闇の中で
ジョセフとセルゲイに連れられて、ネロ達は劇場風の建物にやってきた。入り口はぴかぴかに磨かれた真鍮と硝子で造られた美しい回転扉。その上には重厚な木目の美しい板に金の細工が施された看板がかけられている。
そこには文字が書かれていたがネロには読むことが出来なかった。
「ここはボリジョイ劇場! 最高のショーが昼夜問わず繰り広げられるルコモリエきっての大劇場にございます! 中でも今から見せる、私めが担当するショーは別格と自負しております」
セルゲイはネロに目配せしたがネロは視線をそらした。
「特等席を用意しまショー!」
セルゲイはそう言って大笑いすると、ネロ達を最前列の席に連れて行った。そこにはふかふかの長椅子が置かれており、ジョセフはそれに深々と腰掛けた。
「ハンニバルとパラケルススは上のボックス席に」
ジョセフが命じると二人は上階の席に連れて行かれた。ネロも付いていこうとしたがジョセフはネロの手を掴んで隣に座らせた。
「大帝からの命令なんだネロ。君にこの国の魅力を最大限味わってほしい」
ジョセフは真剣な目でネロを見つめながらそう言った。すると突然照明が落ちてあたりが暗くなった。
「紳士、淑女、ならびにクソガキの皆様! ようこそおいでくださいました! セルゲイの奴隷オークション開幕でございます!!」
大歓声とブーイングが同時に起こり、花束とゴミがセルゲイに向かって投げられた。セルゲイは花束を受け取りゴミはステッキではたき落としながら会場を静かにさせた。
「気になる奴隷がいれば言いたまえ。大帝からはどれでも好きな奴隷を買ってやれと仰せつかっている」
ジョセフはネロにそっと耳打ちした。
奴隷市は見るに耐えない内容だった。競りにかけられる奴隷は様々だったが、みな同じ服を着せられていた。白い麻布の服で、肌が透けるほど薄く、いかにも奴隷の装束といった具合だった。
若い男の奴隷は馬の鞍を背負わされて出てきた。大男がそれに跨って馬のように鞭で打って走り回らせた。それを見たセルゲイがいけ! そこだ! ハイ・ヨー! などと大興奮でまくし立てて観客を笑わせた。
小さな子どもの奴隷は蝋燭で炙られながら歌を歌わされた。涙を流しながらも声を震わせないように歌う子どもにセルゲイは感動の涙を流す振りをしてハンカチで鼻をかんだ。
一体何が可笑しいのか観客はそんな光景を見ては大声で笑うのだった。
老人の奴隷は特に酷かった。面白いことをしろと言われ、必死で観客を笑わそうとするのだが、面白くないとセルゲイが判定するたびに、金槌で足の指を潰された。老人が痛みに泣き叫ぶたびに観客はどっと歓声をあげ、涙を流す様を見ては大笑いするのであった。
ネロは怒りではらわたが煮え返る思いだった。
いったいこの場所は何なのか? 美しい街で幸せそうに笑う住民たちが奴隷をいたぶって喜んでいる。
十分に恵まれている市民達が、何故奴隷をいたぶって喜んでいるのかが理解できなかった。
ネロの目にはこの街の人々がジーンエイプよりも醜悪に思えた。同じように拷問を娯楽とするジーンエイプだが、彼らの根底にあるのは消えることのない人族に対する復讐心だった。
この街の人々はする必要のない余計なことをして暇潰しを楽しんでいるのだ。そのために他者を犠牲にしていることなど考えもしない。ましてや他者の味わう痛みなど微塵も感じないのだろう。
「続きまして! 美しい少女の奴隷をご紹介しまショー!!」
観客がセルゲイのジョークに一層盛り上がった。
首に重たい鎖を付けられた少女の姿が舞台袖に見え隠れする。
少女は必死に抵抗していたが屈強な男の力に敵うはずもなく舞台の中央に連れてこられた。
セルゲイはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、用意されたバケツに入った水を少女にぶちまけた。
少女はびしょ濡れになり、薄い麻の服はぴったりと肌に張り付き、少女の華奢な身体の線を露わにした。
服が濡れて肌が透て見える。少女は胸と下腹部を隠そうと必死に手で覆ったが、別の男が手と足に付いた鎖を引いて少女の手足の自由を奪った。
「うはー! このように若くて美しい少女は滅多に手に入りませんよ! 私めが買いたいくらいでございます!」
セルゲイは少女に近づいてジロジロと見つめて舌なめずりしてみせた。その様子を見た観客から歓声と悲鳴、そして罵声が飛び交った。
喧騒と狂乱が最高潮に達したその時、少女がネロの方を見た。ネロは彼女と目が合った。
トクン…。
その瞬間、ネロの心臓が脈打ち、雷に打たれたような震えが背骨の下の方から頭のてっぺんにまで上っていく。
「さてさて! お待ちかね! さらに良いものをお見せしまショー!」
下品な笑みを浮かべてセルゲイが少女に近づいてく。
少女の顔が恐怖に歪み、目尻から一筋の涙が溢れた。
カチリ…。
頭の中で音がした。気がつくとネロは考えるより先に身体が動いていた。
それはエーテルが体から溢れるほどの激しい感情の高ぶりだった。
客席から一足飛びで舞台に跳び乗るなり、勢いを殺すことなく左の肘をセルゲイの鳩尾に突き刺した。
そのままセルゲイの身体に体重を乗せて重心を移動させると、掴みかかってくる二人の巨漢の顎を目掛けて右脚が鋭い弧を描く。
ネロが冷たい目で見下ろすと、セルゲイは痛みに悶絶して涎をまき散らし、息も絶え絶えの状態だった。二人の屈強な男達も、顎を砕かれ、脳を揺らされ、地に倒れて動かない。
ネロは少女に上着をかけて観客を睨みつけた。
観客はその光景に呆然となり、言葉を失くしてネロを見つめている。
「素晴らしい!」
突然ジョセフが立ち上がって舞台に飛び乗ってきた。
「御覧なさい! これがネロだ! 大帝がご興味を抱くのもうなづける! 正義感と強さと優しさ! 奴隷の少女に憐れみをかけた英雄に拍手を!」
ジョセフがそう叫ぶと観客は大歓声をあげてネロに割れんばかりの拍手を送った。口笛を吹いて囃し立てる者、ネロの名前を叫ぶ者、ブラボーと叫ぶ者もいた。
「気に入ってくれたかね?」
ジョセフはネロの耳元でささやいた。
ネロは歓声をあげる観客を見た。そこにいるのは結末や、ましてや真実などどうでもいい、ただ馬鹿騒ぎするために他者の命を食い荒らす、美しい身なりをしたケダモノ達だった。
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