第20話 正直な気持ち
「師匠!」
「なにやってんだ!」
僕とマリさんが驚きの声をあげているのに、師匠は笑うばかりで動じていない。
それどころか右手にキスまでした。
マリさんは顔を真っ赤にしながら怒る。
「危ないだろ! あたしの右手に触れたらストレスが……」
「あれあれ? なんともないですよ?」
師匠はなんの不調もないことを示すようにその場で飛び跳ねる。
マリさんも驚いているのか呆れているのか、少し遅れて話を戻す。
「それは能力を使ってないからだ。あたしが意識すればすぐに……」
「じゃあ使ってください」
「ダメだ。あたしはもう能力を使わないと決めたんだ」
「真理さんの左手の能力は私に効かなかったでしょう。それならきっとマリさんの右手の能力も効きませんよ。もしもの時は誠実になんとかしてもらいます。だから大丈夫ですよ」
「あの、師匠。どうしてマリさんの右手の能力を使わせようとするんですか?」
このままでは能力を使うまで問答が続きそうなので理由を聞いてみる。
「真理さんは左手の能力を使いすぎるせいでストレスを溜めて体調が悪くなるんだよね。でも、マリさんの右手の能力を使えばストレスが発散されて体調も回復する。それなら定期的に私と握手すればストレスも解消できるんじゃないかな」
その方法は僕も思いついていた。
だがすぐに却下した。
誰かに犠牲を強いることになるし、下手したら死んでしまう恐れもある。あまりにも危険な方法だから提案するまでもないと思っていた。
これでは他人のために自分を犠牲にしている真理さんと同じだ。そんな方法が許されるわけないし、納得してくれないと思ったから。
「本気で言ってんのか?」
マリさんの目つきが嫌悪感や敵対心をむき出しにしたようなものに変わる。
その目は、秋葉一族の屋敷を訪れた時に向けられたものと同じだった。
悪意や敵意といった負の感情が入り混じったような視線が突き刺さる。
「あれあれ? ダメですか?」
「ダメだ! 絶対にダメだ! そんなの人体実験みたいなものじゃねぇか!」
「このやり方なら真理さんもあなたも助けられると思いませんか?」
「バカ! それじゃ詠が傷つくだろ! 自分を犠牲にして人を助けるなんて……」
両目を涙でにじませながら叫んでいたマリさんが急に口を閉じる。
目元をぬぐってから突然笑い出した。
それを見ていた師匠もうれしそうに笑い出す。
また僕だけが状況を理解できずに取り残された。苦笑いを浮かべることもできない。
マリさんはひとしきり笑った後、大きく深呼吸してから姿勢を正す。
その顔つきは、なんの迷いもない晴れやかなものに変わっていた。
「バカだなあたしは……これじゃあいつといっしょじゃないか……」
そこで僕も気がついた。
師匠がマリさんに右手の能力を使わせたがっていた本当の理由を。
教えたかったのだ。
冷静さを欠いた彼女も自分を犠牲に人助けしようとしていることを。
騙り部一門がつくのは優しい嘘。
誰かを不幸にして得る幸福ではダメなのだ。
「ふふふ。意地悪してごめんなさい。でも、二人を助ける方法はちゃんとあります」
師匠は抱えていた紙袋を掲げて見せる。その中には人を幸せにする嘘が入っている。
「初めて見た時は胡散くさい奴らだと思ったけど、今は頼りになる奴らだと思えるよ」
マリさんは袋の中身を確認することなく、満足したようにうなずいている。
師匠はうれしそうに笑っている。
「あたしはそろそろ引っ込ませてもらう。あんな急に人格交代するのは初めてだからあいつも混乱してるかもしれない。そこはあんたらが上手くごまかしといてくれよな」
マリさんはベンチに腰を下ろす。首や両腕をまわし、全身をもみほぐして疲れた体を
「最後に一つだけ確認させてもらってもいいですか?」
それを
「知ってることは全部話したぞ。まだなにかあるのかよ」
寝ぼけながらもマリさんが不機嫌そうに反論してくる。
それでも師匠は笑みを浮かべたまま話を進めていく。
「とても大事なことなのでお願いします」
「だったらさっさと聞いてくれ」
マリさんは、大きなあくびをしながら目を何度も擦っている。
「真理さんの心も体もボロボロになってしまい、あなたが右手の能力を使わなければいけなくなった日、もしくはその前かもしれません。お葬式がありませんでしたか?」
お葬式? 突然そんなことを聞いてどうするのだろう。
「どうしてわかった……?」
マリさんは耳に水をかけられたかのような驚きの表情を見せている。
「辛いことを思い出させてすみません。でも、あなた達を救うためには必要なことなんです。それがわかったら真理さんに能力を使わせないようにできるかもしれないんです」
ひどく動揺するマリさんを落ち着かせるように優しい声で師匠は告げる。
能力を使わせないようにできる。
その言葉が効いたのか、マリさんの顔色が少しずつ良くなっていく。そっと姿勢を正して深呼吸すると小声で話し始める。
「詠の言う通りだ。高校一年生の冬だった。それまではあたしとそいつの二人で真理に無理させないようにしてきたんだ。でも、そいつがいなくなってから真理は
その人は誰なんですか?
真理さんとはどんな関係だったんですか?
それを聞こうとして口をつぐんだ。
マリさんの両目から涙がこぼれていったから。
「バカだなあたしは……昔のことなのに……なんで今になって……あはは……」
無理やり笑ってごまかそうとしても涙は止まる気配がなかった。それどころか体まで震え始めている。マリさんは頭を下げて自身の体を抱きすくめるように両腕を交差させる。それでも地面に黒い染みが点々と作られていくのを止めることはできない。
僕の横を風が吹き抜けるように過ぎ去っていく女性がいた。
その人は長い黒髪をなびかせながら悲しむ女性の前に立つとすぐに行動を起こす。
「大丈夫ですよ」
師匠は慈愛に満ちた微笑を浮かべて優しい声で話しかけている。それからとても慣れた様子でゆっくりとマリさんの頭を撫でていく。その姿はまるで聖母のようだと思った。
「詠……」
「今まで一人でよくがんばりましたね。あなたはすごい人です」
「あたしは……すごくなんか……」
「いいえ。あなたはすごい人です。ずっと一人で守り続けてきたんですから」
師匠はマリさんの目元に溜まっていた涙を指でそっと撫でてやる。
「もう大丈夫ですよ。あとは私たちに任せて。ゆっくり休んでください」
「でも……」
「自分の血を分けた半身とも言える人を亡くすことは辛いですよね」
マリさんがまたハッとした顔を見せる。
「そんなことまで気づいてるのかよ。詠は超能力者なのか?」
「いいえ。ただの嘘つきです」
きょとんと呆けた顔を見せた後、マリさんは大笑いしてベンチに深く腰かけた。
「あとは頼んだぞ騙り部。大嫌いなあいつを……あんたらの嘘で救ってやってくれ」
「ご依頼承りました。命をかけて騙らせていただきます」
その答えを聞いて安心したのか、マリさんは満面の笑みを浮かべてゆっくり眠りについた。
「大嫌いな奴なんて……マリさんも嘘つきですね」
「そうだね。だけど、あの人も優しい嘘つきだと思わない?」
師匠の問いかけに僕は大きくうなずいた。
「でも、よくわかりましたね。僕にはまったくわかりませんでした」
「んー? なんのことー?」
「真理さんの心の傷やマリさんが右手の能力を使わないといけなくなった原因です。どうして誰かが亡くなったせいだとわかったんですか?」
真理さんにとってもマリさんにとっても大切な人が亡くなったことはわかった。
しかしその人がいったい誰なのか、二人との関係性が僕には見当がつかない。
ただ、師匠は全てわかっているような口ぶりだった。
そのことに気づいたのはいつだろう。マリさんが能力のことを隠していたように、真理さんもまた隠していたのだろうか。もしくはなにか嘘をついていたのだろうか。それなら師匠の能力で見抜くことができるはず。
まちの駅での会話の記憶を探ってみるけれど、なかなか思い出すことができない。
「ふふふ。それについては誠実のおかげでもあるんだよ」
「僕のおかげ?」
なんだろう。
なにか情報を引き出す手助けをしただろうか。
それもまた思い出せない。
どうして僕の頭は出来が悪いうえに役に立たないのだ。記憶喪失にでもなっているのか。
「そういえば誠実にはお礼を言ってなかったね。さっきは助けてくれてありがとう」
「僕はなにもしてません。今回もなんの役にも立てませんでした……」
「そんなことないよ。ほら、おいで」
師匠は、慈愛に満ちた微笑と共に両手を大きく広げている。
「え?」
いつもなにを考えているのかわからない人だが、今日はいつも以上にわからない。
「あの、どういうことですか?」
「ふふふ。私には人の心を癒す力はないけれど、弟子を癒すことはできるんだよ」
それを聞いてその行動の意味を察する。しかし、人がいないとはいえ路上でそんなことできない。僕が後退するとそれを予知していたかのように師匠は前進してくる。
「ほらほら、自分の気持ちに正直になっちゃえ」
師匠……それは欲望の間違いではありませんか……?
「おっ……」
「おっ?」
「お気持ちだけ……いただいておきます……」
今夜もまた後悔と自責の念で枕を濡らすことになりそうだ。
しかし実人さんに指摘された通り、甘やかし甘やかされる関係ではいけないのだ。
そうでなければ僕は成長できないし、一人前の騙り部として認めてもらえないのだから。
師匠はゆっくり力をつけていこうと言ってくれたけれど、僕はすぐにでも力を得たい。
秋葉市のため、秋葉一族のため、なにより師匠のためにがんばりたい。
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