「スー! スー・アン! しっかりしろ! すぐに助けてやるからな!」

 

 カインはなるべくスーを揺らさないようにしながら全速力で丘の上を目指した。丘を登るにつれて、あのぬかるみは嘘のように消えていき、あたりにはすすきや葦ではなく、柔らかい緑の草が生え始めた。

 

 カインはスーを柔らかい下草の上に寝かせると、沼の周囲に生えていたドクダミとフキをすりつぶしたものをスーに飲ませようとした。

 

「これで少しは毒を押さえられる」

 

 カインはスーの口元に薬草を運んだが、スーは飲み込むことが出来ずに吐き出してしまった。

 

「飲むんだ。頑張れスー」


 カインは今にも泣き出しそうな、震える声でスーを励ました。

 

「ずいぶん……雰囲気が……変わっちまったんだね……トカゲさん……」


 スーは微笑みながらつぶやいた。 

  

「バカ野郎……こんな時に冗談なんて笑えねぇよ…!?」


 カインは力なく笑ってみせたが、笑顔とは裏腹に、頬には涙が伝った。

 

「見なよ……実はウヴァマタにやられた毒が効いてて……毒水の触手を避けられなかったのさ……強がったバチが当たったね」

 

 スーは裾をまくって脇腹を見せた。脇腹は赤黒く腫れ上がり、傷口を中心に紫の血管が蜘蛛の巣のように浮き上がっていた。

 

 カインは傷を見つめて歯を食いしばった。どれだけ致命的な状態かカインには解っていた。それでもカインはすりつぶした薬草を患部に当ててスーに言った。

 

「お姫様が無理しすぎるからだぜ。必ず俺が助けてやるから安心しな」


 カインは優しく微笑んで見せた。

 

「アタシはもうだめだ……自分のことだから……わかるよ。アンタに会えて良かった。最初は……最低な男だと思ったけどね……」

 

「おい! 馬鹿なこと言うな! スー・アン! 諦めるな!」

 

「ツァガーンを……よろしく頼むよ……ネロとベルも守ってあげて」

 

「ツァガーンはなぜか俺のこと嫌ってるから駄目だ。ベルだってお前に懐いてる」


 カインの言葉にスーは苦笑する。

 

「ツァガーンは妬いてるんだよ……アタシのことは……何でも知ってるから」 

 

「意味がわからねぇよ。とにかく大丈夫だ! 生きてくれ! スー」


 カインは縋るようにスーを見つめる。

 

 スーはしばらくその目を見つめていたが最後の力を振り絞って話し始めた。

 

「旅が終わったら……アンタに言いたいことがあったんだ……アタシの旅はもう……終わるから……最後に聞いてくれるかい……?」

 

「俺だって旅が終わったらお前に言うことがあるんだよ! スー・アン!」

 

 スーはそんなカインを愛おしそうに見つめると、カインの頬に手を触れて言った。

 

「アンタを愛してる。もっと……アンタと生きたかった……」


 スーは大粒の涙を流して笑った。

 

「死ぬことは……いつも覚悟してた……だけどアンタと一緒にいれないのが心残りだよ……」

 

 カインはそれを聞くと天を仰いだ。そして大きく息を吸い込むとスーの瞳を見つめた。

 

「旅が終わったら言うつもりだった。呪いが解けて綺麗になってから言うつもりだった。だが、今言うよ……」 

  

「スー・アン。俺と夫婦めおとになってくれ。俺とこの呪いを受け入れてくれ。これから先いつまでも、どんなことがあっても離れることの出来ない、永遠の契を俺と結んでくれ」

 

 スーはコクリと頷いて言った。

 

「それが出来たらどれだけよかったか」

 

「スー。俺もお前を愛してる。俺を信じろ」

 

 カインはそう言うとユバルでスーの左の掌を傷つけた。そしてヤバルでスーの右の掌を同じように傷つけた。

 

「何するんだい?」

 

「契を結ぶんだ」

 

 カインは自分の右の掌をヤバルで傷つけ、左の掌をユバルで傷つけるとスーと向かい合って手を握りあった。二人の傷は交わり、血が境界線を曖昧にした。

 

「俺に続いて復唱してくれ。名前のところは相手の名前を」

 

 スーは黙って頷いた。

 

「我はスー・アンと永遠の契を結ぶものなり」

「我はトバル・カインと永遠の契を結ぶものなり」

 

「血は混じりひとつ。肉体もひとつ。呪いもひとつ」

「血は混じりひとつ。肉体もひとつ。呪いもひとつ」

 

「我はスー・アンと永遠に地の面をさすらい歩き、とどまることはない」

「我はトバル・カインと永遠に地の面をさすらい歩き、とどまることはない」

 

「咎を背負い、罰を背負い、君を背負い、終に二人は一体となる」

「咎を背負い、罰を背負い、君を背負い、終に二人は一体となる」 

 

「互いの尾を喰む蛇のごとく、我が尾をスー・アンに捧ぐ」

「互いの尾を喰む蛇のごとく、我が尾をトバル・カインに捧ぐ」

 

「我を呪う神の名に於いて、永遠の血の契をスー・アンとここに結ぶ」

「我を呪う神の名に於いて、永遠の血の契をトバル・カインとここに結ぶ」

 

 二人が契の口上を唱え終わったと同時にネロ達は丘の上にやってきた。一行の目はスーとカインに釘付けになった。

 

 カインとスーの掌は、まるで赤い糸で繋がれるように血で繋がっていた。

 

 スーは横になったままの姿勢で空に浮かび、その下でカインが両手を広げてスーを見つめていた。

 

 掌から伸びる血の帯は美しい曲線を描き、捻じれ、互いの掌を通して循環した。


 二人の周りを血の帯が取り囲み、横に倒れた八の字を象った。

 

「なんと…血の契じゃ…」


 パラケルススはハンニバルに肩を支えられながらつぶやいた。

 

 スーの肌に鱗が透けた。身体に付いた傷が消えていくのがわかった。そしてカインと同じような目玉が脇腹の傷口から現れた。

 

 掌の傷が癒えるに従ってスーはゆっくりと空中から降りてきた。スーはカインの首に両手を伸ばした。カインはスーを受け止めて抱きかかえた。

 

「これでアタシも不死身トカゲの仲間入りかい?」


 スーがニヤリと笑って言った。

 

「ああ。俺のことを笑えなくなったな」


 カインは涙を流しながら笑って答えた。

 

「責任をとってもらうからね」


 スーはカインを怖い顔で睨んでみせた。

 

「ああ。望むところだ」

 

 カインはそう言うとスーの指に古びた指輪を嵌めた。するとスーの肌の鱗や、縦に割れた黄色い瞳がもとのスーのものに戻った。

 

「よかった。トカゲのままかと思って心配してたんだよ」

 

「俺の指輪と二対しかねぇからな! 絶対失くすなよ!?」


 カインは真面目な顔で念を押した。

  

 二人は見つめ合うと、どちらからともなく口づけをした。長い口づけの後で、スーはカインの首に抱きついてこちらを見ると、人差し指と中指を立ててニカっと笑って見せた。

 

 スーの笑顔を見てベルは大粒の涙を流した。ベルは声を上げて泣きながらスーのもとに駆けて行った。

 

 スーはカインの腕から飛び降りると、ベルを抱きしめて頭を撫でながら言うのだった。

 

「ほらね。アタシの魅力の勝利さ」

 

「ばかぁ……死んじゃったかと思ったぁ……」


 ベルはスーを何度も叩いた。

 

「心配かけて悪かったね。もう大丈夫」

 

 ネロとパウはカインのところに行くとニヤニヤしながらカインの両側から肩を組んだ。

 

「なんだよ…?」


 カインは照れ隠しに、わざとぶっきら棒に言った。

 

「おめでとう」


 ネロは素直に祝福した。いつの間にか涙が流れていることに自分でも驚いた。

 

「おう…」


 カインがそう言いながら、さり気なく目尻を拭ったのをネロは見逃さなかった。

 

「おめでたいデス! お祝いデス! ワタシの故郷、結婚する夜、必ず子どもつくりマス!」

 

 パウはそう大声で叫ぶとタンバリンを取り出して大興奮で叩きながら、奇声を上げて踊り始めた。

 

 カインはそんなパウを、なんてこと言うんだと怒って追いかけたが、舞い踊るパウを捕まえることは誰にも出来ない。

 

 ネロ達はそれを見て大笑いした。

 

 一時は涙も流れぬほどの深い悲しみを覚悟したが、こうして笑えることが心から嬉しく思った。そんなことを考えると、ネロの目にまた涙が浮かんでくるのだった。

 

 ネロがその涙を大笑いで隠したことを知っているのは、そっとネロを見ていたベルだけだった。

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