屍を越えて1

 髑髏の灯籠はどれも小さな頭蓋骨で出来ていた。ネロはパラケルススの言葉を思い出して身震いする。

 

 奴は子供を狙う邪神じゃ…


 一人で髑髏の立ち並ぶ地下を歩いていると、ネロの魂は心細さに震え始めた。

 

 目の端で揺れる影や、洞窟の暗がりを餌に、恐怖はその姿を禍々しく変えながら膨れ上がっていく。

 

 神殿まで続く一本道を中程まで進んだ時にネロは思わず硬直した。

 

 髑髏の灯籠の中のひとつに亡骸が混じっていたからだ。

 

 干からびて骨にへばり付いた肉、丸太に打ち付けられた手足、その上に、綺麗に骨だけになった頭が繋がっている。

 

 大きく開いた口の中に燃え尽きることのない邪悪な蝋燭を立てられた亡骸は、開放してくれと泣いているように見えた。

 

 丸太には無数の掻き傷が残っていた。

 

「この子は生きたまま顔を骨にされたんだ……」

 

 ネロの中には恐怖とともに、沸々と怒りが湧いてきた。ここに並ぶ灯籠の数だけ、あるいはそれ以上の子供が犠牲にされたことにネロは憤った。その怒りに呼応するかのように堕天の燈火がカタカタと音を立てた。

 

 髑髏の隊列はネロに敬礼する。

 

 運命という名の思惑に抗う少年に、運命や名誉という名のもとに贄にされた子供達の亡骸が敬礼する。

 

 いつの間にかネロの震えは止まっていた。

 

 ネロは視線を上げて神殿へと走ろうとした。

 

 ヒタ……

 

 ネロの心臓が早鐘を打った。

 

 左から素足で岩の上を歩く音が聞こえる。

 

 ヒタヒタ……

 

 ネロはノワールを抜いて全速力で神殿に走った。

 

 モレクはそれを見ると大きく跳躍し神殿の入り口の前に立ちはだかった。

 

 モレクは口角をニィと上げて、無数に生えた汚らしい牙をネロに見せつけた。指に生えた長い鉤爪をガチャガチャと鳴らしネロを見ている。

 

 ネロはモレクの片足が無いことに気がついた。そしてあちらの扉からやってきた理由を考えた。

 

 大丈夫…。きっとみんなは生きてる!! 戦いで足を失ってモレクは鉄の扉に逃げ込んだんだ…!!

 

 ネロは深呼吸し、立ち並ぶ亡骸達のことを思った。

 

 ネロはノワールを構えてモレクを睨みつけた。

 

 モレクはそんなネロを見ると面白くなさそうな表情を浮かべてため息を付いた。

 

 ネロは踵を返して階段の方へ向かって走った。するとモレクはネロの予想外の行動に慌ててまたしても跳躍してネロを追いかけた。

 

 ネロはモレクの跳躍を確認するとすぐさま神殿に向かって急旋回した。ネロはモレクの下をくぐり抜けるようにしてモレクを出し抜いた。

 

 神殿に向かって必死に走っているとネロは突然地に引き倒された。耳元にはモレクの生暖かい息遣いを感じる。

 

 モレクは鋭い爪でネロの頬に三本の傷を付けた。ネロはノワールで何度も切りつけたが、モレクはそんなことはお構いなしにネロの血を舐め始めた。

 

 モレクは細く長い舌で自らの頬を舌舐めずりすると、久々の血の味に歓喜の叫びを上げた。

 

 ネロは腰に結わえた堕天の燈火に手を伸ばしたが手は空を切った。目をやると燈火は倒された拍子に持ち手が外れて、足元に転がっていた。

 

 足で燈火を取ろうとしたが上手く取れない。モレクは燈火に気付くと大きく息を吸い込んでランタンごと燈火を遠くへ吹き飛ばした。

 

 モレクは満面の笑みを浮かべてネロの頬骨に爪をかけた。それが顔を肉を削ぐための行為であると直感的に理解したネロは、声を上げて抵抗した。

 

 手足をバタバタとさせて抜け出そうとしたが邪神の下敷きになった体はびくともしなかった。

 

 爪が頬骨の肉に食い込んだときだった。変身したカインとスーが二人でモレクに体当たりして邪神を脇にどかした。

 

 カインとスーはモレクに噛みつき肩や首を食い千切ったが、モレクはそんな二人を払いのけて十の爪で地面に磔にした。

 

 両手、両足と腹に突き刺さった爪はポキリと折れて、カインとスーを地面に打ち付ける杭の代わりになった。

 

 二人はそこから抜け出そうと必死に足掻いたが爪は長く抜けることはない。

 

「逃げろ…!! ネロ…!!」

 

 カインは口から血を吹き出しながら叫んだ。ネロは神殿に向かって走ろうとしたがモレクに足を掴まれてしまった。

 

 すると巨人のような筋骨隆々の姿になったパウがハンニバルを抱えてモレクの上に降ってきた。

 

 モレクは踏み潰されて内臓が飛び散ったが、巻き戻しのように瞬く間に元通りの姿になってパウを殴りつけた。

 

 パウはモレクの両手を掴んで引きちぎろうと左右に引っ張った。しかし引きちぎれたように思われた手はぐにゃりと伸びただけだった。

 

 モレクはパウに頭突きをして拘束を解くと、長くなった腕で何度もパウを殴りつけた。

 

 それは太く重たい鞭で打つような凄惨なものだった。パウの顔はみるみる腫れ上がっていき、ついには気を失ってその場に崩れ落ちた。

 

 ネロとモレクの間にハンニバルが立ちはだかった。

 

 ネロは立ち上がろうとしたが、足にうまく力が入らない。見るとネロの足は先程モレクに掴まれた時に折れてしまったようでおかしな向きに曲がっていた。

 

「お前を死なせはしない。絶対に」


 ハンニバルは自分自身に誓うようにつぶやいた。

 

「自分の非力のせいで息子を失うのは二度とごめんだ」

 

 ハンニバルはネロに目をやると見たこともないような優しい表情で笑いかけた。

 

「息子のように思っていた。お前は俺に再び生きる意味をくれた。礼を言う」

 

「ハンニバル! 嫌だ! 死なないで!」

 

 ハンニバルは黙ってモレクに向かっていった。

 

「裏技、無明…」

 

 そうつぶやくと同時にハンニバルの体からエーテルの気配が消えた。

 

「今からエーテルが尽きるまで俺はいかなる攻撃も受け付けない。その間に神殿に向かえ!」

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