第19話 カノジョの右手
渡したいものがあるというマリさんに連れられて秋葉駅にやってきた。
胸を揉まれて傷心状態にあった師匠も帰りにあげパンを買うと伝えたらすぐに立ち直った。
僕らは改札近くにあるコインロッカーの前に立つ。マリさんが周囲を警戒しながら鍵を穴に挿し込んでゆっくり回す。
人がいないところを見計らって戸をほんの少し開き、細い腕を滑り込ませる。
「ほら。あんた達が探してたものだ」
マリさんの手から師匠の手になにかが渡される。
少し手を開いて見せてもらうと透明なポリ袋があった。そこには一目見ただけで嫌でも忘れられないものが入っている。恐ろしいほどよく効く白い錠剤だ。
僕らは人いがない場所へ移ってから詳しい話を聞く。線路沿いの開けた場所は電車の走る音や汽笛がよく響く。
「この薬のことは、日佐子さんの記憶から知ったんですか?」
「0番街の休憩所で相談を始めてすぐに知り合ったんだ。女子高生はめったに来ないからよく覚えてる。でも最初は相談じゃなくてボランティアに興味があるから手伝いたいと言ってきた。それで真理の奴が了承して、日佐子といっしょに子どもたちと遊ぶようになったんだよ」
「あれあれ? 真理さんは個人でボランティア活動をしたいと言ってませんでした?」
「あいつらはウマが合ったんじゃないか?」
「ふふふ。かわいい妹ができたみたいでうれしかったのかもしれませんね」
「そうだな。あたしにとっても……妹みたいにかわいい奴だよ」
マリさんの顔に影が差した気がする。
それから重苦しそうにまた口を開く。
「でも、四月に入ってから元気がなくなって様子がおかしくなった時は心配したよ。そこでようやく真理が相談に乗ってやったんだ。そしたら日佐子の好きな奴が……その……」
「話さなくていいですよ。相談者の秘密は守らないとダメですからね」
言いにくそうにしているマリさんを案じて師匠が助け舟を出す。
人の恋路に口を出して馬に蹴られるのは嫌なので僕も聞かないでおきたい。
「真理の能力を使うとストレスの原因を映像で見られることは言ったよな?」
僕と師匠はすぐにうなずく。
「日佐子にもちゃんと説明してから能力を使ったんだ。あいつが抱えてるストレスの原因は主に二つあったよ。一つは惚れた男のこと。もう一つは、その薬のことだった」
「日佐子さんは、この薬をどこで手に入れたんですか?」
「クラブだよ。日佐子の奴、高校に入ってできた友達に誘われたらしい。まじめな奴だから断れなかったんだろ。それでも心の中を見た時、薬を一度も使ってないとわかって安心したよ」
なるほど。だからベッドの下に隠されていたのか。
師匠が服用していないと判断したのも間違いではなかったらしい。
「でも売ったのはあいつらじゃない。あんなバカ共に薬がさばけるわけないだろ?」
たしかに彼らと薬の売人という情報が結びつかない。
せいぜい薬を買ってコソコソ楽しむくらいが身の程に合っていそうだ。
「でも、それなら誰が売ってるんですか?」
「それを調べるためにあたしはあの店に通ってたんだ。それでようやくわかった。あのクラブの店員が薬を売りつけるのをこの目ではっきりと見たんだよ」
師匠の方をチラッと見たらなにも言わずにうなずいた。嘘はついていないらしい。
「クラブ
「おいおい。ちゃんとした店ならあんたらはどうして店に入ることができたんだよ」
「それは、店の経営者から騙り部の仕事を頼まれたから特別に……」
しかし日佐子さんやその友達が入店できたのはおかしい。
その日は確認を
「あのな、まともな経営者ならいくら仕事でも高校生を入れないぞ。騙されてないか?」
それを聞いてあの日のことを思い出す。
正さんは『他に騙り部がいないから君達に頼るしかない』と言っていた。あの場に師匠はいなかったからそれが嘘かどうか判断はつかない。
しかし、もし正さんの言葉が嘘だったとしたら……なぜ僕たちを呼んだのだろうか。
「薬のことは警察に話しましたか?」
「……話してない。話したら大変なことになるだろ」
「そうですね。未成年者でクラブへ行ったことはともかく、使っていないとはいえ薬を購入したことは警察に話さなければいけなくなります。でも、そうなったら日佐子さんは……」
師匠はそこで言葉を切る。僕はその後を想像して暗い気持ちになった。
校則を破るのとは訳が違う。法律を犯した者には厳しい罰が待っている。
「なんとかならないか?」
マリさんが表情をさらに曇らせながらどんよりとした言葉を吐き出す。
「日佐子には幸せになってもらいたいんだ。頼む」
目から涙をあふれさせるマリさんは、それを隠すように頭を深く下げる。
真理さんと日佐子さんは知り合ったばかりで日が浅いし、血の繋がりがあるわけでもない。それなのにどうして他人のためにそこまですることができるのだろう。体を犠牲にして能力を使う真理さんも、危険を冒してまで調査したマリさんも僕には理解しがたい。
「いいですよ。なんとかしましょう」
それでも師匠の答えは決まっていたらしい。なんの迷いもない晴れやかな表情で話す。
「本当か? 嘘じゃないよな? なあ?」
「騙り部は優しい嘘つきですから。依頼人を不幸にするような嘘をつきません」
師匠は優しい微笑みと穏やかな声で落ち着かせる。
「そのかわり、こちらからもお願いしたいことがあるんです」
「あたしにできることならなんでも言ってくれ!」
「どうか話してください。嘘偽りなくすべて」
言葉をかき消してしまうほどの大きな音を立てて電車が走っていく。
「なんだよ。気づいてたのかよ」
「ふふふ。言ったじゃないですか。私に嘘は通じないって」
「あはは。そういやそんなこと言ってたな。嘘かと思ってたよ」
楽しそうに笑い合う二人を見て、僕だけが取り残されているような気分になる。
ふと、まだ助けてもらったお礼を言っていないことを思い出した。
「あの、さっきは助けてくださってありがとうございます」
マリさんは驚いた表情を見せた後、サッと横を向いてしまう。
「やめてくれ。あたしは真理と違って感謝されるような人間じゃない」
「それでも言わせてください。あなたのおかげで師匠が無事でした。ありがとうございます」
マリさんは使いたくない能力だと言っていた。
それでも僕らを助けるために使ってくれた。
やはり優しい人だと思うし、感謝以外にかけるべき言葉が見つからない。
「本当にありがとうございました」
遅れて師匠もお礼を言う。
未だマリさんは居心地の悪そうな顔をしているが、それでも少しずつ語り始めた。
「隠していて悪かったな。あたしにも人には言えない不思議な能力があるんだよ」
空に向かって右手を伸ばす。それから太陽を掴むような仕草をして沈黙する。
「マリさんの右手の能力はなんですか? あの不良になにをしたんですか?」
先ほど答えを聞きそびれてしまったので僕が再び尋ねる。
「あれはストレスを押しつけてやったんだ」
「ストレスを押しつける?」
「ああ。真理が左手で触れた相手の心の傷や苦痛を自分の心に受け入れる能力なら、あたしは心の傷や苦痛を右手で触れた相手に与えることができるんだよ。金髪野郎は大量のストレスを一心に受けたショックでああなった。まあ、しばらくしたら意識を取り戻すから心配するな」
それなら大丈夫かな。
もしなにかあっても奴の仲間がなんとかしてくれると信じよう。
「真理がストレスを抱えすぎたせいであたしという人格が生まれたのは話したよな」
「はい。苦痛を切り離すために生まれた第二の人格があなた……ですよね?」
「あたしは生まれた瞬間に自分がなにをすればいいのかすぐに理解したよ。そのための能力を持っていることもすぐわかった。この右手は真理のストレスを発散させるためにあるんだ」
左手で他人の心の傷や苦痛を受け入れ続ける真理さんを救うために生まれたマリさんの右手の能力。遊んだり休んだりするよりもはるかに効率よく確実にストレスを発散できるだろう。
実に合理的だ。
ただ、他人に犠牲を強いる形でなければもっとよかった。
「初めて右手の能力を使った時のことは今でも覚えてるよ。相手はぶつかってきた男だった。その時の真理の心と体はボロボロで、あたしもイライラしてたからつい使っちまったんだ」
その男がどうなったかは、聞くまでもないだろう。
「能力を使った直後は相手が死んだかと思って焦ったよ。でも、しばらくしたら起き上がって逃げていったからホッとした。だけど今まであたしがなにをやっても真理の体調は回復しなかったのに。この能力を使ったら一瞬で心も体もスッキリしたのは……なんだか怖かったよ」
マリさんは虚ろな表情で自分の右手を見つめている。
それから固く握りしめて顔に当てる。
なにを考えているのか、心の中を読むことができない僕にはわからない。
「わかってたんだ……」
顔を隠したまま再び話し始めたマリさんの声は少しだけ震えている。
「あたしが遊んだり休んだりしても全く意味がないことも、右手の能力を使えば一瞬で心身の負担がなくなることも、右手で触れた相手がどうなるのかも……全部わかってたんだよ」
右手と声がさらに震えていく。僕と師匠はなにも言わずに耳を傾ける。
「それでもあいつに教えたかったんだ。この世界にはたくさん楽しいことがあるって。心も体も犠牲にして他人のために生きるんじゃなくて少しくらい自分の好きなことをしてほしかった。辛い過去を悔やんで死に急ぐんじゃなくて、楽しい未来を願って生きてほしいんだよ!」
心の底から叫ぶように想いを発している。
だが本当に伝えたい相手には届かない。
いつの間にか隣に立っていたはずの師匠の姿が消えていた。
音もなくマリさんの元へ歩み寄ると右手をしっかり掴んだ。
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