六つ目狼1

 首の無くなった奴隷の亡骸は、まったく静かに台の上に横たわっていた。彼は生き地獄から開放されたのだ。しかしその代償は彼の命だった。


 いったいこの世界に、どれだけ死によってしか開放されない苦痛を抱えた者たちがいるのだろうか。


 いったい何がこのような悲惨な現実を生み出すのだろうか。

 

 ネロは物言わぬ男を眺めて考えていた。自分が堕天の燈火を天界に返せば、少しは世界は明るくなるのだろうか。腰のランタンに視線を移し、そうなれば良いとネロは願うのだった。

 

「さあ。この部屋を出て休める場所を探そう。ここでクリムゾンエイプをやり過ごしたら出発じゃ」


 パラケルススはそう言うと部屋を出た。ひとり、またひとりと部屋を後にした。ハンニバルに肩を叩かれネロも重い足を引きずって部屋から出るのだった。

 

 

「オオォーン!!」


 遠くで狼の遠吠えが聞こえる。狼?

 

 

 全員に緊張が走った。パラケルススの話を思い出したからだ。

 


「まさか六つ目狼じゃねえよな…?」


 カインが皆の顔を見回す。


「バカ! そんなにホイホイ、ヤバいのが出てきたらたまんないよ! ただの狼だっているはずだよ!?」


 スーがカインを睨んだ。

 

「六つ目デス。今のは普通の狼の声違いマス……」


 パウが静かに二人の会話を遮った。

 

 

「オオオオォォォーーン!!!!」


 今度はずいぶん近くで遠吠えが聞こえた。ありえない速さでこちらに近づいて来ている。

 

「どうやら、ここも安全ではない。今すぐ出発しよう」


 ハンニバルが先陣を切って出口に向かった。一行もそれに続いて建物から外に出た。

 

 巨大な狼が突然飛び出してくるのではないか? そんな妄想が曲がり角に差し掛かる度にに、ネロの脳裏によぎった。


 ネロはハンニバルとパラケルススの間に挟まれる格好で馬を進めていた。すると突然、堕天の燈火がゆらりと揺れた気がした。あれ? とネロが火を覗き込むと上からパラパラと砂が降ってきた。

 

「上だ!! 上からくるぞ!!」


 ハンニバルが叫ぶと遠吠えとともに巨大な狼が建物の上から飛び降りてきた。

 

 巨大な狼は音もなく着地すると六つの目を別々に動かして一行を凝視する。それはまるで品定めするかのような仕草だった。

 

 狼の身体には毛が一本も生えておらず、ピンク色の肉が剥き出しになっていた。


 その巨大さは後ろ足で立ち上がれば、優に二階に手が届くほどだった。


 背中からは鋭い爪の付いたが何本も生えており、それをクネクネと自在に動かしていた。背中には触手だけではなくイグワナの背びれのような棘がびっしりと生えていた。

 

 顔の左右に三つずつ目玉が並び、そのどれもが血走って獲物を探し回っているようだ。鋭く長い牙は何本も口から外側に飛び出すように生えており、ヌルヌルとした唾液が糸を引いて地に垂れていた。

 

 狼はグッと体制を低くした。一同は反撃に身構えて武器を手に取りエーテルを身体にみなぎらせた。すると狼は飛びかかると思いきや、背中の触手をものすごい速さでこちらに伸ばしてきた。それはまるで弓矢のように壁や地面に突き刺さった。

 

 ハンニバルが一行に向かってきた触手を切り払ったおかけで誰も触手にやられた者はいなかった。ハンニバルは剣を構えて狼を睨みつけた。

 

「下だ! ハンニバル!」


 ネロが異変に気づいて叫んだ。なんと切り落とされた触手がハンニバルめがけてまたもや矢のように迫ってきた。

 

「くそっ…」


 ハンニバルは触手を躱しきれず、その内の一本が左の脇腹をかすめた。狼はこの機を逃すまいとハンニバルに襲いかかった。


「食らいな!」


 スーが矢を狼の右の目に命中させた。狼は痛みに一瞬身じろぎしたが、なんとすぐさま、傷口が矢を飲み込んでしまった。おまけに目は何事もなかったかのように再生している。

 

 急いで体制を立て直し、ハンニバルは狼の前足を切り飛ばした。狼は体制を崩してズドンと倒れたが、見る見るうちに新しい足が生えてきた。そのうえ切り落とされた足はビクビクとのた打ったかと思うと、手足が生えて小さな六つ目狼になった。


 これには一同もたまげてしまった。

 

「刃物を使うな! 奴は再生するどころか増える!」


 パラケルススはそう叫ぶとネロを引いて路地裏に連れて行った。

 

「よいな! ここに隠れておれ!」

 

「嫌だよ! 皆と戦う!」

 

「駄目じゃ! お主に何かあれば世界はおしまいじゃ」


 そう言ってパラケルススは戦場に戻っていった。


 パラケルススの真剣な眼差しを思えば、ネロは馬とともにその場に立ちすくむほかなかった。曲がり角の向こうからは激しい戦闘の音が響き、ネロの心にぽかりと浮かんだ無力感を揺さぶるのだった。

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