第三章 名前を取る怪異

第25話 身内の不始末

「ここが紅葉邸もみじてい? 話には聞いてたけど、本当に立派なお屋敷ね」


 和風の応接間に通された真理さんは感嘆の声をもらした。

 日佐子さんも声には出さないけれど、興味津々といった風に室内を見まわしている。

 秋葉一族の屋敷を訪れるのはこれで二度目だが、僕は少し萎縮いしゅくしてしまう。師匠は落ち着いた表情で待っている。机を挟んだ先にはまだ誰も座っていない。


「誠実くん」


 日佐子さんから小声で話しかけられる。学校では苗字で呼ばれることが多いけれど、この場には同じ苗字の人間が二人いるため、紛らわしくなるので名前呼びにしてもらっている。


「ずっとお礼を言えなくてごめんなさい。この前は助けてくれてありがとう」


 名取という化物に襲われた件だとすぐに思い出す。学校にいる時に熱い視線を送られてくることが何度もあったけれど、それも話したかったことの一つなのだろうと察する。


「僕はなにもしてないよ。すべて師匠のおかげだから」

「ううん。そんなことない。本当に、ありがとう。陽介……兄もすごく感謝してた」


 日佐子さんの顔がほころんだ。


「誠実くんって古津先輩のことを師匠って呼んでるけど、なにか理由があるの?」

「ああ。それは僕と彼女が親戚同士で、騙り部一門では師弟関係を結んでるから」

「じゃあ、秋葉先輩とも親戚?」

「ううん。よく間違われるけど関係ないよ」

「そうなの? 意外だね」


 襖の開く音が聞こえたので会話を中断する。鋭い目つきの大柄な男が入ってきた。

 秋葉一族本家の長男、実人さんが堂々とした態度で座る。


「0番街にあるクラブ『夢実ドリーミー』を調査したい。その許可をもらえるかな?」


 すぐに師匠が話を切り出し、未成年者の入店や違法薬物売買などを暴露していく。

 実際に訪れたことのある日佐子さんや僕も証言して違法薬物の証拠も提出する。

 実人さんは険しい表情で白い錠剤の入った袋をつまむ。

 本物だと判断したのか、ため息をついて眉間のしわがさらに深くなる。


「警察にはもう話したのか? 普通だったら騙り部一門にやらせる仕事じゃないぞ」


 警察という単語が出た瞬間、隣に座る日佐子さんの体が震えたのがわかった。真理さんも動きこそ見せないが、横目で心配しているようだった。おそらくはマリさんも。


「わかってる。でも、経営者のことを考えたら警察が出てくる前に解決したくない?」


 実人さんは眉間を手で押さえながら考え始める。

 秋葉一族は合理的かつ打算的に動くと言われている。分家のただしさんが警察に捕まったら秋葉の家名かめいに傷がつくことになる。

 そうなる前に内々で解決すべきかどうか考えているのかもしれない。秋葉一族のことを熟知している師匠はその心理を上手く突いたのだろう。


「この薬はどうやって手に入れた。まさかとは思うが、使ってないだろうな」


 実人さんの視線がさらに鋭さを増す。

 日佐子さんは今にも泣きそうになっているが、必死に首を振って意思表示している。

 師匠は視線をするりとかわして言葉を返す。


「詳しくは言えないけど、君があの店で働くよう指示してきた時にいろいろあったんだよ」

「俺はつまらない嘘や冗談が嫌いだ。そんなところへ行かせるわけないだろ」


 師匠の言葉は真っ向から否定される。だが実人さんが嘘をついているとは思えない。

 それなら正さんが嘘をついていたことになる。やはりマリさんの予想が当たっていたのだ。


「ふむふむ。実人を通さない依頼だったから怪しいとは思ってたけど、そういうことか」


 師匠が仕事そっちのけで踊っていたせいじゃないですか、とは言えなかった。


「お二人ともご協力感謝します。後のことはこちらに任せてください」


 実人さんが真理さんと日佐子さんに頭を下げると、二人は先に部屋から出された。

 それから覚悟を決めたような顔で力強く宣言する。


「身内の不始末は身内でつけるぞ。それが秋葉一族の掟だからな」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 秋葉家の中庭が日に照らされている。以前と変わらない美しい情景に心が弾む。


「ふふふ。ここにいたんだね」


 廊下を歩いてきた師匠は隣に座り、縁側から足を投げだしていっしょに眺める。

 しばらく黙っていたが、先ほどのことが気にかかって話を切り出す。


「師匠はいいんですか? 身内の不始末は身内でつけるなんて言ってたのに……」


 そこで言いよどむ。雇い主である秋葉一族を悪く言っていいのかと悩む。


「秋葉一族は自分の手を汚さず、騙り部一門に汚れ仕事をやらせようとしてること?」


 師匠が笑顔でサラッと言ってのけた。


「あんまり気にしてないかなぁ。古津家と秋葉家は遠い親戚だから身内といえば身内だし」


 『秋葉山の化物退治伝説』のことを思い出す。やはりあの逸話は、秋葉一族と騙り部一門の関係を描いたものだったのか。何百年も昔の確執が現代になっても続いている。師匠はその事実を受け入れている。だがそれは諦めにも感じられる。


「師匠は依頼を受ける時に命をかけると言いますよね。それは本気なんですか?」


 死ぬことが怖くないんですか? 

 もし死んでしまったらどうするんですか?


 街や人のためならまだわかる。

 ただ、秋葉一族のために命をかけることは……。


「ねぇ誠実。騙り部一門の人間は死なないんだよ?」


 なに言ってんだこの人。

 嘘のつきすぎで現実と虚構の区別がつかなくなったのかな。


「あれあれ? その顔は信じてないうえに、頭おかしいと思ってるでしょ?」

「……思ってないです」


 髪がくしゃくしゃになるまで頭を撫でられた。


「騙り部は人を幸せにする優しい嘘しかつかない。でも嘘によってはその人を不幸にするかもしれない。人の命や人生がかかっているならこちらも相応の覚悟でいないとダメでしょ?」


 師匠はいつもと変わらない優しい笑みを浮かべて話す。それでも僕が不満そうな顔をしていることに気づいたのか、中庭のもみじの大木を指さして問いかけてくる。


「あの木の下で話した古津家の先祖で騙り部一門初代頭領、言語朗の逸話を覚えてる?」

「すみません。覚えてないです」


 残念ながらまったく記憶にない。けれど記憶力のいい師匠が間違えるとは思えないし……。


「ごめんごめん。まだ話していなかったね」


 師匠は申し訳なさそうに謝ってから説明を始めた。


「言語朗は秋葉山の化物と結ばれて子どもを作り、たくさんの弟子を取って幸せに暮らしてた。それでも言語朗は人間だから永遠には生きられない。死期が近いと悟った時には家族や弟子、街の人が駆けつけてくれた。みんな、別れが悲しくて泣いた。それを見ていた言語朗は、人を笑わせ楽しませる騙り部の最期がこれではいけないと思って命をかけて騙ったの」

「言語朗は、なにを騙ったんですか?」

「地獄の閻魔大王えんまだいおうと騙し合いの勝負をしてくる。なあに心配するな。すぐに戻ってくるさ」


 最初は反応できなかった。だがすぐに大笑いしていた。

 くだらない。あまりにもくだらない。


 でもそれが嘘しか言わない騙り部。

 僕の大好きな騙り部一門なのだと再認識する。


 言語朗は死ぬまで嘘をつき続けた。

 口上の通り、命尽きるまで騙ってみせたのだ。

 いや、きっと今も地獄の閻魔大王を相手に舌を抜くか抜かれるかの舌戦ぜっせんを繰り広げているのだろう。


「そこから『騙り継ぐ』という風習ができたの。秋葉市や騙り部にまつわることをすべて後世に伝えるために一門のみんなで情報共有して騙り継いでいく。誰かが亡くなってもまた別の誰かが騙り継いでくれる。だからね、騙り部の命は決して尽きることがないんだよ」


 それから僕たちは、暖かな風に背中を押されるようにして0番街へ向かう。

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