第27話 恥
恥の多い生涯を……いや違う。
僕自身が恥なのだ。秋葉一族にとって。
物心ついた頃には自分がいかにダメ人間であるか理解していた。
自分で気づいたわけではない。周りの大人たちが教えてくれるのだ。
「お前はダメな奴だ」「出来損ない」「クズ」
「お前はどうして兄のようにできないのか」「無能」
「本家に生まれた人間として恥ずかしくないのか」「期待外れ」
「情けない」「恥さらし」「役立たず」「もっと努力しろ」
「失敗作」「一族の恥さらし」「まったく、頭の悪い奴だ」
「ヘタクソ」「どうしようもない」「本当に同じ血を引いているのか」
「なぜ産まれてきた」
幼い僕に浴びせられる容赦のない悪意。
いやきっと彼らは善意で言っているつもりなのだ。
がんばれ。結果を出せ。利益をもたらす人間になれ。
打算的な想いを含んだ激励の言葉たち。
怒鳴り散らす大人たちと壁にかかった物言わぬ歴代当主の肖像画が怖くて仕方なかった。泣いても謝っても終わることはなかった。
こいつは反省していない、まだ足りていないという理由で指導は続いた。親族が納得、いや満足したところでようやく解放されるのだ。
嫌とは言えなかった。
一度だけ反抗したことがあるけれど、それ以降は従順であり続けた。あんな恐ろしいことをされるのは……もう二度とごめんだから。
「お兄さんはとても優秀な生徒でしたよ」
「弟の君もがんばろうね」「できるできる!」
「がんばれ! がんばれ!」「ダメだなぁ」
「そんなんじゃお兄さんに追いつけないよ?」
「ほらほら、もっとがんばって」
「このままでいいと思ってるの?」「はぁ……ダメか……」
学校でも同じな指導が行われた。ダメ人間である僕を真人間にしようと教師たちは
彼らも親族から激励の言葉をかけられていたのかもしれない。僕が優秀な人間になるよう教育してほしいと。秋葉一族の威光はどんな組織にも及ぶのだ。
一族の中でも優秀と言われていた兄の実人さんは、学校でも優等生として認められていた。試験と名の付くものでは満点ばかり取っていた。中学校では一年生から生徒会に所属し、その後は生徒会長に就任した。おそらく高校でも生徒会長に立候補するだろう。
昔から運動神経がよくてどんなスポーツをさせても上手い人だった。武道の全国大会では上位入賞もしている。まさに文武両道を重んじる秋葉一族のお手本のような人だ。
一方、弟の僕は学校の成績は平均で運動神経もそこそこ。教師の目が僕ではなく家を見ているようで辛かった。
武道を習うことも嫌で仕方がなかった。それでも道場へ行かなければ怒られるので通い続けた。
しかし僕は道場主から公式大会への出場は禁じられていた。それもまた親族の怒りを買うことになった。
道場には同じくらいの年代の子どもたちがたくさん通っていた。けれど彼らといっしょに稽古をした覚えがあまりない。
そのかわり大人の指導者といっしょにずっと稽古していた。目にも止まらぬ速さの拳で殴られ、内臓をえぐるような重い蹴りを放たれ、気を失いそうになるほど投げられた。おかげでいくつ命があっても足りないくらい死ぬ思いをした。
この世のどこにも心と体が休まる場所なんてなかった。
それでも毎日のように学校では勉強、道場では稽古を続けていた。秋葉一族の教え、支配に逆らう勇気がなかったから。
時が来ると文武両道、実力主義、競争主義の理念を掲げる私立秋功学園を受験する。これもまた一族の敷いた道を外れる度胸がなかったのだ。
合格通知を見た時は歓喜するよりも安堵した。これで最低限の
だが親族は優秀な一組に入れなかったことに呆れていた。それからいつもの説教が始まった。
その時だ。どこからともなく幼い子どもの声が聞こえてきた。
他の人には聞こえていないようだから幻聴かと思った。それでも僕は自然と頭の中で念じていた。
そんなに苗字が欲しいなら勝手に持っていけ、と。
ようやくすべて思い出すことができた。けれど今さら意味がない。
名前を取られるのはこれで二度目。いったいここはどこだろう。
目は開けているはずなのに真っ暗でなにも見えない。
寒くはない。むしろ生温かい。まさか化物の胃袋の中か。
それになんだか落ち着かない。地に足をつけているのか宙に浮いているのかもわからない。手を挙げたり足を延ばしたりしても感触はない。声を出しているはずなのに言葉にならない。そもそも自分の体がここにあるという実感がまるでないのだ。
存在を失うとは生きているわけでも死んでいるわけでもない状態。それは自分の体がなくなるということなのか。今は自我だけが残り、思考することが唯一許された人間らしい行為か。
「ちょうだい」「ねぇねぇ」「くださいな」
「ほしいよ」「ちょうだいってば」「ほしいなぁ」
「ほしい」「いらないならちょうだい」「くーださい」
「ちょうだいよ」「ねぇねぇちょうだい」
「ちょうだい」「ください」「なまえちょうだい」
「みょうじちょうだい」「ぜんぶちょうだい」
音も聞こえない空間なのに名取の声だけはわかる。やはり脳に直接信号を送っているのか。
しかし、なぜ子どもの声なのだろう。親にお菓子やおもちゃをねだるように、人間に名前をねだっているのだろうか。
いやそんな雰囲気ではない。むしろ懇願するような……。
そこで思考を打ち切る。
今となってはどうでもいいことだ。
僕は存在を失ったのだから。
今さら名取の正体や目的を知る必要なんてない。
男や女の幼い声が延々と聞こえてくる。
それでも親族の罵倒に比べればどうってことない。
中には透明感のある美しい声が混じっている。まるで歌を詠むような旋律でなにか
そのせいか、騙り部の口上が脳裏に浮かんで消えた。
僕は秋葉一族に関するすべての記憶を失っていたが、それは騙り部一門も含まれていた。主従を結んだ彼らは、互いに密接な関係にあるせいだろう。坊主憎けりゃ
どうして僕が騙り名を持つことにこだわったのか。
今なら少しわかる気がする。
きっと肩書きが欲しかったのだ。
秋葉一族という記憶を失いながらも、無意識のうちに秋葉の姓に代わるなにかを求めていたのだ。
そんなもの……なんの価値もないのに……。
結局、僕はなにも変わっていなかった。
合理的かつ打算的な生き方を嫌いながら同じ生き方を選んでいたのだ。
血は争えないということか。
また疑問がよぎる。
どうして記憶を失っていた僕は騙り部にならないかと誘われてすぐに了承したのか。
やはりあの美貌に騙されたからだろうか。でも、なんとなく違う気がする。
突然、闇の中から光が生まれる。
それは一息で消えてしまいそうな小さな光だが、温もりが感じられそうな灯りだった。光は縦横に広がっていき、最終的には長方形の枠が形成される。
いったいこれはなんだろうと思っていると枠内で映像が流れ始める。人が死ぬ寸前に見るという走馬灯とは映画館のような作りなのか。
映っているのは幼い頃の僕だった。
小さな体を丸めるようにうずくまって泣いている。
よく見ると白い道着に赤い染みが点々と付いている。
そういえば道場で意地悪な上級生たちに囲まれたことがあった。辛いことや悲しいことがあるとよく屋敷の中庭に逃げ込んでもみじの大木の下で涙を流していたっけ。
「……おいで」「ねぇ……」「早く……」
「……来て」「戻って……」「……お願い」
なにか聞こえる。男と女の声。
化物ではない。きっと人間の声。
誰かが呼びかけている。
映像の中の僕は飽きもせずに泣いている。
それが日課であるかのようにひたすら泣いている。大声をあげて泣くとさらに怒られるから声を押し殺して泣いている。そんな毎日だった。
けれど、その日だけはいつもと違っていた。
音もなくフラッと目の前に現れたのだ。
長い黒髪を風に遊ばせながら楽しそうに歩いてきた女の子が僕の頭を撫でた。
そこでようやく思い出した。
なぜこんなに大事なことを忘れていたのだろう。
どうして僕はいつも気づくのが遅いのだろう。
苗字も名前も、存在も失った今となっては、もう遅すぎるのだ。
「戻っておいで……」
今度はしっかり聞こえた。その声の主が誰なのか。ハッキリとわかった。
「……会いたい」
自然と声が発せられていた。
嘘偽りのない僕の願いが言葉になって口から出ていた。
いつの間にか感覚が戻っていることに気づく。
耳が、目が、口が、手が、足が、頭が、自分の体が、すべて戻っていた。
「いきて」
男とも女ともつかない幼い声でただ一言。強い願いのこもった言葉が聞こえた。
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