鎮魂の歌
街を飲み込んだ黒い炎は全てを焼き尽くした。そこには初めからなにも無かったかのようなガランとした焦土が広がっていた。
堕天の黒い炎は、荒れ狂うだけ荒れ狂うと、気が済んだのか風に舞う塵となって消えてしまった。
ネロはその場に倒れ込んだ。ハンニバルがとなりにやってきて同じように倒れ込んだ。
二人はしばらく無言で空を見上げていたが突然ハンニバルが大声で笑いだした。ネロは初め驚いたが、次第につられて大声で笑った。
二人で笑い転げているとベルとパラケルスス、カインとパウ、そして馬達と荷物を引き連れてスーがやってきた。
「何がどうなってるわけ?」
スーがカインに耳打ちした。
「俺もいま来たところだよ」
カインが手のひらを上に向けて言った。
ネロとハンニバルは目を見合わせるとまた大声で笑い始めた。二人とも涙を流しながら笑っていた。
笑い終えるとハンニバルが大の字に寝転んだままネロに話し始めた。
「俺には妻と息子がいた。息子が生きていれば今頃お前と同じくらいの歳だっただろう。当時俺はルコモリエの兵士だった。その日も俺は部下を連れて、国内の不穏分子の制圧に向かっていた。不穏分子と言っても皆が悪人なわけではない。この国の奴隷制に疑問を持って帝都から逃れた人々がほとんどだ」
ネロは黙って聞いていた。
「強い男だった。男は最後まで仲間を逃すために抵抗した。俺と互角に渡り合うほどの強さだった。部下たちは足手まといだった。負傷を理由に撤退させ、一騎打ちは三日三晩続いた」
「激闘の末、ついに男を討ち取ったが俺はしばらく身動きが出来なかった。近くの岩の窪みでさらに三日三晩傷を癒やした」
「俺が帝都に帰った時には、部下たちが帝都に戻ってからすでに二週間が経っていた。街の誰もが俺のことは死んだと思っていた」
「俺は街の人間の反応に嫌な予感がした。まわりの静止を振り切って家に急いだ」
「家に帰り、妻と息子の名前を叫んだ。二人からの返事はなかった。二人の返事のかわりに血まみれの作業着を来た男が階段から降りてきて俺と目が合った」
「一瞬で理解した。俺がいなくなったことで、二人は奴隷にされたのだと。そして二人を買ったのが血まみれのこの男だと」
ハンニバルが拳を固く握り込む音が聞こえてきた。ネロはハンニバルの肩にそっと触れた。するとハンニバルの力が少しだけ緩むのを感じた。
「気がつくと俺は男を殺していた。二階に上がると妻と息子は凄惨な姿になっていた。美しかった妻は見る影もなかった。あんなに輝いていた息子の瞳には姫リンゴが詰め込まれていた。二人ともわずかに息をしているだけで話すことも出来なかった。二人が息を引き取るまで俺はできる限り痛みと苦しみを取り除こうと努めたが、焼け石に水だった。いたずらに苦しみを長引かせただけかもしれない」
「そんなことないよ……」
ネロは絞り出すように言った。
「俺は妻と息子の遺体を袋に詰めて街の外に運んだ。遺体を隠してから奴隷商のセルゲイのところに向かった。血まみれで鬼気迫る俺を見た住人たちが軍に通報したようだったが構わなかった。止めようとする兵士たちをなぎ倒して劇場でセルゲイを見つけた。俺は逃げるセルゲイの頭を掴んで頭皮を引き剥がした。倒れた奴の右足を切り落とし、左手も叩き潰した」
「そこにジョセフが部下を連れて駆けつけた。俺は部下を何人か殺し、奴の目を奪った。片目でうまく戦えない奴にトドメを刺そうとしたが、奴は秘密裏に新しい兵器を開発していた。透明になる服や、エーテルを飛ばしたりする武器だ。俺は初めて見るその武器に対処出来ずに手傷を負ってその場から逃走した」
「帝都から脱走した俺は、妻と息子の遺体を抱えて、追手を振り切るために必死で走った。予想に反にして追手の追撃は日に日に緩んでいった」
「それからは妻と息子の遺体を埋葬する場所探しに世界中を旅した。シュタイナー王国の領土を旅していた時にブラフマンに出会った。そして俺は身を守るため、なにより妻と息子をきちんと埋葬するためにシュタイナー王国の騎士になった」
その場にいた誰もが何も語らず、ただハンニバルの話を静かに聞いていた。
「ネロ。お前がアーリマンに吐いたあの言葉は本来ならば俺が吐くべき言葉だった。しかし俺は強大なあの男の力の前に、ただ死をもって時を稼ぐことしか考えられなかった」
「礼を言う。ありがとうネロ。お前はこの国の奴隷たちの無念と悲しみを代弁してくれた。妻と息子も少しは報われたと思う」
「そして何より、俺はお前がこの国を焼き尽くしてくれたおかげで少し心が軽くなった」
ハンニバルの眼は以前のような過去に囚われた暗い目ではなくなっていた。
悲しみは消えない。後悔も消えないだろう。それでもハンニバルの眼は今ここにいるネロを真っ直ぐに見つめていた。
風がヒュウヒュウとルコモリエの跡地に吹き抜けた。旋風が黒い灰を空に巻き上げる。
風の音は苦しめられていた魂たちが、呪縛から解き放たれて天に昇るための鎮魂の歌のようで、どこか物悲しい響きをしていた。
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