第22話 ボランティア

「忘れもしない。高校一年生の冬のことよ。あの子はわたしの前からいなくなったの」

「あの、嘘ですよね? 妹さんを殺したなんて……そんな……」


 真理さんはなにも答えず、自分の左手をしきりにさすっている。


「お願いしたはずですよ。嘘偽りなくすべて話してほしいと」

 冷静さを欠いた僕を落ち着かせるように、師匠の言葉がぴしゃりと飛んできた。


「嘘じゃないわ。妹がいなくなったのはわたしのせい。わたしが殺したようなものだから」

 真理さんは、うつむきながら左手をもう片方の手で包んで祈るような仕草をしている。


「目をそらして左手に触れるのは嘘をつき慣れてない不安からです。また、『死んだ』と言わず『いなくなった』と言い換えるのは妹さんが亡くなった現実を受け入れられないからでしょう。たしかに妹さんは亡くなっていますが、あなたが直接手をかけたわけではないはずですよ」

 師匠は、すべてを知っているかのように嘘を一つ一つ指摘していく。


 ようやく真理さんは左手に触れることをやめた。それから顔を上げて自嘲じちょう気味に笑う。


「騙り部ちゃんは本当にすごいわね。どんな嘘でも見逃さないんだから」


 嘘とわかって少し安心するが、真理さんの顔は先ほどより暗くなっている気がする。まるで自分に嘘をついて自分を傷つけているかのようだ。見ているこちらまで辛くなってくる。


「私は優しい嘘が好きです。でも、人を傷つける嘘は大嫌いです」


 誰に対しても優しい師匠だが、時には厳しいことも言う。人を幸せにする嘘をつく騙り部は人を不幸にする嘘を嫌うのだ。たとえそれが自分自身を傷つける嘘だとしても。


「たしかに事故だったとみんな言ってる。でも妹が死んだのは、わたしのせいなのよ」


 虚ろな表情で話している真理さんは僕や師匠を見ていない。この世界とは異なる世界を見ているようだった。今の真理さんは、違法薬物に手を出した人のような危うさを感じる。


 電車が大きな音を立てて線路を走っていく。窓から見える車内には老若男女の客が乗っているのがわかった。あの電車は生きた人間を目的地まで運んでくれる。しかし銀河の彼方や死後の世界には連れて行ってくれない。


 ここから線路までは距離があるし、鉄柵もあるからそう簡単には侵入できない。とはいえ、もしものことを考えて僕は真理さんの進路をはばめるようにそっと移動した。


「わたしは自殺なんてしないわよ」


 真理さんも僕が急に動いた意味を理解していたらしい。


 自殺なんてしないと言いつつ左手の能力を使って自分の心身を傷つけるのはいいのだろうか。

 僕にはそれが自傷行為にしか見えない。不安を抱えた人が心を安定させるためにやるような。

 だがそれらの行為は一歩間違えれば自殺になってしまう。

 それを彼女はわかっているのかな。おそらくわかってやっているのだろう。だからこそ、その行為が止められないのかもしれない。


「僕からもお願いします。なにがあったのか話してください」

 嘘偽りなくすべて、と心の中でつぶやいてから頭を下げた。


 目の前で傷ついている人や死ぬよりも辛い苦しみを味わっている人がいたらどうするか。ボランティアには興味がないし利益にならないことは嫌いだ。


 それでも今の僕は手を差し伸べる。困っている人を助け、泣いている人を笑わせる嘘をつく。それが騙り部一門の教えだから。


「わたしたちは……わたしと妹は……」

 真理さんは古い記憶を思い出しながら話そうとしているところだった。


「わたしと妹は生まれた時からずっといっしょ。遊ぶ時も寝る時もいつでもいっしょだった。それは大きくなってもそう。小学校や中学校、高校までずっといっしょにいたのよ。それからボランティアの時だって……二人でいっしょにやっていたの……」


 ボランティア。今までの話でも度々出てきた。

 真理さんは自身の限界を超えても左手の能力を使って他人の心の傷や痛みを受け入れていたという。その力となにか関係があるのか。


「ボランティアに興味を持ったのは小学生の時に老人ホームへ行ったことがきっかけだった。課外授業の一環で入所者といっしょに話したり歌ったり。その程度のことでも皆さんはとても喜んでくれたわ。その笑顔をまた見たいと思ったのよ、わたしたちは」


 真理さんは一息ついてから辛い過去を思い出すように空を見上げる。

 真っ赤な太陽が僕らを暖かい光で照らしてくれている。


「わたしと妹は病院や介護施設に電話をかけていった。なにかお手伝いできることはありませんかって。時には直接行って困っていることはありませんかって聞いたこともあったわ。今となっては迷惑だったと反省してるけど、とっても楽しかったのも事実ね」

「幼いのに行動力にあふれていますね。なかなかできることじゃないですよ」

「それはきっと妹のおかげね。あの子はわたしよりずっとやる気があったし、考えるよりも先に動く子だったから。小学校にはいろいろなクラブ活動があったけど、ボランティアクラブはなかったから諦めようと思ったの。でもあの子は『だったら二人でやればいいじゃない』って。すぐに電話帳を引っ張り出して電話をかけ始めていたのよ」


 真理さんの話を聞いているうちに自然と笑みがこぼれる。


「中学校に入学したわたしたちは念願のボランティアクラブに入ったわ。仲間もできて活動の幅も広がってうれしかった。でも、その頃からわたしは体調を崩しがちになって……」

「左手の能力の代償ですね?」


 師匠の問いかけに真理さんは小さくうなずいた。


「他の人にはない不思議な力があることは昔からなんとなく気づいてた。機会がなかったからあまり使わなかったけど、ボランティアを始めてからは意識して使うようになったわ。最初は風邪かなと思うくらいの辛さだから我慢できた。それでも使い続けるうちに体がだるくなって意識が遠のいて……目が覚めたら病院のベッドの上だった時はビックリしちゃった」


 自分の命に関わる大きな代償だというのに、小さな失敗のように笑って話している。


「それから妹に能力の使用は一日三回までって言われちゃった。それ以上使おうとすると妹が怒って止めに入るし、わたしもいつの間にか眠ってしまうようになったから」


 その頃の妹さんや第二の人格のマリさんの苦労を考えると苦笑いしか出てこない。


「わたしたちは地元の高校に入学してそこでもボランティア系の部活動に入った。上下関係が厳しいところだったけど、人のために役に立ちたいという同じ志を持った仲間だから悪い人じゃないと思っていたの。でも、そう思っていたのは、わたしたちだけだったみたい……」


 太陽に雲がかかるように真理さんの話も雲行きが怪しくなってくる。


「そこはいわゆる進学校だった。学業でいい成績を収めることが生徒の義務。部活動で輝かしい成績を出したり課外活動で表彰されたりすることも大事。とにかく上昇志向が強くて成果主義の学校だったわ。ボランティア部の活動目的もまさにそれだったのよ」


 僕や師匠が通っている秋功学園と似ていると思った。実力主義と競争主義で成果を出した者にはそれなりの対応をするが、出せなかった者は容赦なく切り捨てるという校風だ。真理さんや妹さんの苦労が容易に想像できてしまう。


「ボランティア部員のほとんどは内申点ないしんてん欲しさに入ったような人たちだった。動機はともかくしっかり活動するならいいけど、やってもいない地域清掃や施設訪問を活動実績として提出するのよ。やる気のない顧問もそれを見て見ぬふり。いえ、むしろ推奨してたわね」

「それは、ひどいですね」


 思わず本音がもれた。師匠も黙ってうなずいて賛同してくれた。


「辞めることも考えたんだけど、わたしと妹や一年生の数人は心からボランティアをしたいと思っていたの。だから妹が自慢の行動力を発揮してやる気のある人たちだけで活動を始めたわ。部費は出ないからみんなでお金を出し合っていろいろ工夫してやっていたのよ。でも、それが上級生には気に入らなかったみたい。そのせいでいじめが起こった」


 僕は奥歯を噛んで悔しさと怒りを飲み込んだ。


「部活を辞める子もいれば上級生側につく子もいた。結局残ったのはわたしと妹だけだった。どういうわけかわたしへのいじめはまったくなかったのに、妹へのいじめはとにかくしつこくて……あの子が主導で動いていたせいかしら……」


 真理さんは不思議そうに過去を振り返っているが、おそらくマリさんのおかげではないか。あの曲がったことが大嫌いで、荒っぽくて喧嘩っ早い性格の人がいじめを許すはずがない。右手の能力は使わないにしても、右拳の暴力を使ったのではないかと想像する。


 きっとマリさんは妹さんのことも守っていてくれたはずだ。しかし第二の人格であるカノジョは、常に表に出ていられるわけではない。目の届かないところでやられていたら手の出しようがないだろう。


 いずれにしてもいじめる側が悪いのであり、いじめられる側に落ち度はまったくない。


「妹は昔から心も体も強い子だった。わたしなんかよりもずっとね。それでも心配だから左手の能力で心の傷を取り除いてあげようとしたのよ。そしたらあの子、すごく怒って言ったの。その力は困っている人のために使わないとダメって。本当に……強い子だったのよ……」


 気づけば涙を流していた。師匠はハンカチを取り出して真理さんに渡す。

 僕もこみ上げてくる感情を抑えて気づかれないように目元を拭う。


「なのに……なのにあの子……。やだ……なんで……。どうして……妹はもう……」


 真理さんはなんとか言葉にしようと口を開けるが、なにも言えずにハンカチで目元を押さえる。止めどなく流れる涙とあふれる想いに思考と言動がついていかないようだった。


「大丈夫ですよ」


 師匠は微笑みながら真理さんの頭を優しく撫でてやる。

 その光景は見ているこちらまで優しい気持ちになり、不思議と懐かしさすら感じられた。

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