第21話 今日も始まる。騙り部による騙りが――。
「ん……」
真理さんが目を覚ましたようだった。
「あれ、ここはどこ?」
急にマリさんの人格が出てきたから途中の記憶が曖昧になっているのだろう。
深呼吸してもらったり飲み物を飲んでもらったりしてからようやく落ち着きを取り戻した。真理さんは額に左手を当てながら思い詰めた表情で言葉をもらす。
「あの人たちは、なぜ私を襲ってきたのかしら……」
すぐに師匠が透明なポリ袋を取り出して言った。
「それはこの薬と日佐子さんが関係しています。今度は嘘をつかないでくださいね?」
師匠はこんな時でも笑顔を絶やさない。
一方、真理さんは真剣な眼差しを送っている。
やがて観念したのか、あるいは覚悟を決めたのか、小さく息を吐いてから向き直る。
「騙り部はそういう仕事もするのね。あなた達はどこまで知ってるのかしら?」
僕は日佐子さんがクラブへ行ったこと、そこで薬を買わされたことを知っていると告げる。ただし薬は使っていないし、それ以降クラブに行っていないことも知っていると付け加えた。また、僕らは警察とは関係なく独自に動いているから安心してほしいと言う。
「そういうことだったの。てっきり薬を売る側の人かと思ったわ。疑ってごめんなさい」
もしかして初対面の時に師匠がヤクザみたいな交渉をしたせいではないかと思ったけれど、当の本人は口笛を吹きながらごまかしている。
「これからどうするつもり? 普通なら警察に言うわよね。こんなこと本当はいけないんだろうけど、日佐子ちゃんのことは……」
「クラブに行ったことも薬を買ったことも話しません。私たちも警察を通さないで解決したいんですよ。こちらとしても黙っていてもらえるとありがたいです」
真理さんは安堵の表情を見せる。マリさんもそうだが、どうしてそこまで日佐子さんのことを気にかけているのだろう。二人にとって日佐子さんは、命よりも大切な存在なのだろうか。
「そのかわり、真理さんにはお願いしたいことがあります」
「なにかしら。わたしにできることなら協力するけれど」
「簡単なことですよ。これからは左手の能力を使わないと約束してください」
「ごめんなさい。それはできないわ」
願いは聞き入れてもらえなかった。真理さんは申し訳なさそうに頭を下げている。
だがそれで引き下がる師匠ではない。なんとか承諾してもらえるよう再度お願いする。
「その力には代償がありますよね。人の心の傷や苦痛を癒すのではなく自分の心に受け入れている。それではあなたの体がもちません。このままだと死んでしまいますよ?」
それを聞いた時、僕の心にはズシリと重みが感じられた。まるで池に放り込まれた石のように心の奥底まで沈んでいく。
「よく気づいたわね。昔から能力を使っているせいでわたしの心と体はもうボロボロ。ここに来る前には入院したこともあるし、健康診断ではいつもお医者さんに怒られているわ」
真理さんの心には波紋一つ立たなかったらしく眉一つ動かさず平然と答える。
「でもね、これでいいのよ。だってわたしは、この能力を使って死ぬつもりなんだから」
僕は自分の耳を疑った。この人は本気で言っているのだろうか。
しかし師匠に聞くまでもない。
真理さんの真剣な表情を見たらとても嘘とは思えない。
それでも尋ねずにはいられなかった。聞かないという選択肢がなかった。
「どうして自分を犠牲にしてまで他人を助けるようとするんですか?」
「これは犠牲じゃないのよ。なんて言えばいいのかしら……
「贖罪ってなんですか? なんのために? 誰のために?」
言葉の意味を聞いているのではない。
行動の意図を聞いている。
真理さんは困ったように笑うばかりでなにも答えてくれなかった。
死ぬとわかっていながら能力を使うなんて……この人は本物の聖人君子にでもなるつもりか。どうしてそこまで人のためにできるのか。凡人の僕には彼女の思考も
「妹さんのためですよね」
師匠が発したその言葉は、なんてことないものだった。
それでも、目の前にいる女性に衝撃を与えるほどの効果を持っていた。
「なんで? どうしてわかったの? まさかあなたも人の心が読めるの?」
真理さんはベンチから立ち上がり、顔は血の気が引いたように青ざめている。
「私に人の心は読めませんよ。私がわかるのは人の嘘だけです」
師匠は小さく首を横に振ってから平然と事実だけを述べる。
どうやら指摘は当たっていたらしい。ただ、間違っている部分もある。
それに気づいた僕はすぐに確認する。
「待ってください。真理さんは、たしか一人っ子のはずですよ」
そのことを知った時のことはよく覚えている。僕が真理さんとマリさんが双子だと勘違いしたから少し不機嫌そうな反応を見せたのだ。
「真理さんがその時になんと言ったのか覚えてるかな?」
「たしか、妹はいないって」
あれ、なにかおかしい。
それはほんの小さな疑問。
その時、僕はなんと質問しただろう。
考えろ。思い出せ。頼りない記憶をたどってようやく思い至る。
そうだ。「真理さんは双子ではありませんか?」と聞いたのだ。
この質問に対してこの回答はおかしい。なぜなら……。
「どうして妹だけなんでしょう。双子なら姉という可能性もあるのに。そもそも双子かどうか聞いているのに、妹はいないという答えはおかしくないですか?」
上手く言葉がまとまらなかったけれど、違和感の正体を突き止めることはできた。
こちらの質問に「双子ではない」と否定するなら自然だ。
なんの違和感もない。
だが「妹はいない」「姉はいない」という返答では不自然だ。
違和感がぬぐえない。
それなら、なぜ真理さんは「妹はいない」と答えたのか。
本当は双子なのに嘘をついて双子であることを隠したかったのか。
「だから言ったでしょ。誠実のおかげでもあるんだよって」
師匠は長い黒髪を風に遊ばせながら軽やかに歩く。
「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり――」
【歌詠みの騙り部】という騙り名に恥じない美しい声で『始まりの口上』が述べられる。
師匠は赤い舌をペロッと出して不敵に笑って見せる。
今日も始まる。騙り部による騙りが――。
「さてさて鏡淵真理さん。あなたは二つの嘘をつきました。
一つは薬を知らないと言ったこと。これは実の妹のように可愛がっている日佐子さんのことを守りたかったからですね。
それからもう一つ。あなたが双子の姉妹であることを隠していたことです。これはあなたの能力と過去を隠したかったからでしょう。違いますか?」
真理さんは黙って話を聞いている。否定しないということは当たっているのだろう。
「一つ目の嘘はわかりやすかったです。嘘をつき慣れてない人が無理しているような音がしましたから。ただ、二つ目の嘘はちょっとわかりにくかったですね。『妹はいない』という答え。なぜならそれは、本当でもあり嘘でもあったからです」
本当でもあり嘘でもある? 二つの
「現在の真理さんにとって妹がいないのは事実です。悲しいことですが、決してひっくり返ることのない現実です。だから『妹はいない』という答えは嘘ではありません」
現在の真理さんという言いまわしに疑問が生まれる。それは実家を離れて一人暮らしをしているからという意味だろうか。たしかにそれなら『妹はいない』ことになる。
「しかし、妹さんがいなくなっても真理さんが双子であったことはゆるぎない事実です。だから双子を否定する意味で『妹はいない』と言ったせいで嘘になってしまったのです」
僕の耳が悪いのか、それとも頭が悪いのか。
すぐに理解することができなかった。
ただ、師匠の言いまわしにいくつか気になる点を見つけた。
同時に、第二の人格のマリさんが教えてくれたことが脳裏に
双子、いなくなった妹さん、それからお葬式。
すべて繋がった。真理さんの言葉は本当でもあり嘘でもあるということを。
彼女の人生に悲しい過去があったということにも気づいてしまった。
「辛いかもしれませんが、話していただけますか。嘘偽りなくすべて」
師匠は真剣な表情でお願いする。少し遅れて僕も頭を下げる。
「騙り部ちゃんすごいわ。なんでもお見通しなんだもの。心を丸裸にされているみたい」
その後に笑い声をあげた気もするけれど、それは電車の音にかき消されてしまった。
頭を上げると、真理さんは真剣な表情でまっすぐこちらを見ていた。
「あなたの言う通り、わたしは双子よ。いえ、双子だったというべきかしらね」
やっぱり……という言葉は奥歯で噛みしめてなんとか飲み込んだ。
「あの子は、妹は、わたしが殺したから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます