第9話 騙り部一門

 師匠と実人さんのいる和室から逃げるようにして廊下を歩く。


 中庭を見るよう勧められたけれど、初めて訪れた家を一人で勝手に歩くのは悪い気がする。それに、ここはなんだか落ち着かない。

 門の外で師匠を待とうと思って玄関へ向かう。


「やだわぁ。なんで来てるのよ。ご当主様に報告した方がいいのかしら」


 玄関まであと数歩というところで足が止まる。

 この声は中年女性のものだ。


「あたしが言うのもなんだけどねぇ、よく敷居をまたげたと思うよぉ」


 今度は老女のしわがれた声が聞こえてくる。同時に、若い女性の笑い声も聞こえた。どうやら玄関先でお手伝いさんたちが立ち話をしているようだ。


 嫌な時に来てしまった。

 部屋に戻ろうと動いた時、廊下の床板がきしんで嫌な音を鳴らした。


 その瞬間、談笑していた女性たちの声が止んでこちらを向く。


 戻ることも外へ出ることもできない。

 僕は頭を下げると早足に廊下を突き進む。

 怒られやしないかとビクビクしていたが、背後から声が聞こえてくることはなかった。


 バカにするような声が耳にこびりついて離れない。歩みを緩めて足音を立てないようにすると悪口が脳内再生されてさらに不快になる。すさんだ気持ちが表情にも出てしまう。


 いけない。別のことを考えよう。

 そうだ、師匠に教えてもらったことを思い出そう。


『立てば偽者、座れば虚像、歩く姿は都市伝説。

 嘘しか言わない騙り部。それが騙り部一門』


 騙り部一門の歴史は秋葉一族よりもはるかに古く、数百年以上前から活動しているらしい。

 ただし正確な記録は残っていない。

 なんとも曖昧あいまいというか適当だ。


 しかし、存在そのものが嘘か本当かわからない騙り部らしいとも言える。騙り部一門が文字による記録ではなく、口から耳へ伝える口頭伝承を基本としているからかもしれない。


 師匠も幼い頃にご両親から布団の上で騙り部について聞かされて育ったらしい。彼女は僕にも同じように寝物語で教えてあげると言ってきたが、丁重にお断りした。


 冗談とわかっていてもあんな美女といっしょの布団で寝られるわけがない。

 ただ、その日は後悔と自責の念に駆られて枕を濡らすことになった。


 陽介さんは道徳の授業で騙り部を知ったと話していた。それなら僕も習ったはずだが、まったく思い出せないし、あいにく小学校の教科書は捨ててしまった。


 そこで、秋葉市にまつわる昔話を図書館で探して読むことにした。

 いくつか見つけた本の一冊を開くと『秋葉山の化物退治伝説』という題を見つける。

 これは陽介さんが言っていた話だ。

 先にそれから読もうかと思ったが、他の話も気になったので順番通りに読んでいく。それが正しい判断とわかったのはすぐのことだった。


 騙り部はいろいろな話に度々登場しているのだ。ある話では狐と人間の結婚式の仲人役なこうどやくを担い、別の話では鬼になってしまった人間を元の姿に戻している。

 創作とわかっていてもおもしろく、初めてとは思えないほどスラスラ読める。


 そのうち『秋葉山の化物退治伝説』にたどり着いた。


『むかしむかし、人里離れた秋葉山の奥に人間を騙しておどろかす化物がおりました。


 その化物は何百年、何千年と人間を騙し続けておもしろおかしく毎日を過ごしてきました。しかし世間で化物のことが噂になっていくうち、山を訪れる者はほとんどいなくなりました。

 

 最初は化物も気にしていませんでしたが、そんな日が続くと人間を騙したくなってきます。

 それでも山を下りようとはしません。化物は人間のことも人間を騙すことも好きでしたが、山奥での生活に慣れてすぎてしまったせいで人里へ行くことが怖くなっていたのです。

 それから化物は食べることも騙すこともなにもかも忘れて眠り続けてしまいました。


 ある日、うるさくて目を覚ますと人間が立っていました。化物は人間を騙しても食べることはしませんが、寝起きだったということもあり、大きな口を開けて「お前を食ってやろうかぁ」とすぐにおどかしました。すると人間は怖がりも逃げもせずにこう言いました。


「なんだなんだ。その大きな口は人を騙すためにあるのではないのか。騙すことが得意な化物と聞いてきたが、それはお前のことではないな」 


 その言葉に怒りを覚えた化物は「自分こそが騙すことが得意な化物だ」と叫びました。

 すると人間はうれしそうにして、騙し合いの勝負をしようと提案してきました。

 化物が勝てば人間はなんでも言うことを聞き、人間が勝てば化物はなんでも言うことを聞くというものです。化物はこの人間のことをとても気に入ってすぐに勝負を始めました。


 普通の人間なら長くても数時間で騙されてしまうのに、その人間だけは違いました。いくら言葉巧みに嘘をついても瞬時に見抜き、逆にこちらを騙そうとしてきます。こんな人間は化物がこの世に生まれ落ちてから初めて会いました。化物と人間の騙し合いは三日三晩続きます。


 決着がついた時、空には大きな月が浮かんでいました。

 勝ったのは……人間でした。

 化物は生まれて初めて人間に騙されてしまいました。けれど悲しくも悔しくもありません。むしろ清々すがすがしい気分でした。そして人間と化物は、お互いの健闘を称え合ったそうです。


 この物語に登場する人間とは、騙り部一門初代頭領、言語朗と言われています。


 めでたしめでたし』


 その本を読み終えるとすぐに他の本を読み始める。どの本も内容はほとんど変わらない。ただ、騙り部に関することや結末が異なるところがある。

 例えば、化物を退治したと思ったらすべて夢だったというもの。化物を倒したら今度は自分が化物になっていたというものもあった。

 僕のお気に入りは言語朗が化物と共に山を下りて結婚したという結末だ。人を幸せにする優しい嘘をつく騙り部一門の教えが息づいていると思う。


 昔話を読んだおかげで僕は騙り部のことがもっと好きになった。

 けれど秋葉一族は、この物語が気に入らないのだろう。実人さんも、お手伝いさんも、騙り部に好感を持っていないようだから。

 物語でも現実でも、街のため人のためにがんばっているというのに。どうして騙り部はこうも嫌われているのだろう。


 師匠はここに来るたびに嫌な目で見られたり嫌なことを言われたりするのだろうか。それを思うと胸が痛くなった。

 これからは弟子の僕もできるだけ同行しよう。うん、そうしよう。

 自分なりの答えを出したところでようやく気づく。


「どこだろう……ここ……」

 屋敷の中というのは間違いないが、きっと奥深くへ来てしまっている。


「誰かいませんかー!」

 大きな声を出して助けを呼んでみるが、自分の声が響くだけだった。


 第三者の助けは期待できないと早々に諦め、自力で脱出しようと決意する。

 少し歩くと縁側えんがわが見えてきた。耳をすませば鳥の鳴き声や水の流れる音も聞こえてくる。

 そこから外に出られるかもしれない。そう考えてすぐに走り出す。


「おおっ!」

 縁側に着いてすぐに声が出た。

 紅葉邸と言われる所以ゆえんがそこにはあったから。


 広大な庭にはもみじの木が何本も植えられている。今はまだ四月だから、もみじの葉は色づいていない。けれど清々しいほどの緑が視界を覆い尽くしている。もしも秋にここを訪れることができたらどんな光景が広がっているだろう。想像するだけで心が弾む。


 木々の若葉に目を奪われていたせいで大きな池に気づくのが遅れた。水面に波紋が広がり、色鮮やかな鯉たちが澄んだ水の中を優雅に泳いでいる。

 池には石橋がかけられていて、渡った先にもさわやかな緑の景色が広がっている。もみじの木々の下には笹が植えられ、きっと色づいたもみじを引き立ててくれるのだろう。さらにその先に目をやると黒い板の壁が見えた。


 そこでようやくここが中庭だとわかった。

 ここから外には出られないが、ここで待っていたら師匠が迎えに来てくれるだろう。


 疲れていた僕は縁側に腰かけて中庭を眺める。

 それにしても見事だ。

 さすが秋葉市を治めてきた権力者の屋敷だけはある。


 いつかこんな家に住んでみたい。

 だけど、維持管理や税金の問題が面倒だろうなぁ。

 こんな夢も希望もない考え方をするのは親譲りかもしれない。


 ここに来る前はなんとなく親近感を覚えていたけれど、庶民の僕の家とは格が違いすぎた。

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