第23話 あの冬の日

「朝からずっと、雪が降ってた、あの日は……」


 言葉が途切れ途切れになりながらも話が再開される。


「わたしは、ベッドで眠っていたわ。そこに妹が来たのよ。あの子は手を握ろうとしてきた。だけど体調を崩していたわたしは……右手を出した。あの子は、なにも言わず、行っちゃった。でもすぐに、電話が、かかってきた。病院から。妹が……電車に……ひかれた……って」


 険しい表情を見せる真理さんがハンカチ強く握りしめながら最期まで語ってくれた。


 おそらく事故だろう。

 どんな状況なのかわからないけれど、朝からずっと雪が降っていたのなら駅のホームが凍っていたのではないか。そこで足を滑らせてしまった妹さんは線路に落ち、走ってきた電車にひかれてしまった。不運が重なった事故だろう。


 そう結論付けた僕は無理やり思考を打ち切る。もう一つの可能性は考えない。


「あの子は強かった。でも本当は弱かった。だから自殺したのよ」


 過去に捕らわれたままの真理さんはもう一つの可能性を捨てきれていなかった。


「あの時、わたしが左手を出していたらこんなことにはならなかった。もし妹が元気で正常な判断ができたら凍った地面を避けられた。だからあの事故は……わたしのせいなのよ……」

「真理さんは体調を崩していたから記憶が曖昧になっているのかもしれません」


 僕は自分なりの考えを説明するが、真理さんに反論される。


「いいえ! そんなことない! あり得ないわ! わたしは右手を出したのよ!」


 どうしたものかと悩んでいると、師匠がゆっくりと歩み寄ってきた。


「真理さんは、いつもどんな格好で寝ているんですか?」


 呆れてなにも言えない雰囲気になるが、その後に続いた言葉で空気が引き締まる。


「これは妹さんのためでもあります。どうか教えてください。嘘偽りなくすべて」


 ただならぬ気配を感じ取ったのか、物言わぬ置物になっていた真理さんが顔を上げる。


「いつもスウェットだけど……それがなに?」

「寝る時は仰向けですか? それとも横向きですか? あ、うつ伏せという人もいますね」

「仰向け。たまに寝返りもうつけど、起きた時はだいたいそうよ」


 師匠がなにを聞きたいのかわからない。

 答えている真理さんも半信半疑といった顔だ。


「冬の日……妹さんが来たのはベッドの右側ですか? それとも左側ですか?」


 その質問で一気に空気が冷えた気がする。

 真理さんの顔が凍りついたように固まった。


「よく思い出してください。真理さんにとっても、妹さんにとっても大事なことなんです」


 なおも師匠は聞く。

 それを受けて真理さんはしっかりとした口調で答える。


「……右よ。ベッドの左側は壁だもの。右側しか考えられないわ」

「その日の真理さんは体調が悪かったそうですが、妹さんが訪れたとよくわかりましたね。もしかしたら、お母さんやお父さんだったという可能性は考えられませんか?」


 ここにきてようやく質問の意図がわかった。


 師匠も僕と同じように体調不良による記憶違いを指摘しようとしているのだ。しかし、一度失敗しているうえに意固地になっている真理さんを納得させられる方法があるのだろうか。


「あれは妹よ。間違いないわ」

「本当にそうですか? 仰向けの状態でベッドに寝ている真理さんが右側に来た人を見るなら横目で見ますよね。でも、それではハッキリ誰が来たのかわからなかったのでは?」

「いいえ。わたしは目だけでなく顔を横に向けてちゃんと確認したもの。それだけじゃないわ。だるくて仕方なかったけど、体も右側にしっかり倒して……」


 真理さんが言葉を詰まらせた。

 なにか重大なことに気づいたような顔を見せる。


「体を右側に倒したら右腕は体の下に来てしまいます。

 それなら右手を出せないのでは?」


 師匠は笑みを浮かべて畳みかける。


 それでは弱い。

 たしかに寝返りをうつと手や腕が体の下になることはある。

 けれど、必ずしも体の下になるとは言えない。

 僕はあえて黙っていたが、やはり真理さんからも同じ反論をされてしまう。


 それでも師匠は冷静だった。

 しっかりと相手の意見を聞いたうえで新たな質問をする。


「真理さんのご実家は、ここから電車で二時間以上かかるところにあるんですよね?」


 質問の矛先が変わった。ただ、意図がつかめない。

 真理さんもその質問の意図を探っているようだったが、しばらくして小さくうなずく。


「同じ県内でも秋葉市と真理さんの住んでいた町では気候が違うでしょうね。ここも冬になると寒いですが、雪はあまり降らなくて積もらないんですよ。そちらはどうですか?」

「毎年のように降るわね。除雪が追いつかないし、三月でも雪が残ってることも多いのよ」


 それでもまだ警戒されているのか、眉間にしわを寄せたまま話をする。


「大変ですね。私は冬もローファーやスニーカーですが、真理さんはどうでした?」

「子どもの頃は長靴を履かないと学校へ行けなかったわ。さすがに中学からは意地でもスニーカーを履いて通ったけどね。思えばわたしにとって中学校の三年間が一番楽しかったわ」


 真理さんは左手を空に掲げて太陽を透かして見ながら話す。その笑い声は渇いていて言葉には感情が込められていないように聞こえる。言動も行動も空っぽのように感じられた。


「これからも楽しいことが見つかりますよ」


 少しでも元気を取り戻してもらおうと僕なりに慰めたつもりだった。


「みんな同じことを言うのよね。だけど、わたしの隣にあの子はもういないのよ……」


 そんなありきたりな言葉で真理さんの心に開いた穴を埋められるわけがなかった。

 穴が深く広がっていくように彼女の顔も次第に暗くなっていく。


 失敗した。これでは師匠の手助けどころか邪魔をしているだけじゃないか。


「今年は暖冬だんとうと言われていましたね。なんだかいつもより過ごしやすかったですよね」

「そうかしら。わたしの地元ではいつものように寒かったし雪もたくさん降ったわよ」


 師匠が振る話題に真理さんも乗らなくなってきている。


「そうなんですか? こちらはコート一枚で済むくらいの暖かさでしたよ」

「うらやましいわ。わたしは毎年のようにコートにマフラー、それから手袋……」


 突如、真理さんが言葉を詰まらせる。

 それから自身の右手と左手を交互に見始める。


 どうしたのだろう。

 なにか大事なことを思い出したのだろうか。


「妹さんは手を握ろうとした。それは間違いではないでしょう。しかし左手の能力で心の傷や苦痛を取り除いてもらうためではありません。きっと体調を崩しているあなたを心配して元気になってもらいたかったから手を握ってあげようとしたんです。それが真実ですよ」


「違う! 違う違う! あの子はわたしに助けを求めていたのよ!」

「あなたの左手の能力は、手袋をした状態でも使えるんですか?」


 先ほど『手袋』と言った直後に真理さんが両手を見た理由に思い当たる。


 きっと思い出したのだ。

 あの冬の日、妹さんが手袋をはめていたことを。


 もし本当に左手の能力を使ってもらうために部屋を訪れたなら手袋をはめるはずがない。

 なぜなら、肌と肌が直接触れ合わなければ使えない能力だと真理さん自身が言っているのだから。

 すぐ脱ぐとわかっているのに手袋を付けるなんて面倒なことはしないだろう。いつもの習慣で手袋をはめていたという可能性も考えられなくはないけれど……。


「だとしても部屋に入った時、あるいは、ベッドのそばに来た時には手袋を脱ぐはずですよ。たとえ妹さんの心が弱っていたとしてもそれくらいの判断はできるでしょう」


 どうやら師匠も同じ可能性を考えていたらしい。


「左手の能力を知っている妹さんなら手袋をしたままでは意味がないと知っていたはずです。それなのに手袋を外さなかったということは助けを求めていたわけではないんです。妹さんはあなたの体調を本当に心配していたんですよ。そんな人が自殺なんてすると思いますか?」


 真理さんはなにも言わない。

 しかし、何度も、強く、大きく、首を横に振る。


 騙り終えた師匠は天を仰ぎ見る。

 その表情は、冬の鉛色なまりいろの空のように曇っていた。

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