ソドムとゴモラ2

「待つんじゃ!! ネロ…!!」


 パラケルススの声が聞こえる。しかしネロは振り返らない。

 

 体中にエーテルを漲らせて地面を蹴った。猫科の動物がするように収縮した身体を一気に解き放ち、広場への道を急いだ。

 

 広場に着くとボロボロのハンニバルが街灯を振り回していた。アーリマンはジョセフを引き連れてハンニバルと戦っていた。まともな武器のないハンニバルはエーテルによる身体の強化だけで戦っていた。街灯ごときではハンニバルの激しいエーテルを纏うことができないのだ。

 

 アーリマンは巨大な手斧を両手に構えて戦っていた。どす黒いエーテルを纏った手斧は武器にも盾にもなった。


 そのうえアーリマンがアストラルにエーテルを込めて叫ぶと、より強いエーテルで抵抗しないものはアーリマンの言葉どおりに動いた。

 

 ジョセフは細長いレイピアに黄色いエーテルを纏わせて、するどい突きを一瞬のうちに何度も繰り出していた。その姿は獰猛な蜂が獲物に襲いかかる姿を連想させた。


 ハンニバルが劣勢なのは火を見るよりも明らかだった。

 

「ハンニバル!」


 ネロは叫びながらアーリマンとハンニバルの間に割って入った。

 

「ほほう。ネロ。よく来たな。残念ながら交渉は決裂だ。まずはこの男を捕らえてきつい拷問にかけた後殺す。向こうで暴れている仲間も順番に殺してやる」

 

 アーリマンが指差した方角は、火の手が上がり明け方の空が赤く照らされていた。ベルの言った通りどうやらカインやパウも無事だということだ。

 

「お前は両足を切り落とし、徹底的に拷問する。我に絶対の服従を誓うように心と身体に痛みと恐怖を刻みつけてやる」


 アーリマンは無表情で言い放った。

 

「ハンニバルとパラケルスス、そして老い先短い母親さえ見捨てれば大切な仲間を失わずに済んだのだ! 我の右腕として何不自由なく生きられたものを馬鹿な男だ。ネロ!!」

 

 ネロはちらりとハンニバルに目をやった。ジョセフと対峙するハンニバルは傷だらけだったが致命傷は見当たらない。ジョセフ一人の相手ならやられることはないだろう。


 ネロは覚悟を決めた。

 

「僕はこの国が大嫌いだ!」


 ネロはアーリマンを睨み叫んだ。

 

「この国の人間は自分の地位を守るために他人を虐める。それだけじゃない。十分に恵まれている人間が遊び半分で奴隷を傷つけて楽しんでる! そんなのはジーンエイプ以下だ!」

 

「お前と議論するつもりはない!」


 アーリマンは斧を振り下ろした。ネロが横に飛び退いてそれを躱すと、赤レンガが粉々になって飛び散った。

 

!!」


 アーリマンが大声で叫ぶと広場の周りに大量の兵士たちが集まってきた。

 


「お遊びは終りだ。ネロ」


 アーリマンは冷たくそう言うと、兵士たちに合図した。

 

「ハハハ! 裏切り者にふさわしい最後を迎えるがいい!」


 ジョセフがハンニバルに叫ぶ声が聞こえる。

 

 ネロは周囲を見渡した。広場に帰ってきたパラケルススとベルが兵士に捕まりそうになっているのが見えた。ハンニバルは兵士をなぎ倒しているが、訓練された兵士たちも決して弱くはなく、どんどんハンニバルは傷を増やしていった。

 

 ネロは世界が止まり、時がゆっくりと流れているような錯覚に陥った。ふと視線を落とすと堕天の燈火がジリジリと音を立てて黒い炎を揺らしていた。それに合わせてランタンの小窓がカタカタと音を立てている。

 

 それを見てネロは、ふとブラフマンが言った言葉を思い出した。

 

「我々の魔法で可能なのは物理的な衝撃で簡単には壊れないようにするのが精一杯だった」

 

 これじゃない。もっと大切なことだった。

 

「魔法の効力を高めるために開け閉めできる小窓が付いている」

 

 小窓がついている。ネロはカタカタと音を立てる小窓を見つめてさらに記憶の糸をたどった。

 

「くれぐれも開けぬようにな? 開ければ抑えていた炎が一気に外に溢れ出し、消えぬ炎であたり一面を焼き尽くすだろう」

 

 

 ネロは記憶の糸を辿り終えると静かにつぶやいた。

 

「僕もそう思う…。こんな国、消えて無くなってしまえばいいんだ…。」

 

 ネロは堕天の燈火の入ったランタンの小窓の留め金をそっと外し声に出して祈った。

 


「神様。僕の大切な人たちが燃え尽きませんように」

 


 祈り終えるとネロは小窓を開いた。

 

 堕天の燈火はまるで液体のようにするすると音もなく小窓から溢れると、ネロを中心にして波紋のように広がっていった。それは黒いビロードのドレスがネロを中心にはためくような美しさだった。

 

 しかしその殺意は凄まじく、触れたものは石であろうと鉄であろうと瞬く間に灰と化していった。美しい噴水も、溢れ出る水さえも飲み込んでいった。


 運悪く燈火に足が触れた兵士はまるで地面に吸い込まれるかのように足元から燃え尽きていった。

 

 その光景を目にしたアーリマンが大声で叫んだ。

 

殿!!」

 

殿!!」

 

 アーリマンの魔法に操られてルコモリエの人々は糸で手繰り寄せられるかのように神殿に集められていった。魔法が届かなかった人々は、美しい街ごと黒い炎に熔けていった。

 

 アーリマンは神殿にたどり着くとアマテラスに向かって命令した。

 

 

 するとアマテラスの下にあった台座が回転しながら横にずれて大きな穴が現れた。アマテラスは緑の光を放ちながら穴の中に沈んでいく。

 

 アーリマンは黒い炎に飲み込まれゆく街を見渡し独りごちた。

 

「ふん。忌々しいブラフマンの目論見通りになったわけか。どうせバーバヤンガの目を通じて見ているのだろう。我は必ず返り咲くぞ。世界を取るのは我だ…!!」

 

 そう言うとアーリマンは深い穴の奥へと消えていった。

 

 ネロ一行は焼き尽くされた街の中に佇んでいた。ネロ達の足元だけは燃えずに残り、かつての街の面影を残していた。

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