第30話 嘘と薬

 クラブ『夢実ドリーミー』に轟音(ごうおん)を上げて足を踏み入れる。


 外はまだ明るいのに、中は薄暗くて空気も湿っている。念のため周囲を警戒しながら進んで行くが、なにか仕掛けられている様子はないし、突然襲ってくる奴もいない。


 ようやくフロアにたどり着くとバーカウンターの向こう側に秋葉正さんが立っていた。彼は不機嫌そうな表情を少しも隠さず睨みつけてくる。


「裏口の戸は閉めていたはずだけど?」

「すみません。ノックしても応答がなかったので勝手に入らせてもらいました」

「詠ちゃんはどこだ。隠れているなら出てきなよ」

「安心してください。ここにいるのは僕だけです」

「なら、さっさと用件を言ってくれ。君なんかと違って暇じゃないんだ」


 冷たい声が店内に響く。

 軽快な音楽はかかっていないし、派手な照明も付いていないので余計にそう感じる。僕はバーカウンターまで歩いて行くと、大きな声でハッキリと宣言する。


「あなたの間違いを正しに来ました」


 相手は口を半開きにして見つめてくる。そのうち口元がわなわなと緩み、フロアに響くほどに大きな笑い声をあげる。

 それからバカにしたような笑みを浮かべて皮肉を述べる。


「ははっ。つまらない冗談を言うようになったね。詠ちゃんの影響かな?」

「冗談ではないんですよ。僕は秋葉一族本家の人間として……」


 正さんがバーカウンターに拳を叩きつけて鈍い音を響かせる。


「秋葉の恥がボクに意見するのか? それこそつまらない冗談だと思わない?」


 ひどく懐かしい。ゴミを見るような視線と醜い言葉。

 幼い頃の僕なら泣いている。


 だが今は違う。

 人の心の痛みを理解できない人でなしの言葉には耳を貸してやらない。


「これを見てください」


 僕は透明なポリ袋を取り出して見せる。中には白い錠剤が数粒入っている。


 正さんは上着から煙草を取り出すと火をつけて吸い始める。


「このお店ではサプリメント以外の薬を売っていますよね?」


 こちらを見ようともしない相手に再度宣告する。

 返答はない。その代わりに白くて臭い煙を吐きかけてきた。

 僕はそれを吸い込まないように息を止めてやり過ごす。


「僕は売っていないと言ったはずだ。もう忘れた? あ、そうか。記憶がないんだったね」


 人を小馬鹿にするような軽薄な笑い声。

 それから大げさに手を叩いてこちらをあおってくる。


「記憶は取り戻しました。あなたが売っていないと言ったことも覚えていますよ」

「だったら無駄なことをさせないでくれよ。それはサプリメントだと言ったはずだよ」

「本当にサプリメントですか? よく見た方がいいんじゃないですか?」

「ははっ。なにを言ってるのかわからないよ」


 そこでようやく正さんが透明なポリ袋に視線を向ける。ひどくつまらなそうにチラッと見てからまた煙草をふかし始めた。

 だがすぐに目を見開き、鼻の穴を大きくふくらませる。

 今度はポリ袋を手に取って凝視する。くわえていた煙草はバーカウンターに落ちた。


「これはなんだ……」

「わからないんですか?」

「答えろ。これはなんだ。これはなんなんだ!」


 正さんの顔は真っ赤になって言葉も乱れる。


「この店で売られているものですよ」

「つまらない冗談の次はくだらない嘘か。いい加減にしてほしいね」

「嘘じゃないですよ。客たちはここで買わされたと言っていましたからね」

「ボクはこんなもの売った覚えはない!」

「それならこういったものに見覚えはありませんか?」


 隠し持っていたポリ袋をすべて取り出してバーカウンターに載せる。

 正さんは口にこそ出さなかったが、顔色はどんどん悪くなる。


 その数に驚いたのか、それとも中身に驚いたのか。

 チャック付きの透明な袋の中には赤や黄色の小さくて丸い固形物、白い粉末状のものなど、たくさん並べられている。


「ここで売っているのはサプリメントだけだから問題ない。そう言ってましたよね」


 相手は睨みつけてくるばかりでなにも言わない。


「もうわかってるんですよ。サプリメントしか売っていないのは嘘だってこと」


 眉間に深いしわが走り、虚ろな目は泳ぎ始めている。


「珍しい薬もありますね。どこで手に入れたんですか?」


 相手を不必要に警戒させないためにも、できるだけ落ち着いた表情と声で尋ねる。


「知らない。なんだよこれは」

「言ったじゃないですか。このお店で売られているものですよ」

「ボクはこんなもの売ってない! こんなもの知らないって言ってるだろ!」


 相手は明らかに冷静さを欠いている。

 それでも僕は落ち着き払った態度を崩さない。


「ヤクザだ。そうだ! ヤクザが薬を売ったんだ! だからボクの責任じゃない!」


 暗い顔にほんの少しの明るさを取り戻すが、僕はため息をつきながらそれを否定する。


「この街にヤクザはいませんよ」


 知らないとは言わせない。

 秋葉一族の人間が秋葉市の現状を知らないはずがない。ま

 してやこの人は0番街の裏通りでクラブを経営しているのだから尚更だ。

 この街で薬を扱おうと思ったのも面倒な奴らがいないとわかっていたからではないだろうか。


「どうか話してください。嘘偽りなくすべて」

「……嘘なんてついてない」


 正さんは視線を逸らさないで答えている。堂々としていれば嘘がバレないと思ったのだろう。


 だが甘い。僕は意味があってもなくても息をするように嘘をつく人の隣にずっといたのだから。

 五感で嘘を見破る特殊な技能はないけれど、人が嘘をつく時の声や表情、仕草は把握している。

 今、目の前に立っている男は必死になにか隠そうとしているのが丸わかりだった。


「この店は大学のお友達との共同経営。あなたはそう言ってましたよね」

「それが……?」

「お友達は薬学部の学生。ご実家はたしか……製薬会社……でしたよね」


 正さんの顔から生気が失われていくのがよくわかった。

 頭のいいこの人のことだ。すでに答えは出ているはず。

 あとはそれを自分の口から言葉にしてもらうだけでいい。


「ここに詠ちゃんがいないということは……すでにあいつのところへ行ってるのか……」


 正さんはとても真剣な顔で問いかけてくる。

 僕はなにも言わずに曖昧な笑みを返す。


「ははっ……上手く騙せたと思ったんだけどな……」


 乾いた笑い声がクラブ内に響く。顔は生気を取り戻すように少しずつ紅潮していく。


「わかった。正直に答えるよ」


 正さんが輝くような瞳で真っすぐ見つめてくる。


「友人は製薬会社を経営する一族の生まれで、うちが経営する病院とも昔から付き合いがある。子どもの頃からボクは医学部に、あいつは薬学部に進むと決めていた。病気で苦しむ人たちを二人で救うと誓ったんだよ。今もその信念は変わっていない。だけど……」


 饒舌じょうぜつに語っていた正さんの顔が曇る。


「新しい薬を開発するにはどれだけの金と時間がかかるのか。知ってるかい?」


 適当な数字を答えたらすぐに首を横に振られた。


「足りない。その倍のお金と時間でも足りない。とにかく、より高い効果効能の期待できる薬を作るには時間とお金がたくさん必要なんだ。この国が研究開発に資金を出してくれるわけがないし、銀行や投資家は若いボクらでは無理だと決めつけている。だから、この店を作って少しでも多くの資金を調達することにしたんだ。それに、別の目的もある」


 正さんは僕の答えを待っているようだったので、わからないと言って首を横に振る。


「ははっ。わからなくても無理はないよ。こんな発想はごく限られた人間にしかできないから。ボクと友人はすぐにでも新しい薬が必要だったんだ。そこで、ボク達はここを実験施設としても使うことにしたんだよ。これなら資金調達と研究開発を並行してできるだろ?」


 答えを聞いた途端に血の気が引いた。

 それでも彼はうれしそうに笑って話し続けている。


 この状況でどうして笑っていられるのだろう。

 どうしてそんなに平気でいられるのだろう。


 この人の考えが理解できない。

 いや、理解したくない。

 理解してはいけないのだ。


「実は友人の妹が難病を患っていてね。今の医療技術では治りそうにないんだよ。これが悪いことなのはわかってる。だが今こうしている間にもその子の命は危険にさらされているし、同じ病に苦しんでいる人たちがいるんだ。ボクはそんな人たちを早く多く救いたいんだよ!」


 正さんはバーカウンターを拳で叩く。鈍い音がクラブ内に反響する。


 五感で嘘を判別できない僕はできるだけ冷静に相手を観察する。

 一つ一つの言葉から表情の微妙な変化まで決して見逃さない。僕一人でも騙り部の仕事ができることを証明するのだ。


「誠実くん。秋葉一族が合理的かつ打算的に考えて動くことは知ってるよね?」


 その問いかけに返事をする気にならなかった。

 それでも一応うなずいておく。


「分家とはいえボクだって秋葉一族の人間だ。みんなを幸せにするために多少の嘘は仕方ないと思うんだよ。それならボクは間違ってない。ボクは正しい。君もそう思わない?」


 さわやかな笑みを顔に貼りつけた正さんが手を差し伸べてくる。


「すみません。もう一つの嘘について説明してもらえませんか?」

「もう一つの嘘?」

「あの夜、人手が足りないと嘘をついて僕と師匠をこの店に呼び出したのはなぜですか?」


 正さんの顔に貼りついた笑みが剥がれていく。

 僕は怒りも悲しみも見せずに騙っていく。


「騙り部に濡れ衣を着せるために呼び出したんですよね?」

「濡れ衣って……なにを言ってるんだよ。そんなことするわけないじゃないか」

「なら、どうして嘘をついてまで未成年者である僕たちをクラブに呼び出したんです?」

「それは……」

「0番街で怪しい薬が出まわり始めたことは本家の実人さんの耳にもすでに入っていました。サプリメントだけを売っているなら別ですが、未承認の薬を売ったり人体実験したりしていることがバレたらどうなるでしょう。あなたはすぐにこう考えた。誰かに罪を着せよう、と」


 正さんの笑みはすっかり剥がれ落ち、困惑の色が見えるまでになっている。


「そこであなたは思い出したんです。本家の次男がストレスで記憶喪失になっていることを。あなたは記憶のない僕に都合のいい情報を植えつけ、騙り部一門へ疑いを持たせるようにした。それから人手が足りないと嘘をついてクラブに呼び出した。そして不良達が怪しい薬を持っているから捕まえるように僕たちへ指示するつもりだったんじゃないですか?」


 だがそれは、偶然にもマリさんの活躍によって阻止された。


「それから通報して警察官に来てもらうつもりだったんでしょう。薬は警察が来る前に回収しておけばいい。不良達も捕まるのは困るから大人しく従うはずです。しかし僕と師匠は未成年者だから補導されて両親や学校に連絡がいってしまう。校則の厳しい秋功学園は、すぐに退学を言い渡すでしょうね。これこそがあなたの本当の目的だったんじゃないですか?」


 反論されるか、逃げ出すかと思ったが、正さんはその場に立ったままだ。


「あなたは言ってましたよね。話の裏や真意を考えた方がいいと。それで気づいたんですよ。あなたは街のためでも人のためでもなく、すべて自分の利益のために考えて動いてるでしょう。僕に罪をなすりつけて退学に追い込めば一族内の評価や地位はさらに下がる。逆に自分の評価や地位は上がると考えたんです。これは間違いですか? それとも正解ですか?」


 秋葉一族の分家に生まれた正さんが本家に認めてもらうために努力してきたことはわかる。医学部に入ることだって、店を経営することだって、そう簡単にできることではないはずだ。


 きっと僕には想像もつかないような努力をしてきたのだろう。


 それなのに、どうしてそんな簡単に人を傷つけることができるのか。


 なぜそんな醜い嘘をつけるのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る