第16話 真理とマリ
「
映画かなにかで見たことがある。
たしか一人の人間の体に複数の人格がある人のことだ。
「簡単に言うと鏡淵真理という人間の中には、二人の人格が宿ってるんだ。優しくて上品な人格と粗暴で下品な人格。あいつが本来の人格で、あたしは後から生まれた第二の人格だな」
鏡淵真理さんの中にいるもう一人というのは、そういう意味だったのか。
なぜ自分のことを他人事のように話すのか、その理由もようやく理解する。
「私は漢字とカタカナで呼び分けているよ。今いるのはカタカナのマリさんね」
声に出す時はどちらも「まり」だから紛らわしい。しかし、どちらも「鏡淵真理さん」と認めたい師匠なりの優しさだろう。嘘と真実が曖昧で白黒ハッキリつけない騙り部らしい。
昨日会った時に師匠が「初めまして」と言ったことも納得がいく。
彼女の目には見えていたのだ。
真理さんの中にいるマリさんの姿が。
「主に日が出ている時に活動するのが主人格のあいつで、第二の人格のあたしは日が落ちてから活動することが多いな。あいつが夜になると眠ってなにも覚えてないのはそういうことだ」
「あれ? でも、昨夜会った時には僕らのことを知ってましたよね?」
マリさんが夜しか活動できないのなら昼のことは知らないはず。しかし昨夜会った時点で僕らが誰なのかすでに知っていた。
真理さんしか知らない情報をどうして持っているのだろう。
「あたしは表にこそ出てないが、昼になにをしているのかは見えてるからな」
「真理さんは覚えていないのに、あなたは覚えていられるんですか?」
「ああ、それはあたしが生まれたきっかけと関係してるんだ」
「生まれたきっかけ……?」
「真理は左手で触れた相手の心を読める能力と言ってるが、少し違う。実際は左手で触れた相手の心の傷や痛みを癒すことができるんだ。その時、相手がどんな原因でストレスを抱えたのか映像として脳内に入ってくるんだよ。まあ、再現ドラマを見てるようなもんだな」
心の治癒が本来の能力だという師匠の予想は当たっていたらしい。
やっぱりすごいと思っていると、なぜか師匠は浮かない表情をしている。
なんだろう。
まだ真理さんの能力には、秘密が隠されているのだろうか。
こんなにも便利な能力なのに、なにか欠点があるのだろうか。
「握手した相手のストレスの原因を映像で見るって……かなり辛いんですか?」
真理さんは子どもたちの悩み相談をしていると言っていた。もしもいじめにあっている子どもの心の中をいくつも見せられたら相当なストレスになるのではないか。
「いや、むしろ映像は見られてよかったと思ってる。相談者がなんで傷ついてるのか知れて、どんな言葉をかけてやればいいのかわかるんだからな。最高の心理カウンセラーだろ」
しかしマリさんの顔色が次第に悪くなり、喉の奥からしぼり出すように声を出す。
「触れただけで心の傷や痛みがパッと消えるならよかったんだけどな。実際は人の心の傷や痛みを自分の心に受け入れるんだ。でも、そんなことしたらどうなるのか……想像つくだろ?」
単純に人の心を読めてそのうえ心を癒す便利な能力だと思っていた。だが、実際は自分を犠牲にして使う能力だとしたらそれは……便利なんて思えない。思っていいわけがない。
「昔からあいつはボランティアで訪れた先々でその能力を使うんだよ。困っている人がいたらどんな奴でも手を握ってやるし、どんな心の傷も痛みもすべて受け入れてきたんだ」
「そんなことして大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけない。それはあいつが一番よくわかってる。それでもあいつはボランティアを続けるし、他人の心の傷を受け入れる能力も使い続ける。絶対にやめようとしないんだよ」
「なら、どうしてそんな能力を使い続けるんですか?」
「あいつは生まれる時代を間違えたんだ。時代が違えば救世主だな。金があったら他人にすべて与え、パンがあったら他人にすべて与える。どんな時でも他人に尽くす奴なんだよ」
ああ、それは時代が違えば歴史に名を残すほど立派な聖人君子になっただろう。
それにしても、なんの利益も得られないのに他人のために動けるなんて……。
「そんな自己犠牲女を哀れに思った神様がいたのかね。あたしという人格が生み出されたんだ。あいつが無理をしないように制御したりストレス発散したりするための存在としてな」
「聞いたことがあります。辛い体験を切り離すために別の人格を生み出す人がいるって」
マリさんは深くうなずいた。
「あいつが限界以上に能力を使い始めたらあたしが表に出ることで能力を使わせなくするんだ。あたしが左手で握手してもなんにもならねぇからな」
試しにマリさんに左手で握手してもらうと心や体がスッキリした感覚はなかった。
「ストレスの発散には、どんなことをしてるんですか?」
「ゲームしたりカラオケで歌ったりとにかく遊んでストレスを減らしてる。面倒だけど、これが一番楽なんだよ。あいつと違ってあたしには不思議な能力なんてないからな」
単にマリさんが遊びたいだけなのではないかと思ったが、怒られそうなので黙っていよう。
昼に真理さんが能力を使い、夜にはマリさんがストレスを発散して精神の安定を図る。理想的な共存関係に見える。
だがマリさんはひどく辛そうに口を開いた。
「でも、そろそろ限界だ。このままだとまずい」
「まずいって……どういうことですか?」
「真理さんもマリさんも死ぬかもしれないってことだよ」
ずっと黙っていた師匠が残酷な事実を告げる。その顔にいつもの優しい笑みはない。
「昨日の夜、詳しい事情を聞かせてもらったんだ。二重人格者であることやどれだけ発散しても能力を使う頻度や受け入れるストレスが多すぎて困っていることを。実際この街に来る前は救急車で運ばれたこともあるみたい。それでもやめないなんて……困った救世主様だね」
「昨日は驚いたよ。親にもバレたことがないのにたった一度会っただけで見抜いたんだから。なあ、どうしてあたしが鏡淵真理じゃないと気づいたんだ?」
「真理さんは左利きなのにあなたは右利きじゃないですか。それに一人称も違ってますよ?」
「ちっ。これでも普段は気をつけてるんだぜ。でも、ついつい出ちゃうんだよな」
「ふふふ。いいじゃないですか。真理さんは真理さんでマリさんはマリさんなんだから」
マリさんは照れくさそうに笑った。だがすぐに真剣な表情に戻って話す。
「なあ、騙り部はどんな問題でも解決してくれるんだよな」
「ええ、どんな問題でもペロッと解決してあげますよ」
「それならあいつを……真理を救ってやってくれ」
マリさんはそう言うと礼儀正しくお辞儀してきた。
「やり方はあんたらに任せる。最悪あたしが消えることになってもいい」
「ちょっと待ってください。ちゃんと二人とも助かる方法を探しますから」
人格が消える。どんな風に消えるのかはわからない。
けれどその意味することは容易に想像がつく。名取に名前を取られて一時的に存在が消えるのとは訳が違う。人格が消えてしまったらもう二度と現れることはないだろう。それはつまり……死ぬということだ。
「あいつとは小学生の頃からの長い付き合いだが、そろそろお別れだな」
「いいんですか? 本当にそれでいいんですか?」
「いいに決まってるだろ。もともとこの体はあいつの物だ。あたしのじゃない。それに自分の限界以上に能力を使うバカに付き合うのは疲れるんだよ。あたしはもう楽になりたい」
「それでは根本的な解決にはならないと思うんです。だから別の方法を見つけましょう」
やはり真理さんに能力の使用を控えるように伝えて、その間に代償をなくす方法や軽減する方法を見つけよう。現実離れした問題だが、これが最も確実な解決方法ではないだろうか。
「あたしとあいつの両方を救うことができる方法があるなら今すぐ教えてくれよ」
「今すぐには無理です。だからみんなで話し合って考えて……」
「あのな、もうそんな時間はないんだよ。今はまだ元気に見えるかもしれないが、今日明日にでもあいつは死ぬかもしれないんだ。それでも動かずに考えようっていうのか?」
マリさんは怒りに満ちた目で睨みつけてくる。
「そもそも一人の人間の中に二つの人格があるなんておかしいだろ。もっと早くに消えておくべきだったんだ。まったく、あたしも面倒なところに生まれちまったもんだな」
そこに師匠がニヤニヤと笑みを浮かべて話しかける。
「秋葉市の名物、三色だんごを食べたことがありますか?」
「は? だんご? いや、食べたことないけど」
「ぜひ食べてください。一つのお団子で三つの味が楽しめるとても素敵なお菓子ですから」
「あのな、それがどうしたんだよ。あんたもふざけてるのか?」
「一人の人間に二つの人格があったっていいじゃないですか。私は素敵だと思いますよ」
「詠はおもしろいな。今までいろいろな奴らに会ってきたけど、そんなアホなことをまじめに言う奴は初めてだよ。この街は嫌な奴ばかりかと思ったが、そうでもないな」
どうしてそんな風に笑っていられるのだろう。
どうしてそんな軽口が言えるのだろう。
今日明日にも消えてしまうかもしれないと言っている人がどうして……。
「頼んだぞ、騙り部」
ひとしきり笑った後、マリさんは右手を挙げて軽い調子で頼んだ。
「ご依頼承りました。命をかけて騙らせていただきます」
師匠も笑みを浮かべたまま、重い覚悟と共に依頼を受けた。
「あ、そうだ。あの件は真理の奴から聞いてくれ。あの子のことも心配だからな」
悲しげな横顔が気になったが、マリさんはそれ以上なにも言わずに去って行く。
鏡淵真理さんは二重人格者であること、能力の代償のこと、今にも二人とも死んでしまいそうなこと、いろいろなことがありすぎて混乱している。
あ、薬のことを聞き忘れていた。
そのことなら心配ない、と師匠は吞気に言いながらベンチに腰かける。
「薬を奪ったのは第二の人格のマリさんだったんですよね。なにが目的なんでしょうか」
「そのうち話してくれるんじゃないかなあ。真理さんもマリさんも悪い人じゃないから」
日佐子さんの部屋で見つかったものと同じだから真理さんが売りつけたと邪推していた。
しかし真理さんもマリさんもそんなことをする人には思えない。
人は見かけによらないと言うけれど、これは揺るぎない事実だと思う。
能力の代償を知った今は別の考えが浮かんでくる。
マリさんは真理さんのために薬を奪ったのではないか。
能力の使いすぎで心も体も疲弊していてこのままでは死ぬ。
しかし、遊んだり寝たりという一般的な方法で解消できるストレスはたかが知れている。
そこで、違法と知りながらも心も体も気持ち良くなる違法薬物に手を出した。
使ったことはないから想像でしかないけれど、時には天国にも昇ってしまうほど気持ちいいらしい。
それに、がん治療に使われているモルヒネも麻薬の一種だ。真理さんの治療のために仕方なく悪に手を染めたのかもしれない。
「ふふふ。誠実って本当におもしろい考え方をするよね。そういうところ好きだよ」
からかわれているとすぐにわかった。僕は赤くなった顔をうつむかせる。
「二人ともいっしょに救うなら他にどんな方法があると思う?」
「医者に解離性同一性障害のことや心の傷を移す力のことを話します。それで精神診断や薬を処方してもらって少しずつ回復させていくのが一番じゃないでしょうか」
「うんうん。現実的で合理的な判断だね」
しかしこれでは二人を救えない。
おそらく現代医学のやり方では第二の人格は消されるだろう。これでは真理さんを助けられてもマリさんは助けられない。
「誠実。騙り部の嘘はどんな嘘?」
闇よりも暗い顔を見せる僕に、月よりも明るい声で師匠が問いかけてくる。
「人を幸せにする優しい嘘です。どんなことがあっても人を笑わせ楽しませる嘘です」
「ふふふ。それじゃあペロッと騙っちゃうよ」
すでに師匠の頭の中には、真理さんとマリさんの二人を救う方法があったらしい。
「すみません……」
「あれあれ? なんで謝るのさ」
「だって僕は……歌詠みの騙り部の弟子なのにまったく役に立ってないですから……」
「もう、そんな顔しないの。誠実は騙り名にとらわれ過ぎてるよ」
騙り名を得たらすぐ一人前の騙り部として認められるわけでないことは理解している。
だが、騙り名の有無は雲泥の差のような気がしてならないのだ。
「ゆっくりでいいよ。ゆっくりと力をつけていこう。ね?」
師匠に諭されながら重い足取りで公園を出ようとした時、幼い子どもの声が聞こえた。
「ちょうだい」
すぐに後ろを振り向いたが、公園には誰の姿も見えない。
以前も同じようなことがあった。やはり疲れているのかもしれない。
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