ソドムとゴモラ1
街は騒然としていた。人々が口々に叫ぶ声を解読するに、なにやら化け物が現れて街を破壊しているらしい。
「騒ぎは好都合じゃ」
パラケルススがつぶやいた。
ベルはまた耳に手をあてて何かを聞いていた。何度か頷くとあっちよと西の方角を指さし、ネロの手を引いて走り出した。
「パラケルスス! 体調は大丈夫なの?」
走りながらネロは尋ねた。
「本調子には程遠い」
パラケルススは苦々しくつぶやいた。その時突然ハンニバルがネロの肩を叩いた。
「ネロ。話しておくことがある。いざとなればパラケルススを連れて逃げろ」
ハンニバルが真剣な面持ちで話し始めた。
「何言ってるんだハンニバル! 皆で逃げるんだよ」
「もしもの話だ。アーリマンが来た時は俺が囮になる。アマテラスに燈火を安置するのがが無理となった今、この先パラケルスス無しで旅を続けるのは不可能だ」
ハンニバルの目には強い意思が宿っていた。
「ハンニバル…そんなことしたら、ハンニバルが死んでしまうかもしれない…!! いったいどうしてそこまでするの!?」
ネロは泣きそうになりながらつぶやいた。
「お前を死なせないためだ。俺はお前に死んでほしくない」
ハンニバルは見たことのない色を瞳に宿してネロに言った。静かで力強く、揺るぎない目の色。それは悲しく、同時に慈愛で満ち、今ではないどこかを見据えていた。
おそらくそれは過去の一点を見据える目だ。ネロの遠く届かない過去にハンニバルは今も生きているのだ。
ネロはそんなハンニバルに生きて欲しいと強く思った。しかしネロにできることは見つからなかった。
沈黙の中を走っていると突然ベルが立ち止まった。ネロが顔を覗き込むとその表情は恐怖に引きつっていた。
「どうしたの?」
ネロはベルの視線を目で追った。
ベルの視線の先には赤レンガの広場があった。
広場の中央にある噴水はアマテラスの放つ緑の光に照らされて妖艶な雰囲気を醸し出していた。
広場には人っ子一人いなかった。
しかしなぜだろう。ネロは広場に踏み込みたくないと思った。それはベルが怯えているせいなどではなかった。広場には目には見えない不吉が充満していた。
ハンニバルが一歩一歩広場へと歩みを進めていく。ハンニバルは近くにあった街灯を引き抜くとそれを槍のように振り回し轟々と音を立てて操った。
「ネロ。お爺さん。あの人が戦ってるうちにあっちに走って」
ベルは震える手で城壁の方を指さした。
「行こうネロ…。あの男の覚悟を無駄にしてはならん…」
ネロはパラケルススに諭されて城壁の方へ向かって歩きだした。足が重い。鉛のように重かった。からだがどろどろの粘土に変わっていくような錯覚に陥った。後ろからは建物や建造物が崩れ落ちる激しい戦闘音が聞こえてくる。しかしそれは水の中で聞く音のように膜がかかって現実感が無かった。
「お前を死なせたくない」
唐突にハンニバルの声が蘇る。
ハンニバルとはたいして会話をしなかった。しかしハンニバルから戦い方を学んだ。彼はいつもこちらに背中を向けて、強大な敵と戦っていた。
ハンニバルの強くて大きな背中が目に浮かんだ。
背後から聞こえる戦いの音が一層大きくなった。しかしネロはまだ水の中にいて現実感が湧いてこない。
ふとカインが刺された時のことを思い出した。するとネロの頬に涙が伝った。
このままではハンニバルが死んでしまう。そう思うと涙がとめどなく溢れてきた。
「お前を死なせたくない」
「僕だってハンニバルに死んでほしくない…!!」
ネロは一人つぶやくと、広場への道を全速力で駆け戻っていった。
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