第18話 逆転の手

「ふふふ」


 突然、この場に似合わない楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


「なんだ!」


 不良といっても耳だけはいいらしい。

 どうやら同じ声が聞こえていたようだ。


 だが幻聴でなければいったいどこの誰が……それは考えるまでもないことだった。

 手も足も出せないこの状況をなんとかできる人がいるとすれば一人しかいない。

 手足の自由を奪われても刃物を突きつけられても動じない。

 口さえ開けば問題ない。

 なぜなら彼女は、命尽きるまで嘘をつき続ける騙り部なのだから。


「ねぇねぇ。さっきから君の手がおっぱいに食い込んで痛いんだ。離してくれるかな?」

「う、うるせぇ! てめぇは黙ってろ!」

「あれあれ? 顔が真っ赤だけど大丈夫? あ、もしかして初めてなのかな?」

「ど、童貞じゃねぇよ!」

「大丈夫。最初はみんな初めてだから。でも、ちゃんと相手の合意は得るんだよ?」

「だからうるせぇよ! さっきからなんなんだよ! 人質なら静かにしろ! 頼むから!」


 すでに隙だらけの状況なのにナイフを奪うことも通報することも面倒になってきた。


「あの、師匠。僕からもお願いします。少しの間でいいので黙っていてください」

「あー! 誠実! 言ったな! 言っちゃいけないことを言ったな!」

「えっと、なんのことでしょうか」

「お願いだから黙っていてほしい美人なんて!」


 言ってないです。そんなこと一言も言ってないです。

 怯えていた真理さんも何事かと思ってまじまじと見つめている。


「少しの間だけでいいんです。みなさん困ってますから。お願いします、師匠」

「また言った! 弟子の君までそんなこと言うなんてもう泣いちゃうよ!」


 この戦いが終わったら病院へ連れて行こう。

 耳鼻科、いや脳外科の方がいいかな。


「もう怒った。騙り部一門に伝わる奥義を使う。使っちゃうからね」


 そういえばいつだったか見せてくれると言っていたっけ。


 まさかこんな状況で奥義を見せられるとは思いもしなかった。

「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。 舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり――」


 この騒ぎをどう治めればいいのか。考えることを放棄したくて頭を抱える。


「えっと、人質が欲しいのよね? だったら、あたしが代わりましょうか」


 いつの間にか真理さんがしっかりと自分の足で立って出入口の方へ歩いて行く。


「あ、ああ。そうだな……」


 不良たちも呆れてなにも言えなくなっているせいか、動きを止めようとしない。

 混沌こんとんと化した空間で正常な思考力と判断力を持つ人はいなかった。

 ただ一人を除いて。


「あたしの友達に手を出すなんていい度胸してんじゃねぇか。覚悟しろよ?」


 突如、真理さんの口から荒っぽい言葉が飛び出してきた。


「は?」


 金髪男もなにを言っているのかわからないのか、間の抜けた声を出す。


「人の心の痛みってやつを教えてやるよ」


 真理さんは右手を相手に向かって伸ばしていく。

 しかし彼女の能力は左手でなければ使えないはず……と、そこでようやく気がついた。


「ぐわあああ!」


 暗く狭い店内に断末魔が轟く。

 それはこの世のすべての苦痛を受けたような叫びだった。

 男は痛みでなにも言えないのか、それとも気を失ったのか、一言も発しない。

 かわりに体をピクピク震わせながら全身の穴という穴から液体を垂れ流していた。目から涙、口からよだれ、鼻から鼻水、下半身からもひどい臭いを発する汚物が出ている。


「師匠! ケガは!?」

「うわーん怖かったよー」


 師匠は棒読みの悲鳴をあげながら僕の胸に飛び込んできた。

 とりあえず頭以外は問題なさそうなので真の救世主に声をかける。


「マリさん……ですよね?」

「おう」

「あの、マリさんは夜しか活動しないんじゃなかったんですか?」

「そんなこと言ってないぞ。あいつだって夜中までレポートのために起きてることもあるし。ま、勉強嫌いのあたしは大学なんて行きたくないから昼にはめったに起きないけどな」

「だったら……」


 そこまで言うと金髪男に目を向ける。体の震えは収まらないし、未だに声も発していない。意識はあるようだし、かろうじて息もしている。だがこの状態は問題ないのだろうか。


「心配すんなよ。死んではいないから」


 金髪男は相変わらず体をピクピクと小刻みに震えている。


「マリさんは、いったいどんな能力を持っているんですか?」


 いろいろなことを見落としていた僕でもさすがにわかる。

 真理さんが左手で触れた人の心の傷を癒すように、マリさんの右手で触れるとなにかあるのだろう。ただしその能力は、自分を犠牲にするのではなく他人を犠牲にするものらしい。


「できれば使いたくなかったんだけどな」


 マリさんはひどく弱々しい声でつぶやく。

 それから急に険しい表情になって叫んだ。


「おいお前ら!」


 仲間がやられて放心状態だった大柄な男と髪を逆立てた男がビクッと体を震わせる。


「よく見ろ! こいつは薬の副作用でこうなった! あんたらもいずれこうなるぞ! こうなりたくなかったら今すぐ薬をやめろ! それからあたしたちに二度と関わるな!」


 最後にそう言い捨てると、僕らはその場を後にした。

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