第10話 昔話に隠された真実

 池の向こう岸を眺めていると木の影から人が現れ、石橋を渡ってこちらにやってくる。


「こんにちは」

 その人は縁側に座っていた僕を見ると、すぐにあいさつしてくれた。


「こんにちは。最近騙り部一門に入りました誠実と言います。よろしくお願いします」

 投げ出していた足をすぐに戻し、きちんと正座してからあいさつを返す。


 秋葉一族の方かな。

 目鼻立ちがスッキリした顔の男性だ。身長は僕や師匠よりも少し高い。髪は茶色に染められている。秋功学園では染髪が禁止されているから大学生かも。


 けれど、実人さんが本家の長男と言っていたからこの人は……?


「ははっ。そんなにかしこまらないでいいから。ほら、顔を上げてよ」

 その言葉を信じて頭を上げると、名前の知らない男性が笑顔で立っていた。


「話には聞いていたけど本当だったんだね。騙り部一門に入ったというのは」

 好奇の視線と言葉を向けられているが、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 男性の優しげな目と穏やかな表情、落ち着いた声がそうさせるのかもしれない。


「ごめんよ。じろじろ見ちゃって。騙り部に会うことなんてめったにないから」

 その人は申し訳なさそうに謝りながら隣に腰かける。


「そんなに珍しいですか? 僕以外にもたくさんいると思うんですけど」

「本家の人間ならそうかもしれないけど、ボクは分家の生まれだからあまり縁がないんだよ。それに今は昔ほど人数もいないからね。新しく入ったと聞いて驚いたくらいだ」

「そうなんですか?」

「多くても数十人程度だと思うよ。現役で活動しているのは、たぶん数人じゃないかな」

「え、昔話では何千人もいるって書かれていたのに……」

 それがいつの時代のことなのかわからないけれど、今でも数百人はいると思っていた。


「その昔話はボクも知っているよ。だけど、その数字も本当かどうか怪しいと思うな」

 男性は苦笑しながら腕を組む。


 なぜかと思ったが、すぐに気がついた。

「嘘しか言わない騙り部に関する記述ですもんね」 

 よく考えればわかることだった。昔話や伝承がすべて事実のわけがないだろう。


 その人は上着の内ポケットから煙草たばこを取り出し、僕に確認を取ってから火をつけた。

 一服して満足そうな顔を見せるとふぅーっと白い煙を吐き出す。

「ははっ。君は素直で正直だね。騙り部にしては珍しいくらいに」


 よく師匠から言われることも別の人に言われると違う意味に聞こえてくる。


「すみません。気をつけます……」

「なんで謝るの。ほめてるんだよ?」

「え?」

「ボクは君の選択が間違ってないと思う。このまま君の正しいと思う道を進めばいいよ」


 嘘を見抜けない僕には真偽がわからない。

 けれどそれは、本音のような気がした。

 そういえばこの人は騙り部と知っても嫌な顔を見せず、今も笑顔で話してくれている。

 ここに来て初めてかもしれない。嫌な視線も嫌な言葉もかけられないのは。


「だいたい本家の人間は騙り部を嫌いすぎだよ。あんなことがあったからって」

「あんなことって……なにかあったんですか?」

「君はなにも知らないの?」


 男が驚いた拍子に煙草の灰が地面に落ちる。


「ああ、そういえば覚えてないんだったね」


 僕の頭の悪さまで家中で噂になっているのか。

 情けなくて恥ずかしくて死にたくなる。


「誠実くんは、秋葉一族と騙り部一門の昔話はどれくらい覚えている?」

「図書館で一通りの昔話は読みました」

「じゃあ『秋葉山の化物退治伝説』には結末がいくつもあるのは知ってる?」

「はい。もちろんです」

「それなら、あの昔話は誰がなんのために作ったと思う?」


 男は煙を吐きながら問いかけてくる。

 緑一色に見えていた庭に白いモヤがかかる。

 僕は単なる異類婚姻譚いるいこんいんたんとしか思っていなかった。

 しかし、そうではないのだろう。


「君は話をそのまま読みすぎている。これからは話の裏や真意をもっと考えた方がいいよ」


 その通りだと思う。僕は無駄に考えすぎる悪癖があるけれど、これからは理性的に考えられるようになろう。そうすればきっと立派な騙り部になる日も早まる……はず。


「ほとんどの昔話にはモデルになった人物や出来事があり、教訓や主題が隠されているんだよ。だから秋葉市の昔話にもなにかしらのモデルや伝えたいことがあるんだ」

「伝えたいこと、ですか」

「『秋葉山の化物退治伝説』がいい例だ。あれは騙り部が秋葉一族の人間を嫁にもらったせいで作られたんだ。夢オチや化物になったという後味の悪い結末があるのもそのせいだよ。当時の当主が自慢の娘を使用人に奪われた怒りと悔しさからそんな結末を作ったに決まっている」


 もみじの名所と知られる秋葉山は紅葉邸。

 山奥に住んでいたのは化物ではなく秋葉一族の娘。

 その娘に使用人である騙り部が手を出した。

 様々な暗喩あんゆが盛り込まれた身分違いの恋物語。


 たしかに辻褄つじつまは合う。

 だが、もしそれが真実だとしても気になることが一つある。


 なぜ秋葉一族は騙り部一門を現代になっても雇い続け、今もこの街に住まわせているのか。


 昔は今ほど自由に恋愛や結婚できなかったことは知っている。身分違いの恋なら諦めるか、駆け落ちして誰も知らない土地で新しい生活を始めるはず。

 それなのになぜ? どうして?

 騙り部一門の弱みを握っているから? 

 それとも結婚を許した見返りを払わせるため?

 いろいろな可能性を考えたが、これだという答えが見つからない。


「騙り部一門がなにを考えているかわからないけど、秋葉一族の考えならわかるよ」

 男は煙草を地面に落として火を踏み消す。それからまた新しい煙草に火をつけた。


「秋葉一族は感情的にならない。ボクらは、合理的かつ打算的に考えて動くからね」

 紫煙しえんを吐き出しながら持論をくゆらせる。


「娘を奪われたのは腹が立つ。しかし騙り部には利用価値があるので雇い続けることにした。だから、昔話で騙り部の悪行を周知して後世に伝えることで溜飲(りゅういん)を下げたんじゃないかな」

 男は答えといっしょに煙を吐き出す。


 僕は少しだけ気分が悪くなってきた。

 感情的にならないとは、どの口が言うのか。

 思いきり私怨しえんで動いてるじゃないか。


 いくら昔話でも人のことを悪く言いふらすなんて最低だ。陰湿ないじめだ。こんなの差別じゃないか。街の権力者で雇い主とはいっても使用人に対してこの仕打ちはひどすぎる。


 古津家の先祖で騙り部一門の初代頭領、言語朗はなんの罪も犯していない。

 愛する人と結ばれただけだ。しかし子孫は、それが原因で苦しんでいる。

 師匠の辛さを思うと怒りと悲しみがじわじわこみ上げてくる。


「騙り部は権力者の娘と結婚して親戚関係になることで利益を得たかったんだろうね。奇術や手品を見せて興味を惹きつつ甘い言葉をささやく。世間を知らない箱入り娘のお嬢様ならコロッと騙されるんじゃないかな。きっと騙り部は人間の心理を熟知していたんだよ」


 名前も素性も知らない男が気持ちよさそうに話を続けている。

 騙り部が人を騙して利益を得るなんて……本当にそんなことするだろうか。


「それにしても、どうして未だに騙り部一門を雇っているんだろう。今の時代には必要ないと思うんだけど。金の無駄じゃないか。君もそう思わない?」


 僕が返答に困っていると、廊下がきしむ音がした。


「ふふふ。人間の理屈や常識で考えたらそうかもしれません」


 振り向けば師匠がいた。

 最初からそこにいたかのようにたたずむ彼女は笑っている。


「でも覚えておいてください。この世には人間の理屈や常識が通用しない存在がいるんです」

 柔らかな風が師匠の長い黒髪とスカートをなびかせた。


「久しぶりだね、詠ちゃん。元気だった?」

 男の人は煙草を持った手を挙げてあいさつする。


「ご無沙汰しております、ただしさん」

 師匠は綺麗な所作で正座をしてから頭を下げる。


「そんなにかしこまらないでよ。ボクは分家なんだから」

「ふふふ。騙り部にとっては雇い主である秋葉一族に本家も分家も関係ありませんよ」


 師匠は上品な笑みを浮かべて嘘をつく。

 さっき本家の実人さんに対して軽口どころか暴言を吐いてませんでした?


「それならボクの仕事も受けてくれない? 依頼料も本家の倍は払うよ」

「そういうのはあいつに話を通してください。勝手に仕事を受けるとうるさいんですよ」


 師匠……本家も分家も関係ないと言った直後にあいつ呼ばわりはまずいですよ……。


「ははっ。詠ちゃんと実人くんは相変わらずだね。弟くんとはとても仲がいいのに」

「……そうですね」


 正さんと呼ばれる人が上着の内ポケットからなにか取り出した。


「ひとまず仕事の件は置いておこうか。とりあえず名刺を渡しておくよ。はいこれ」


 頂いた名刺には店の名前と場所、電話番号が記されている。


「クラブ……夢実ゆめみ……?」

「それはドリーミーと読むんだよ」


 あ、本当だ。

 漢字で書かれた店名の横にカタカナでルビが振ってあった。


「ふふふ」

「ん? なにかおかしかった?」

「いえ、すみません。なんだか、場末ばすえのスナックみたいだなぁって」


 突如、正さんは腹部を殴打されたようにひざから崩れ落ちてしまった。

 師匠……そんなだから「お願いだから黙っていてほしい美人」と言われるんですよ……。


「あの! 僕はいいと思いますよ! なんというか、その……キラキラしてますね!」

「あ、ありがとう……君は素直で正直者だね……」


 正さんは引きつった笑いを浮かべて立ち上がると、咳払いをしてからまた話し出す。


「ほら、秋葉市は田舎で遊ぶところが少ないだろ。だから夢と現実の狭間のような楽しい空間を提供したくてこの名にしたんだ。それにボクは分家だから『実』の字に憧れがあるんだよ」


 憧れ? 

 本家や分家の生まれとその漢字になにか意味があるのだろうか。


「秋葉一族の本家に生まれた男は名前に『実』を付けられるんだよ。例えば、長男の実人くんがそうだろ? 秋がよく実るように、という先祖から子孫へのメッセージじゃないかな」


 なるほど。おもしろい。

 同時に、騙り部一門の名付けの規則性に似ていると思った。


 古津家の先祖にして騙り部一門の初代頭領の名前は言語朗。

 言葉を扱う一族だからだろう。生まれた子には『言』の漢字が付いている。言語朗の血を引く直系の一族である師匠は詠だし、遠い親戚の僕にも入っている。

 しかし騙り部なのに誠実せいじつとは矛盾している気がする。両親はどういう理由でこの名前を付けたのだろう。

 けれど師匠はいつだったか「私は好きだよ」と笑ってくれた。


「正さんはすごいと思いますよ。お医者さんの卵であり、起業家でもあるんですからね」

「ははっ。田舎の大学の医学部なんて大したことないよ。店も薬学部の友人との共同経営だ。でも、分家のボクが本家に認めてもらうためには努力して結果を出すしかないからね」

「いえいえ、私は嘘をついてもお世辞は言いません。本当にすごいと思ってますよ」

「詠ちゃん……そんな風に想ってくれていたなんて……」


 師匠の優しい言葉が胸に響いたらしい。

 隣で聞いていた僕の目頭も熱くなった。


「ま、本家に対するコンプレックスはめんどくさいですけどね」


 正さんは再び崩れ落ちてしまった。

 今度はなかなか立ち上がれそうにない。


 きっと名家に生まれた人間には、庶民にはわからない苦悩や苦労があるのだろう。


「ははっ。そろそろ行くよ。友人の実家の製薬会社が資金を援助してくれることになってね。今日はそのことを報告するために来たんだ。あ、騙り部の仕事の件も考えておいてよ」


 正さんは両手を合わせて頼み込んでくる。

 それから思い出したように尋ねてきた。


「そういえば誠実くんの師匠っていうのは……」

「ええ、私ですよ」


 師匠が大きな胸を張って答える。

 僕は少しだけ恥ずかしくなってうつむいた。


「へぇ。そうなんだ」

「あれあれ? 意外ですか?」

「いや、才女と言われる詠ちゃんの弟子ならきっとすごいんだろうと思っただけ」


 正さんから期待に満ちた言葉と視線が送られたのがわかった。


「がんばります!」

 僕はすぐに顔を上げて、その重圧に負けないように大きな声で宣言する。


「そうだ誠実くん。一ついいことを教えてあげるよ」

 正さんが笑みを浮かべて手招きする。


「君は騙されている。詠ちゃんには気をつけた方がいい」

 正さんはそれだけ言うとその場を去っていく。


 残された僕は首を傾げるしかなかった。

 そんなの当たり前じゃないか。

 騙り部とは存在そのものが嘘か本当かわからないのだから。


 師匠を見るといつもの優しい笑みはなく、口を真一文字に結んで中庭を眺めていた。

 その中にある一本のもみじの木をじっと見つめているようだった。樹齢百年以上と言われても納得できる大きくて立派なもみじの木。以前にもどこかで似た木を見たような……。


「私たちもそろそろ行こうか」


 思い出しかけていた記憶が師匠の一声で霧散する。

 しかし似たような木の場所はわかった。秋功学園に植えられたもみじの大木だ。秋葉一族が経営する学校なら似ていて当然か。


「行くって……どこへ?」

 先に歩き出した師匠の背中に声をかける。


振り返った彼女は笑顔でこう答えた。

「0番街」

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