第15話 待人来る
最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴るとすぐに学校を出た。師匠といっしょに0番街にある休憩所『まちの駅』である人に会うために。
その人は、昨夜あれだけの騒ぎを起こしておきながら澄ました顔で本を読んでいた。
「こんばんは、真理さん」
師匠はすぐに昨夜のことを問い詰めずに穏やかな口調であいさつする。
「あら、こんばんは。今日も来てくれたの? でも、ごめんなさい。今日はそろそろ……」
「すみません。どうしても真理さんに聞きたいことがあって来ました」
右腕にはめた時計を確認する真理さんに僕が早口で用件を伝える。
「わたしに? なにかしら?」
真理さんは微笑みを浮かべながら本を閉じてくれた。
「昨日の夜、どこでなにをしていたのか聞かせてほしいんです」
「昨日は相談を終えて家に帰ったらずっと大学の課題をやっていたけど」
「そんなわけ……」
真理さんの嘘を指摘しようとして肩を叩かれた。
振り向くと師匠が首を横に振っている。
ここに来る前に相談して決めていた。肩を叩いたら嘘ではないという合図。
「昨日の夜に0番街の裏通りで真理さんに似た人を見たんですが、私が別人だと言っても信じないので聞きに来たんです。ほらね? やっぱり違うって言ったでしょ?」
師匠は人の嘘を五感で判別できる。しかし時には外すことがあると言っていたし、昨夜の女性が真理さん以外に考えられなかった。
顔立ちが似ているとか雰囲気が近いとかではない。容姿も声もすべて同じなのだ。違うところがあるとすれば言葉遣いや雰囲気が荒っぽくて不良みたいだと思ったことくらい。
師匠のことは信じているが、どうしても聞いておきたいことがあったので口を開いた。
「もしかして真理さんは、双子ではありませんか?」
ほんの一瞬、真理さんはひどく驚いた表情を見せる。
「……いいえ。わたしに妹はいないわ」
怒らせてしまったと思ってすぐに頭を下げて謝る。
「すみません。失礼なことを聞いてしまって。あまりに真理さんと似ていたので……」
「気にしてないわ。でも、そんなに似てたならわたしも会ってみたいわね。だって世の中には自分に似た人が三人いるって言うじゃない? もしかしてその一人だったのかしらん」
こちらの非礼を笑い飛ばしたうえに話に乗ってくれる。なんて優しい人だろう。
しかし、それならあの人はいったい何者なんだ?
「ふふふ。それなら今度いっしょに夜のお散歩へ行きませんか?」
「ありがとう。でもごめんなさい。わたし、夜になると眠くなっちゃってダメなの」
「それは残念です。いろいろ案内したいところがたくさんあるのに」
「ごめんなさいね。いつの間にか眠っていて気がついたら朝なんてこともたくさんあるわ」
「ふむふむ。昔からそうなんですか?」
「子どもの頃はもっとひどかったらしいわ。眠ったわたしを布団に運ぼうとすると怒って蹴ったり殴ったりしてきたって。でもわたしは、まったく覚えてないのよね」
真理さんは口元を手で隠しながら上品に笑う。やはり昨夜会った粗暴な人とはまるで違う。
0番街に設置されたスピーカーから女の子の声で時報が流れたので解散することになった。
『まちの駅』を出てから僕はもう一度真理さんに謝った。
「気にしないで。本当はわたしも調べたいことがあるんだけど、夜は苦手で……」
「よかったら僕たちが調べましょうか。騙り部はこの街の人のためならなんでもしますよ」
「ううん。これはわたしの問題だから。あなた達に迷惑はかけられないわ」
その言いまわしが昨日会った人と似ていると思ったが、それ以上聞かずにその場で別れた。
裏通りの駄菓子屋へ行き、いつもの公園で休んでいると師匠がなにかに気づいた。
「ねぇ誠実。あの子」
見覚えのある少女がこちらの様子をうかがいながら秋葉駅に向かって歩いている。
「坂爪日佐子さんですね」
人間の名前を取る化物、名取に名前を取られて一時的に存在をなくした子だ。師匠に救われた後も何日か休んでいたが、今はもう元気に登校している。ただ、教室にいると熱い視線を送られてくることが時々ある。
「たぶん、なにか話したいことがあるんだと思います」
おそらくベッド下に隠していた薬のことだろう。どんな効果効能かわからないけれど、薬局で買うようなものでないことは日佐子さんもわかっているはず。
「やっぱり真理さんが薬を与えたんでしょうか。だから薬なんて知らないと嘘をついた」
師匠の五感が正しければ真理さんはなにか隠している。
薬を知らないと言ったのは売人だからか、もしくは常習者だからか。
ただ、真理さんや日佐子さんが不良三人組といっしょにいる姿は想像できない。それに、薬以外の質問には正直に答えているからまじめで優しい人なのは事実だと思う。そうでなければボランティアなんてできるはずがない。
「わからないと言えば昨日のことですよ。あの真理さんに似た人は誰なんですか?」
真理さんに姿も声もすべて同じの謎の女。
双子ではないとしたら、彼女はいったい何者だ。
あそこまで似ている人が本当にこの世にいるのだろうか。
真理さんはこの世に同じ顔の人が三人いると冗談を言っていたけれど、それが真実なのか?
「どうして危険をおかしてまで薬を奪ったんでしょうか」
謎の女性も薬の売人で商売敵を潰したかったのか。
薬の常習者で金を払えなかったのか。
荒っぽくて不良みたいだったけれど、そこまで悪い人には見えないんだよなぁ。
考えれば考えるほどわからなくなる。
もはやわからないことがわからない。
悪癖と自覚しながら必死に考え込んでいる横で、師匠は
「師匠はどう思いますか?」
「ん? とってもおいしいよ。いつも買ってきてくれてありがとう」
師匠は満面の笑みで感謝の言葉をかけてくれるが、そういうことを聞いているのではない。顔がいいから怒るに怒れない。こんな美人の師匠を持つ僕は不幸な幸せ者だ。
「あーん」
しかも食べかけあげパンまで恵んでもらえる。きなこの素朴な甘さが口いっぱいに広がる。
「脳を使う時には甘いものがいいんだよ。こっちもおいしいよ。はい、あーん」
口の中できなこと砂糖が混ざり合って一つになる。だが考えはまとまる気配がない。
「そのうち話してくれる時が来るんじゃないかなあ。果報は寝て待てと言うでしょ」
師匠はあげパンを食べ終えると口の周りを舌で舐める。
そういうものだろうかと疑っていると、果報は思いのほか早くやってきた。
「よう」
先ほど別れたばかりの真理さんが現れ、右手を挙げて気さくにあいさつしてきた。
だが、なにか違う。
姿も声もすべて同じでも、なにかが決定的に違っている。
僕は思考を打ち切って師匠の前に立つと両手を構える。
「身を
この不良みたいに荒っぽい口調。
やはり昨日会った真理さんの偽者だ。
なんでこの人がこんなところに?
どうして僕らがここにいるとわかった?
そのうち師匠がベンチから立ち上がって言った
「誠実は私の弟子です。誰にも渡しませんよ」
「いいじゃねぇか。こう見えてあたしは年下好きなんだ」
二人は笑っているけれど、互いになにを考えているのかはわからない。笑顔の下にはなにか別の感情が隠れているのではないかと思えてならなかった。
「えっと、あの、どうしてこの人がここにいるんですか? というか、どなたですか?」
「この人は鏡淵真理さんの中にいるもう一人のマリさん。楽しくていい人だよ」
しかし、鏡淵真理さんの中にいるもう一人の真理さんってなんだ?
「おい詠。彼氏には昨日のうちに教えるんじゃなかったのかよ」
「すみません、昨日は忙しくて……それから誠実は彼氏じゃなくて弟子ですよ」
「あの、よくわからないので最初から……昨日なにがあったのか話してください」
二人に話の主導権を渡すとロクなことにならないのでこちらから誘導することにした。
「先にあたしのことを話そう。その方がわかりやすいだろ?」
「そうですね。昨日なにがあったのかはその後に話しましょう。いいかな、誠実」
すでに事情を知っている二人がそう言うなら、と了承してうなずく。
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