第29話 一族の掟

 実人さんの指示によりすぐにその場を離れる。僕は師匠の体を支えながら後からついていく。

 しかし、0番街の裏通りから次第に遠ざかっていくのでどこへ行くのか聞いた。


「家に戻るぞ」

 実人さんは険しい顔を見せながら答えた。


「待ってください。まだ仕事は終わっていません」

「ダメだ。今のこいつを見ろ。こんな状態でなにができる?」


 師匠は虚ろな表情を顔に貼りつけたまま口を閉ざしている。いつもならお願いしても黙ってくれることはないのに。今は自分の足で立つのもやっとという状態だ。


 こうなった原因や責任は、僕にあるのでなにも言えない。


「なにがあったのかは聞いている。正さんの嘘を見抜けなかったんだろ?」

 ごまかすことも否定することもできない。それは紛れもない事実だから。


 師匠はうつむきながら自信なさげに話す。

「体調や気分が悪いと気づきにくい時はあるけど、今日はそうじゃない。誠実を無理に騙り部一門に入れたなんて嘘だもの。だけど、白い錠剤がサプリメントっていうのは本当だった」


 実人さんの落胆した顔からは、どうすればいい、という言葉が伝わってきそうだった。


 しかし、あの人の悪行を黙って見逃すわけにはいかない。

 秋葉市のため、秋葉市民のために働くのが騙り部の使命だから。

 一つでいい。なにか解決に導く突破口を一つ見つける。

 悪癖でもなんでもいい。

 頭を働かせろ。考えろ。思考しろ。動け。動け!


「ごめんなさい……私のせいで……」


 ずっと口を閉ざしていた師匠から言葉が発せられる。だがその声は暗くよどんでいる。

 目元は赤くなっていて先ほどまで泣いていたのがよくわかる。僕は胸が痛くなる。


「はっ!」


 暗く重い空気を吹き飛ばすような乾いた笑い声。実人さんが腕を組んでこちらを見ているが、バカにしたような視線ではない。むしろこちらを元気づけるような力強さがある。


「おい。らしくないぞ。どんな時でも嘘や冗談を言ういつものお前はどうした?」

「だって、もう……」

「勘違いするな。家に戻るのは作戦を立て直すためだ。正さんが違法薬物を売ってないことはわかった。だが、人を騙して利益を得る行為を見逃すわけにはいかない。お前の力を貸せ!」


 眉間にしわが入って目つきがより鋭くなる。

 だが今は怖いと思わない。むしろ頼もしいとさえ感じる。

 秋葉一族は嫌いでも、この人のことは好きになれそうだ。


 ふと頭の中でなにか引っかかる。

 それは煙のようにゆらめいており、手を伸ばしてもなかなか掴ませてくれない。ただ、これがなんなのか突き止めなければいけない気がした。


「誠実を救うことができたのは実人のおかげだよ。本当にありがとう」 


 素直で正直な師匠を見た実人さんは、目を丸く口を半開きにして驚いている。

 僕も少し驚いたが、別の疑問がわいてきたので聞いてみる。


「でも、へその緒なんてよく残ってましたね。てっきり捨てられたかと思ってました」


 優秀な兄のへその緒や爪の垢なら大切に保管しそうだが、不出来な弟の持ち物はただのゴミと判断されそうだ。合理的かつ打算的に動く秋葉一族は無駄を嫌うから。


「捨てるわけないだろ。お前が古津家に住むことになった時も渡さなかったんだからな」

「そうそう。あの時の実人はすごく頑固だった。絶対に渡そうとしなかったもの」


 怒り顔の実人さんと困り顔の師匠が思い出すように話している。

 しかし、どうしてへその緒を手元に置いておきたかったのだろう。


「昔、へその緒といっしょに赤ん坊を布に包んで捨てる風習があったんだよ。どこか子どもを育てられる裕福な家の人に見つけてもらえますようにという願いを込めてね。もしかすると、名取がへその緒を消さないのは、そういった理由があるのかもしれないよ」


 よかった。いつの間にか師匠の声に張りが戻ってきている。


「ふふふ。実人って合理的かつ打算的に考えて動くわりに、変なところで信心深いよね」

「はっ。目に見えるものだけがすべてじゃないというのが俺の考え方だからな」


 未だに騙り部一門を雇い続けている理由にもなんとなく思い至る。時代が変わっても人の手には負えない存在、化物がこの世にいるということをなんとなく理解しているのではないか。


 しかし今回の相手は化物ではない。人の姿をしながら人の痛みがわからない化物よりも厄介な存在。他人を騙して自分の利益を得ようとする人でなしをどうすれば……。


「師匠、教えてください。正さんが違法薬物を売ってないのは事実なんですよね?」

「うん……。でもあの人は嘘もついてるよ。『サプリメントしか売ってない』と言ってたけど、これは嘘だと思う。それから『ただのサプリメント』。これも声に違和感があったから嘘だね。でも、あの人が違法薬物を売ってないのは本当だから……ううぅ……なんでかなぁ……」


 師匠は髪をくしゃくしゃにしながら考え込む。


「特別な薬でも売ってるのか? しかし違法性がないなら犯罪ではないか」


 眉間にしわを寄せながら実人さんもいっしょに考えてくれている。

 正さんが付いている嘘は二つ。

 これらを手がかりにして僕もいろいろ考える。


「正さんがついている嘘って他にもありますよね。あの夜、僕と師匠をクラブに……」


 その時、頭の中で煙のようにゆらめいていたものの正体をつかんだ。

 上手くいくかどうかはわからない。

 しかし、ここで逃げてはいけない。


「あの、すみません。今回の件、僕に任せてもらえませんか?」

 僕が計画を話そうとしたところで師匠がそれをはばむように抱きついてきた。


「ダメ! ダメだよ! 誠実にそんな危ないことさせられない! 絶対にダメだからね!」

「まだなにも話してないんですけど……」

「ずっと私のそばにいるって約束したでしょ。一生離れないと言ったのは嘘だったの?」


 師匠……記憶を失っていてもさすがにそんな約束をした覚えはないです……。

 実人さんが、早くなんとかしろ、と目で訴えている。


「やだよ……また誠実がいなくなったら私はもう……」


 すでに真っ赤になっている師匠の両目から涙がこぼれ落ちていく。

 そんな姿を見ていると昔の自分を見ているようで胸が痛くなった。

 同時に、初めて手を差し伸べてくれた時のことを思い出す。


「笑ってください」


 気づけば言葉が出ていた。それから自分の両頬りょうほおを指で押し上げて笑ってみせる。


「騙り部というのは、どんな時でも笑っているくらいがちょうどいいんですよね?」


 けれど彼女は視線をそらして不満そうに口をとがらせている。

 その面倒くさくてかわいらしい仕草を見たら自然と笑えるようになっていた。


「師匠。いえ、歌詠みの騙り部。どうか話を聞いてください」


 不安そうにこちらを見つめてくる彼女の頭を優しく撫でる。


「僕は秋葉一族の人間です。身内の不始末は身内でつけるのが一族の掟ですから」

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