タルアハ1


 一行は息を潜めて静寂に包まれた建物の中を歩いていた。広間には真っ白な板が等間隔に並んでいて、区切りの数と同じだけ金属の机が並んでいた。どの机の上にも同じように整理された紙の束が大量に置かれていた。

 

「気味の悪い建物ね…」


 ベルがネロの裾を掴んでつぶやいた。

 

「どうして同じ机がこんなに並んでるんだろう?」


 ネロも首をかしげて紙の束を引っ張り出して眺めてみた。

 

 全く同じ作りの机に、まったく同じ駒付きの椅子。紙の束や本を立てておくための棚も全て同じだった。無機質で同質な調度品の連続はネロを不安な気持ちにさせた。 

 

「静かに」


 パラケルススが唐突に二人の会話を制した。

 

 パラケルススの指差した方向には、壁に埋め込まれた巨大な水槽があった。緑色の苔がびっしり生えて汚れた水槽の中には様々な生き物の骨が沈んでいた。

 

「人骨も混じってるな」


 ハンニバルが顔をしかめて言った。

 

 水槽の壁には鎖の一端が固定されていて、生き物を拘束することができるようになっていた。どうやらここでおぞましい実験が行われていたのは間違いなさそうだった。

 

「水槽ってこたぁ、やばい水中生物がいるってことかよ?」


 カインが勘弁してくれと言わんばかりに嫌な顔をしている。

 

「こんなとこで突っ立てないで、さっさと乾いたところに上がっちまおうよ」


 スーが一行を急かした。

 

「うむ…。何か敵の正体が記された書物があればいいんじゃが」


 ハンニバルは机の紙の束をめくりっていたが目ぼしいものが見つからなかったのか、紙の束を机に戻した。

 

 一行が歩きだそうとしたときベルは異変に気づいた。何気なく目をやった水槽が空っぽになっていたのだ。水の中身ではなく、水そのものがすっかりなくなっていた。

 

「水槽が空っぽになってる……」


 ベルは理解が追いつかずに見たままを口に出した。

 

 ベルの言葉で一斉に水槽に目をやった。一気に緊張感が高まった。ありえないことが起こるときには、大抵の場合ろくでもないことが起こる前兆だと一行は身をもって知っていたからだ。

 

「床が濡れておる」


 パラケルススが床の水を触ろうと手を伸ばした。水はスルスルと流れてパラケルススの手を避けた。

 

「ん?」


 パラケルススはもう一度触れようと手を伸ばしたがまた駄目だった。

 

 パラケルススはムキになって何度も手を伸ばした。そしてついにパラケルススは水を掴んだ。

 

「捕まえた!」


 パラケルススが捕まえた水を掴んで、誇らしげにふり返ると一行は口をあんぐりと開いてパラケルススの背後を見ていた。

 

 パラケルススも我に返って冷や汗を流しながら振り向いた。そこには巨大な水の塊が立っていた。

 

「なんじゃこれは!?」


 パラケルススが掴んでいた手を離すと、水はぼとりと床に落ち、まるでミミズのような動きをした。よく見ると水塊から伸びた触手の一本をパラケルススは掴んでいたようだ。

 

 水の塊は自由自在に形を変えて部屋の中をゴム毬のように跳ね回ると、再び一同の前に立ちすくんだ。水面がざわざわと波立つと無数の触手を広げて一行に襲いかかってきた。

 

「タルアハ!」


 パウが大声で叫んだ。

 

「タルアハって!?」


 ネロが後退りしながら尋ねる。

 

「跳躍する水! 水の悪い精霊デス! 生き物捕まえて食べマス!」


 パウが早口で答えた。

 

「弱点とかはないわけ!?」


 スーが矢を構えて言う。

 

「ワタシ戦ったことナイ!」

 

 言い終わらないうちにタルアハの触手が勢いよく伸びてきた。慌ててそれを躱すと、触手は金属の机をいとも容易く貫いて一行を驚愕させた。

 

「当たれば致命傷だ! とにかく逃げろ!」


 ハンニバルの斬撃も水の身体には意味をなさず、大きな水しぶきをあげるだけだった。

 

 タルアハはブルブルと身震いすると触手を引っ込めて球体になった。ぐにゃりと身体を歪めると凄い速さで跳ねあがり、天井に跳ね返って一行の方に飛びかかってきた。

 

「廃墟の方へ逃げろ!」

 

 ハンニバルの声を合図に一行は走った。ネロが扉を開けようとしたが鍵がかかっていて開かない。

 

「どいてろ!」

 

 ハンニバルが扉を蹴破ると中にはぎっしりとウヴァマタが詰まっていた。ハンニバルは一瞬怯んだがすぐに扉を閉じて次の扉に向かった。

 

「あっちだ!」

 

 後ろではタルアハが物凄い音を立てながら、壁や天井にぶつかり跳ね返りを繰り返していた。タルアハが何かにぶつかるたびに建物全体が激しく揺れた。

 

 ハンニバルは次々と扉を蹴破っていった。しかしどの扉も中は同じ構造の密室になっており、一様にびっしりとウヴァマタが詰め込まれていた。

 

「手分けして出口を探すのじゃ!」


 パラケルススの号令で一行はバラバラに扉を開けて出口を探したがどの扉も出口には繋がっていなかった。

 

 タルアハが水槽にぶつかって水槽が粉々に砕け散った時だった。突然赤い光が建物内を照らし、けたたましい警報音が鳴り響いた。

 

「なんだ!?」


 次に何が起こるのかと一行が身構えていると、さきほどまで身動き一つしなかったウヴァマタ達がゆっくりと一斉に動き始めた。

 

「一体何が起こってんだ!?」


 カインが扉を塞ぎながら叫んだ。

 

 一行は扉の近くにあったガラクタなどを積み上げて防壁を作ったがウヴァマタの大群を押さえておくことは出来なかった。


 ぞろぞろと扉という扉からウヴァマタは溢れ出してくる。


 タルアハは依然として予測のできない動きをしていた。意思があるのかすら分からない。しかし猛スピードで動くタルアハはそれだけで十分に脅威だった。

 

「こっち!」


 ベルが叫んだ。

 

 ベルは広間の隅に立っており、床を指さしている。みんなが集まるとベルが指す床だけ色の違うタイルが嵌め込まれていた。

 

「ここを開けて!」


 ベルはハンニバルに向かって言った。

 

 ハンニバルは黙って頷くとタイルの隙間にナイフを差し込んでこじ開けた。

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