屍を越えて2
モレクはハンニバルに襲いかかった。
しかしモレクの手はハンニバルの実体には届かず、黒い靄を突き抜けるようにして体をすり抜けた。
ハンニバルは出来る限り攻撃を躱しながらモレクと組打った。
それでもハンニバルのエーテルは確実に削られていく。
いつしか受け流しきれない攻撃がハンニバルの実体を捕らえ始め、やがて紅い血が地面を彩っていく。
血を流して戦うハンニバルを
ブチぃ……!!
嫌な音がしてふり返ると頭を掴まれてハンニバルが宙吊りになっていた。ハンニバルの右肩から大量の血が流れており、肩から先が失くなっていた。
ネロは先程の音が腕を引きちぎった時のものだと理解した。
もぎ取られた右腕はモレクの手の中にあった。モレクはするどい雄叫びをあげると、もいだ腕を脇に投げ捨てた。
「ハンニバル!」
ネロは思わず引き返した。ノワールを構え無茶苦茶にモレクを罵倒しながらハンニバルのもとに向かった。
モレクはそれを見て意地悪に嗤うと、ハンニバルの首に手をかけた。
「やめろおおおおお!!」
ネロが叫んだ時だった。地鳴りがして轟音が響き、真っ白な突風がモレクの体を吹き飛ばした。
ネロは呆気にとられてその光景を見ていた。
そこには白く輝く馬の王が立っていた。
「ツァガーン!!」
ネロは叫んだ。スーも目に涙を溜めてツァガーンを見ている。
ツァガーンが
ツァガーンは他の馬達を率いて湿地を迂回し、遥かな距離を走り続けてここまでやってきたのだ。
荒く鼻を鳴らすとツァガーンは五頭に先立ってモレクに襲いかかった。
モレクを後ろ足で蹴り上げ、腕に噛みつくとモレクの腕を引きちぎってしまった。
青い血があたりに飛び散り、モレクは悲鳴を上げた。
モレクの返り血でツァガーンの純白の被毛が青く染まった。
他の馬達もツァガーンに加勢した。しかしツァガーンは他の馬に危険が迫ると、身を呈して自分が傷を負った。
その姿はまさしく気高い馬の王の姿だった。
「頑張れ! ツァガーン!!」
ネロは叫んだ。
モレクは劣勢になると息も絶え絶え逃げ出そうとした。しかしツァガーンは決して逃すまいとしてモレクの残った足に噛み付いた。
モレクは自らの足を引きちぎってツァガーンの首に噛み付いた。
ツァガーンは悲鳴を上げて藻掻いたがモレクの牙は、ツァガーンの首に深々と突き刺さり抜けなかった。首からは大量の赤い血が流れている。
その時、ネロはツァガーンと目が合った。ネロはツァガーンの声にならない言葉を理解した。
ネロはノワールを握りしめると、折れていない足にエーテルを込めて、地面を強く蹴った。
矢のように地から放たれたネロは、モレクの背中めがけて突進した。
ずぶりとモレクの心臓をノワールが貫いた。それはモレクの命にはまったく意味をなさなかった。それなのにモレクは反射的に噛み付いていた口を外してネロの方に振り向いた。
モレクののっぺら坊のような焼けただれた顔が目の前にあった。無いはずの眼がネロを見据えているのを感じる。モレクがネロに噛みつこうと口を開けた刹那、ツァガーンがモレクの頭を踏み砕いた。
瓜を踏み潰すように、ツァガーンはモレクの頭を踏み潰した。あっけなく、なんの前触れもなくモレクは死んだ。
そこには青い血溜まりに潰れた頭部を沈めて、体を小刻みに痙攣させる邪神の姿があった。
ネロはツァガーンに抱きつくと頭を撫でて何度も礼を言った。
カインとスーのところに向かい、刺さっている爪を抜いた。カインは飛び起きてハンニバルとパウの応急処置をした。二人ともなんとか一命を取り留めたが、ハンニバルは重症だった。すぐにきちんとした治療をしなければ危ない状態だった。
「また……お前に助けられたな……」
ハンニバルがネロに言った。
「違うよ…ツァガーンが助けてくれたんだ」
見るとスーがツァガーンのところに一直線に駆けていくところだった。
「ありがとう。アタシの愛しい子。お前が来てくれなきゃ、みんな駄目になるところだった」
スーは涙を流してツァガーンを愛でていた。ツァガーンはそれを黙って受け入れていたが、しばらくするとドンと体を横たえて荒い息をしはじめた。
「ツァガーン! どうしたんだい!?」
スーはツァガーンを抱きかかえた。見るとツァガーンの横たわる場所に真っ赤な血溜まりができていた。
「そんな! どうしよう! 血を止めなきゃ!」
カインが慌てて手当をしたがツァガーンはどんどん衰弱していった。
「くそ! 血を流しすぎてる! このままじゃまずい」
カインが唇を噛みしめた。
そのとき突然ネロの耳に、鈴のような聞き慣れた声が聞こえた。
「神殿に向かって」
慌てて振り向いたが誰もいなかった。
しかしネロはすぐに叫んだ。
「神殿に急ごう! そこに行けばなんとかなる!」
誰も理由を聞く者はなく、すぐにネロの言葉に頷いた。
こうして一行は瀕死のツァガーンと重症のハンニバルを抱えて神殿へと向かった。
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