立ち去った後、計都はまじまじと届けられたお茶とケーキを見つめる。


「このあたりだと珈琲のほうが主流で紅茶はあまり流通してなかった気がするんだけどなぁ…。香りもいいし、結構いい茶葉使ってそう。あと、冷房効いてるとは言え真夏にザッハトルテチョコケーキねぇ。上司が連れてきた客だから特別扱いとみるか、それとも他に何か裏があるのかしら…」


 行儀悪くフォークの先でツンツンとケーキをつつきながらそっと割ってみる。

 ふわりとアプリコットの香りが鼻腔をくすぐり濃厚なチョコレートとしっとりした生地が食欲をそそる。


「ま、いっか。大丈夫でしょう。いただきまーす」


 ぱくりと口に含めばしゃりっとした表面のチョコレートとバターのよく効いた生地にジャムが綺麗に纏まってとても美味しかった。


「思ってたよりも美味しいわね…。どこのお店のかなぁ。もちろん九曜の作ったやつの方が断然美味しいけど、この味なら九曜も食べてみたいっていうかもしれないなぁ…」


 さりげなく義兄の作ったケーキのほうが美味しいブラコンを発揮しながらぺろりとケーキを完食した計都であった。


 そして紅茶もゆっくりと飲み終えたころ再度扉がノックされる。

 先ほどの女性がまた来たのかと思って返事をするとそこに立っていたのは紅と藍たちであった。


「コウ!」

「ケイトちゃん、待たせてもうてすまんかったな」

「気にしないで。秘書さんがケーキも出してくれたので美味しくいただいていたわ」

「ケーキ?あー、誰かが気ぃ使ってくれたんかな?らんちゃん知ってたか?」


 ちらりとテーブルの上にある皿とカップをみて聞くと藍も訝し気な顔をする。


「確かに飲み物を持っていくように指示は出したが…。お前が指示するわけ…ないか」


 女性を待たせるのに当然飲み物などを出すようには通りがかった職員に依頼はしておいたがお茶請けにであるケーキを用意したとまでは思わなかったらしい。

 夏も近づくこの季節、冷房の効く室内とはいえ正直生菓子を出すのはあまり推奨されていない。

 特に世界大崩壊の時に地軸が少しずれ、この極東地域は以前と違い穏やかな四季のある土地ではなく暑さの厳しい亜熱帯気候に近づいてしまったのだ。

 もちろん気候が変わってから数世紀すぎているので基本的に一年中暑いのが普通だし、人々もそれに慣れている。

 食品衛生管理もしっかりしているので生菓子であろうと普通に食べることはできる。


 だがそれでも溶けやすいものは長時間の保管にはあまり向かないし、保管するのであれば保冷能力の高い場所から出してすぐに食べるか、時間を止めることのできるアイテムボックスかそのスキル持ちがいなければ難しいというのがこの時代の常識だった。


「ケイトさん、これを持ってきたのはどんな職員でしたか?」

「えーと、背は高めですらっとした美人秘書さんだったわよ。上司であるあなたたちにお客を案内させるなんて不徳の致すところ、なんてものすごく悔いていたみたい。

 自分の仕事にプライドがある人なのかしらね?ですごく香りもよかったし、て美味しかったからどこのお店のか私も知りたいぐらいね」


 計都の答えに紅と藍が顔を見合わせる。


『らんちゃんそんなデキる秘書なんて心当たりあるか?』

『いや、『藍』の筆頭秘書として仕えている女性はどちらかというと小柄でふっくらした穏やかな方だな。それに時空属性のスキルを使えるのは僕が把握しているのは全員男性職員だ』

『そんじゃアイテムボックスは?』

『支部で管理している物は申請を出せば誰でも使用可能ではあるが、ここ最近申請があったとは聞いていないな。貴重品だから無断使用はできないはずなんだが」

『となるとケイトちゃんに飲み物持ってきたのは誰や?』

『調べてみる。ここは頼む』

『了解』


 小声でやりとりを済ませると藍は計都に一言断って席を外す。

 残された紅とその後ろにチラチラ見える人影。


「それよりコウ、後ろに誰かいるの?」

「ああ、この人はユカリさんいうてな。俺やらんちゃんの同僚の人や。さっき会ってなぁ。優秀な人やからケイトちゃんのボディーガードを頼み込んだんや」


 そういって一歩紅がずれるとその背後から『紫』がすっと現れる。


「初めまして、ケイトさん。お話はコウから伺いましたわ。私はユカリと申します。お義兄さんをお探しとのことでコウとランを頼られたとか。優秀な二人ですのできっと見つけてくださいますわ。それまでの間私と共にいてくださいますか?」


 ニッコリと笑うそのほほえみはまるで絵画から抜け出した天使のよう。

 思わず二人とも見とれてしまうが先に正気に戻ったのは計都の方が早かった。


「えっ、あ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんがよろしくお願いします」


 同性とはいえ、美人の微笑はインパクトが大きい。おもわず赤くなりながら計都も挨拶を返す。


「ほなケイトちゃん、俺は用があるからちょっと行くわ。後のことはユカリさんに任せてあるからおとなしく指示に従っといてな」

「え、ちょっとコウ!どこへ⁈」


 二人を引き合わせユカリに託したことでこの場での役目が終わった紅はひらりと手を振って部屋を出て行ってしまう。


「ケイトさん。コウは用事があるそうですわ。ランたちと一緒にやることがあるとおっしゃってましたからそちらに向かったのでしょう」

「なら私も手伝わないと…」

「いけませんわ。彼には彼の考えがあるのです。それを邪魔をすることはなりません。第一ケイトさん貴女、何者かに追われているのでしょう?私はコウから貴方を守ってほしいと頼まれたんですの。私に約束を破るような真似はさせないでくださいませ」


 どうして止めるのか?という瞳で見る計都を、口調は優しいが有無を言わせぬ雰囲気でユカリが諭す。

 表情は笑っているが瞳が笑っていない。ここで意地を張って無理やり紅を追おうとしてもユカリは決して見逃してはくれないだろう。

 しばし考えた後計都はコクリとうなずく。


「わかりました。おとなしくコウ達のことを待ちます」


 賢明な判断を下した計都にユカリも今度は本当に嬉しそうにうなずく。


「それにしてもコウはユカリさんのことを同僚って言ってましたけど本当はどういう関係なんです?ここって『COLORS』ですよね?」


 当然の質問にユカリは何と答えたものかと口元に手を当ててしばし悩む。

 計都はここを本部と思っているが『COLORS』の本部は別の場所にある。ここはあくまでも世界に七つある七色達トップたちが管理する統括本部。

 組織全体としてみればここは『COLORS』極東支部というのが正しいのだ。


 だが、一般人(正確には組織としてのCOLORSに所属してない能力者含む)にしてみれば七色の統括本部の上に組織本部があるとは知らなくても不思議はないのだ。

 そしてこの支部は七色の統括本部ではあるが一人ですべてを運営できるわけではなく、当然多くの能力者たちが職員として所属している。

 ケイトは能力者であるとは聞いているがどこかに所属している職員ではない。

 あくまでも一般能力者なのだ。

 コウが同僚として紹介した以上当然ユカリが能力者であるのはわかっているだろう。

 だが一般人に自分が七色の一員であることを伝えるわけにはいかない。

 なのでどう説明したものかと考えているのである。


「まぁ、関係者といえば関係者ですわね。でも詳しいことは秘密です。そのうち機会があればお教えいたしますね」


 口元にあてていた手を伸ばし、そっと計都の口元を人差し指で抑える。

 綺麗なウィンクをして計都をけむに巻くとこの話を打ち切ってしまう。


「それでは少し離れていますが私の家に参りましょう、ね?」


 そうユカリに誘われて断り切れなかった計都は諦めて歩き出すのであった。






 計都や紫と別れて直ぐ。

 紅は足早に藍の執務室へ向かっていた。

 見慣れぬ大男が厳しい表情で最奥にある『藍』の執務室へ行く姿に誰何しようとする職員もいたが、紅が相手に見えるように左耳のカフス証の石を見せれば何も言われず通り過ぎることができた。


 そして執務室へ着くとノックもせずそのまま扉を開ける。

 もちろんこんなこと普通出来るわけはない。

 これは紅と藍が兄弟であること。そして藍本人が今回は前もって開けられるように設定していたからである。


「らんちゃん、わかったか?」

「早かったな、コウ。先ほど筆頭秘書の方にケイトさんから聞いた人物像に当てはまる職員がいるか聞いたところだ」


 つかつかと執務室にある応接セットに近づくと紅はドスンとソファーに座りこむ。

 そんなイラつく紅を気にせず大きな執務机の上に空間ディスプレイを複数展開したままの藍が答える。


「彼女曰く該当者なし、とのことだ。ついでに最近新規で雇用した者もいない。更に言うなら保管庫のアイテムボックスの数も不備はない。誰も持ち出していないのが判明した」

「そりゃここは空調がしっかりしてるから外ほど暑くはないけど、誰にも見られず、淹れたての紅茶の温度と冷えたケーキを同時に出せるなんてそのどっちかがなければ無理や。

 だってここの応接室ケイトちゃんのいた部屋へ何かを届けるには執務室ココを通らないとあかんのやろ?」


 そう、紅の言う通り計都が通されていた応接室は実は貴賓室扱いの部屋であり、重要人物へ出す飲食物は執務室の隣にある簡易キッチンから運ばれるのである。

 当然、賓客へ出す前に毒物や異物の混入がないように入念なチェックが入るし毒見もされる。

 そのため貴賓室へ飲食物を運ぶことができるのは決まった職員のみ。

 賓客に合わせた性別の担当職員が運ぶのだが、その担当女性職員には時空属性のスキル持ちはいないのだ。

 そのため、簡易キッチンには使用者限定のフードカバー型のアイテムボックス(この場合ボックスではないが)があり、毒見後にそのカバーをかけて客に提供するのだ。


「ああ。僕が不在の間は筆頭補佐官の彼と筆頭秘書の二人がこの部屋に詰めていたそうだ。そして議事堂に行く前に僕が声をかけてケイトさんへ飲み物を提供するように言ったので担当職員が『のみ』を持って出て行ったのが確認されている」


 これを見ろ、とばかりに藍が小分けにされた空間ディスプレイの一つを紅の手元に来るように投げる。

 確かにそこには補佐官と秘書のダブルチェックを受けたのちカバーをかけた珈琲をもった職員が部屋から出ていく姿が映っていた。



「これが2時間ほど前のこの部屋を映した監視カメラの映像だ。ここにはケーキは映っていないし、アイテムカバーが映っている。そしてもう一つこれだ」


 そういってもう一枚藍が投げた映像を見ればそこには貴賓室が映っていた。

 確かにケイトの言った通り、背の高い女性らしき人物がとケーキをサーブしている姿がはっきりと映っている。

 だが、角度の問題なのか女性の顔は巧く隠れていて確認できなかった。


「ケイトさんにサーブされた時、すでにアイテムカバーはない。廊下で外したということも考えられるがワゴンにその姿がないのは退出直前の映像で確認ができる」


 どう考えてもろくなことではない状況に藍も紅も渋い顔をするしかない。


「となるとケイトちゃんが飲み食いした紅茶とケーキも怪しいよな…。貴賓室入った時に俺らの持つ毒物検知用アイテムに特に引っかかる反応はなかったから無事だとは思いたいんやが…」

「『紫』がついているんだ。何かあってもフォローはしてもらえるとは思うが大きな借りを作ってしまうな。

 まさか僕がいる時にこんなことをする奴がいるなんて…。返す返すも時間が足りないと内部監査に手間取った僕の手落ちだ」


 ギリリと唇をかむ藍を紅は同情するように見る。


「確かに俺らが就任してから完璧に内部を統制するにはあまりに時間がなかったからしゃーないとこもあるやろな。でもらんちゃんも就任以降ひと月近くずっと働きっぱなしで休みなんてなかったやんか。

 んで、久しぶりの休みを併せて息抜き兼ねて出かけたとこで今回の件ケイトちゃんとの出会いや。

 俺かて先代がキッチリ絞めててくれたんと仕事のできる補佐達が多いおかげで何とかなっとるって感じやけど正直言って部下から完全に信頼されてるって言われたら微妙なところやからな」


 今回計都を旧米支部の部下に託す案はかなり早い段階で出ていたし、実際紅も打診していた。

 だが先代『紅』に心酔していた女性補佐官たちは急な色の交代に思うところが大きかったらしく「できれば一時的な預かりを頼みたい」という強制力のない願いは色々と言い訳を使われて却下されてしまったのだった。


「俺んとこも結構急な交代だったからなぁ。先代は特に女性職員たちに心酔されてたから後継が俺なのが納得できんつーのもわかる。わかるけどそこは仕事ってことできっちり公私の区別はつけてほしかったなぁ。

 ま、この辺りは今後の俺の課題やな。だがまぁそのおかげってわけやないけど、俺があっち旧米支部におらんくてもあまりうるさく言われへんのが助かっとるわ」

「そうだな…。僕もお前もまだまだヒヨッコなんだ。だが、それに甘えているわけにもいかない。特に今回の一件はひとつ間違えればケイトさんの命にかかわっていた可能性すらあるんだ。

 限られた者しか立ち入れない区域エリアの貴賓室に不審者の侵入を許すなんて本当にありえない。警備責任者やここに立ち入りを許可されている者全員を再度洗い直すのは必須事項だ。

 絶対的信頼をおける者味方があまりに足りなさすぎるからな。お前も忙しいだろうが手伝ってもらうことになるかもしれない」

「俺にできることなら任せとき。とりあえず今やらんなあかんことは不審者及び疑われる内通者の洗い出しと捕獲。ケイトちゃんに提供された食器から調べられそうな犯人の痕跡と毒物薬物の検知。それに行方不明になってるサーブ予定だった女性職員の捜索ってとこか」


 指折り数えて言う紅に藍もせわしなく方々に指示を出しつつ答える。


「不審者と内通者の洗い出しは既に警備班や既に優先的に身元調査を済ませた筆頭補佐官たちに指示を出してある。だが、これは全体人数が多いせいもあって返事待ちの状態だ。

 食器は既に回収して化学検査班に回してある。簡易報告だが今のところ有害物質は検出されてないとのことだ。これも詳細は連絡待ちだな。

 そして行方不明の職員だが…」


 そんな時、机の上にあるコールサインが点滅する。


「『藍』だ。何かわかったか」

『お客様へサーブするはずだった担当職員をリネン室にて発見しました。職員に異常なし。何らかの薬物で昏倒させられた模様です。尚、同部屋にてチェックされた飲み物とアイテムカバーも同様に発見されました』


 警備担当の職員からの連絡である。

 藍は発見された職員を医務室へ搬送するように伝え、確定した不審者を見つけ出すよう改めて指示を出した。


「とりあえず見つかってよかった。あとは意識が戻った後に聞き取り調査をして犯人の手掛かりがわかればいいが」


 そういってほんの少しだけほっとした顔をする藍。


「せやな…。あと、俺らは俺らのできることをするしかないか。必要な指示は出したんやから情報が集まるまでは少なくとも俺の出番はなさそうや。それにケイトちゃんから預かったデータの解析も進めなならんし、クヨウの救出も急がなならん問題や。こんなとこで無駄に落ち込んでる暇はないな」


 そういうとパンッと勢いよく己の両頬を叩いて気合を入れた紅がソファーから一気に立ち上がる。


「それじゃ俺は先に『黄』のところに行っとるで。らんちゃんも都合がつき次第急いできてくれな」

「わかっている。もう少し情報がまとまったら向かう」


 一見似ていない双子が同じ強い意思を秘めた瞳を合わせてからそれぞれの仕事をするために分かれたのであった。

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