エピローグ

第35話 たとえなにがあっても

「うぅ……頭いたーい。疲れたー。

 お腹すいたー。ねむーい。もうやだー」


「師匠。もう少し我慢してください」


「ねぇ誠実。駄菓子屋に寄ってこうよ。

 私、あげパンが食べたいなぁ」


「おい。ケガ人なら少しは静かにしてろ」


「あれあれ? 実人まだいたの? 

 先に帰っていいのに。というか空気呼んでよ」


「はっ。誰のせいでこうなったと思ってる。

 お前にはまだ聞くことがたくさんあるんだ!」


「あ、暴れないでください師匠! 

 む、胸が……当たってますから」


 僕の背におぶさっている師匠が実人さんとまた口ゲンカを始める。

 これでもう何度目だろう。夕方の0番街裏通りは人通りが少ないが、その度に足を止めていたら日が暮れてしまう。


 三寸世界から戻った僕と師匠を待っていたのは、実人さんを始めとした秋葉一族本家の人たちだ。突如現れた僕らに驚き、分家の正さんの変わり果てた姿を見てさらに驚いていた。彼の両目は真っ赤に充血し、頬はこけて、ひどく怯えた様子でなにやらつぶやいていた。


 正さんをあの世界へ残してくるとは思っていなかった。口では許さないと言っても師匠は優しい嘘つきだから、少し怖がらせて反省させる目的であの世界を創ったのだろう。


 正さんの介抱を本家の人たちに任せてクラブを出ると、そこには坂爪陽介さんと日佐子さん兄妹、真理さんが待っていてくれた。どうやら僕や師匠を心配して来てくれたらしい。

 無事に解決したことを告げると、坂爪兄妹は何度も感謝の言葉をかけてくれた。

 真理さんは右手で僕と師匠の頭を撫でてきた。もしかしたら、途中でマリさんに入れ替わったのかもしれない。


「騙り部一門の奥義はたとえ秋葉一族の命令でも教えられないよ。じゃ、おやすみ~」

「おい! バカ! 寝るな! 起きろ! おい!」

「すみません。寝かせてあげてください。三寸世界を使った後は、いつもこうなんです」


 子どもの頃はそれこそ毎日のように使っていた。奥義をそんなポンポン使っていいのかと思うけれど、師匠は弟子の僕のために使ってくれていたのだ。


 心休まる時間も場所もない僕を心配して、楽しくておもしろい世界へ連れて行ってくれた。元の世界へ戻ると、疲れて眠る彼女を背負って家へ送り届けるのが僕の役目だった。

 師匠は昔から背が高くて苦労はしたけれど、その時ばかりは体を鍛えていてよかったと思った。


「クラブの裏口の戸が蹴破られていたな。あれはお前がやったんだろ?」

「はい。でも、よく気がつきましたね」

「はっ。道場での地獄のような特訓を忘れたのか。お前の蹴りは昔から強かったからな」


 実人さんの緩んだ目元を見て思い出した。

 どうして僕が上段廻し蹴りを覚えたのか。

 それは兄の蹴り技があまりに綺麗で目を奪われたからだ。本当に僕は昔から素直で正直者らしい。


「その、なんだ。たまには道場にも顔を出せ。俺が稽古をつけてやる。いいな……誠実」

「はい、実人さん……。いえ……に、兄さん」


 まだ呼び慣れていないから恥ずかしい。言い終えた後に口元が緩んでしまう。

 けれど、そのうち自然と呼べるようになるだろう。きっとこれから何度も呼ぶことになるのだから。


「ふふふ。これからもよろしくお願いしますね。お義兄にいさん」


「なんで起きてんだ! お前にそう呼ばれる筋合いはないぞ! 嘘でも冗談でもやめろぉ!」


「あれあれ? なに赤くなってるのかなぁ」


「だから危ないですって! やめてください!」


 先ほどから柔らかなものが背中に離れたりくっついたり……この人わざとやってないか?


 ようやく静かになったので今度こそ師匠は寝たらしい。


 実人さんが唐突に質問してくる。


「なあ誠実。正直に答えてくれ。こいつ、古津詠を怖いと思ったことはないか?」


 怖い? 師匠が? 

 彼女と出会ってからそんな感情を持ったことは一度もない。


「師匠はかわいくて綺麗だと思います。あと優しいと思ったことはありますけど」

「あのな、そういうことじゃない。お前ら師弟は変なところで似ているな」

「ありがとうございます」

「いや、だからな、そういうところだぞ。ほめてないからな?」


 実人さんは、ひどく疲れた表情で大きなため息をついた。


「わかってます。騙り部一門の奥義、三寸世界のことですよね」

「アレはなんだ。新しい世界を創造するなんて……こいつは神にでもなるつもりか?」

「もしも師匠が神様になるとしたらあげパンを祭壇にささげましょうか」


 なんて安上がりな神様だろう。

 いったいどんなご利益があるのかわからないけれど。


「俺は怖くて仕方ない。みんなはこいつを天才だなんだともてはやしているが、俺には規格外の怪物にしか見えない。見た目こそ人間だが、中身は化物なんじゃないか?」

「いいじゃないですか。騙り部が化物でも人間でも。あ、人でなしはダメですよ」

「おい。はぐらかすな。俺は本気で言ってるんだぞ」


 猛禽類を思わせる鋭い目つきで僕を見る。

 記憶を失った状態で会った時は怖いと思ったが、今ではあまり怖いという感情は持っていない。なぜならこの人もまた優しい人だから。


「『秋葉山の化物退治伝説』は知ってるな? あの昔話がすべて事実だと教えられた時、俺はみんなの頭を疑ったよ。秋葉山には化物がいて、騙り部はその化物と結ばれた。だから古津家は人間と化物の両方の血を引く一族なんて言われて信じられるか。でも、あのふざけた能力を見せられたら嘘や冗談が嫌いな俺でも納得させられた。三寸世界といったか? いったいなんだあれは。あんなことできるのは化物くらいだろう」


 僕は実人さんの話を聞きながら思う。

 師匠が眠っていてくれてよかったと。


「秋葉一族は昔から騙り部一門を従わせていると思っている親族も多い。それこそ嘘だ。いや、悪い冗談だ。こいつはやろうと思えばなんでもやれる。なろうと思えばなんでもなれる。秋葉市を統治することだってできるし、それこそ神になって世界を変えることもできるだろう」


 それが嘘偽りのない事実であることを僕は身をもって知っている。


「俺は秋葉一族の本家の長男としてこれからもこの街のために生きるつもりだ。だがな、もしあいつがその能力で世界を改変するとしたら俺は持てる力をすべて使って止めるぞ」


 あまりに真剣に話すので足を止める。

 僕には五感で嘘を判別する才能なんてない。

 けれど実人さんの目や表情を見て、言葉を聞いてそれが本気であるとすぐにわかった。


「もしそうなった時、誠実はどちらにつく? 

 秋葉一族か? それとも騙り部一門か?」


 背中にいる師匠は規則的な寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。

 おかげでまた安心する。

 こんな話を聞かせることにならなくて本当によかったと。


「それは、本気で言ってるんですよね」

「ああ、本気だ。俺は嘘や冗談が嫌いだからな」


 獰猛どうもうな獣のような太い声が轟く。耳を抜けて腹の底まで響くような咆哮ほうこうだ。

 本当は聞かなくてもわかっていた。それでも実人さんの本心を、彼の言葉で確認しておきたかったのだ。


「僕は……」


 一度言葉を切って少し考える。

 それからまた口を開いて一息に想いを告げる。


「僕はどちらにもつきません」


 これが僕の答え。

 嘘偽りのないすべて。

 素直で正直な気持ちだ。


「中立ということか?」

「いえ、そういうことではありません」

「なんだ。どういうことだ」


 僕は落ち着き払った声で事実だけを述べていく。


「秋葉一族は合理的かつ打算的に考えますよね。それは秋葉市と秋葉一族の利益のためです。そして騙り部一門は人を笑わせ楽しませる嘘や人を幸せにする優しい嘘をつきます。利益があってもなくても嘘をつきます。いえ、そもそも打算が一切ないんですよ。意味があってもなくても嘘をつきます。なぜなら騙り部一門が最も大切にしているのは心情なんですから」


 獰猛な獣のように怖かった実人さんの顔が少しずつほぐれていく。


「師匠が三寸世界を使ったとしてもこの世界はなにも変わりませんよ」


 神様になんてなれない。

 きっと安息日を迎える前に疲れて眠ってしまうだろう。


 暗闇の広がる三寸世界もそうだ。

 あの時、僕がなにかしなくてもいずれ崩れていった。


 だがそれではダメだった。

 根本的な解決にはならないと思ったのだ。


 あの時の師匠は本音を言っていたと思う。

 秋葉一族に嫌われ疎まれながらも秋葉市のために働いてきた彼女は心も体も疲れ切っていた。だからその辛さや苦しみを理解して癒してあげる必要があると考えて動いたのだ。


「もともと三寸世界は騙り部一門初代頭領にして古津家の先祖の言語朗が使っていたものです。だからアレは人間のなせるわざなんですよ」

「人間のなせる業って……あんなものが本当に……」

「だいたい、幼い頃の師匠があの力をどんなことに使っていたか考えたらわかるでしょう」

「なんだ。あいつはなんのために使っていたんだ」

「覚えてませんか? 昔、屋敷全体を使って壮大なかくれんぼをしましたよね。それで兄さんが鬼になった時、師匠は見つかりそうになったら三寸世界を使って隠れていたんですよ」

「なっ! だから最後まで見つからなかったのか! この嘘つき女! ふざけんなよ!」


 言葉はひどいが、実人さんの怒りはもっともである。そんな能力を使われたら見つかるものも見つからない。たまに僕もいっしょに隠れさせてもらっていたことは黙っていよう。


「はっ。結局、騙り部の舌先で転がされていたわけか」


 口ではそう言いながらも実人さんは満足そうに笑っているように見えた。


「まったく騙り部は人間なのか化物なのか、嘘か冗談かハッキリしない奴だな」

「だからいいんですよ。化物であり人間でもある。それでも騙り部は騙り部ですから」


 人を笑わせ楽しませる嘘や人を幸せにする優しい嘘をつく。

 その心情さえ守られていたら他にはなにもいらない。

 それが騙り部。嘘しか言わない騙り部なのだ。


 実人さんが急に神妙な面持ちで聞いてくる。

「実家に戻ってくるつもりはないのか?」


 僕は少し考えてから答えを出す。

「すみません。今はまだ師匠の家でお世話になるつもりです」


「そうか。いや、その方がいいかもしれないな……」

「でも、これからはたまに帰るようにします。道場にも顔を出しますから」

「ああ、待ってるぞ。騙り名をもらったらすぐ知らせろ」


 それなら、もうもらっている。

 僕の騙り名は――。


「【秋の葉の騙り部】。

 もみじの木のように構えて言の葉をしげらせいろどるように嘘をつくという意味らしいです。僕は秋葉一族であり、騙り部一門でもありますから」


 その時、眠っているはずの師匠の左手が僕の左手に絡んできた。


 僕は彼女の小さくて柔らかな手をしっかりと握り返す。


 これからはずっとそばにいると約束するように。


 たとえなにがあっても、この言葉だけは嘘にしない。

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騙り部はやさしい嘘しかつかない 川住河住 @lalala-lucy

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